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2010年6月23日 (水)

日韓併合 皇民化教育の犠牲者たち 2

「内鮮一体」で各村ごとに神社が建てられ参拝が強要,日本語を国語として常用することが強要された。

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1938年7月、国民精神総動員朝鮮連盟が発足。
●1939年11月、朝鮮民事令を改正、「創氏改名」。
 日本式の姓名への改称は任意であるが、改名を拒否する者には、公的・私的な圧迫、疎外、嫌がらせがあり、その結果、約80%が改名した。
●1940年代から朝鮮語の新聞雑誌を廃刊に
●1944年 徴兵制実施

日本も韓国併合したが、徴兵制度までは踏み込めなかった。朝鮮全土に広がった三・一独立運動に総督府も懲りたので、朝鮮人に「内鮮一体」の意識を持たせて、日本が進めている戦争に参加させることが狙いであった。

皇軍必勝コウグン!ヒッショウ!」これが小学生の掛け声だった。これは朝鮮の国民学校で教鞭を取っていた杉山とみの証言。一先生には罪はないかもしれないが、日本は心が狭い。先生も、国家という正体不明のぬえの手先で自覚がない。

3261鹿児島の知覧特攻機基地から飛び立った犠牲者は多いが、抽 選半島出身者は11人いる。最年少で16歳の志願兵を取り上げていた。

パク・ドンフン16歳は、昭和20年4月14日、片道の燃料を積んで知覧から飛び立って、沖縄へいったが、アメリカ軍艦船に突撃できず、海上に炎上墜落。戦死。その結果、3階級昇進して少尉にされた。

この16歳の少年パク・ドンフンは教育飛行艇で特攻隊へ志願するとなったとき、宣伝用というと身もフタもないが、特攻に選ばれて声を録音している。淡淡と声を入れているが、催眠術中の声のようだ。3174
今ここに選ばれて名誉ある特攻隊に召されたときの気持ち、これが何とも言えない気持ちであります。
 鬼畜米英の軍艦、B29が次々に目前に見えてきて、じっとしておられません。一機、一艦、あの憎き船にぶっつけて粉々にしてみせます。
日の丸の旗を高く翻そうではありませんか。」

3182_23181 新聞は、「半島の神鷲」と誉めそやして、新聞は家族の写真を載せて「誉れの家」と絶賛している。新聞に賞賛されていたが、家族は泣いていたのだと妹たちは打ち明けている。

そのときの小磯首相、朝鮮人特攻隊員について、こんなことを言っている。
3186_2悠久の大義に生くるの
崇高なる信念を示す者も
多々見らるるに至った
皇化の治あまねき真に
恐擢感激に堪えざる所であります。

文語で立派なことを言って、国民を駆り立てる言葉だ。戦争に駆り立てるテクニックだけは、政治家はうまい。これで、その後、何人がその気になったことやら。

志願した人は韓国では冷たい目で見られ続けていた。妹たちも住んでいた場所を離れていたが、韓国に真相究明委員会ができて、パク.ドンフン(当時16歳)の妹二人が志願した理由を説明して理解を求めようとしていた。

志願せざるを得ないように仕向けられていった。その事実を語っている。兄は、志願を断っていた。「自分は、長男だから兵隊にはなれない」と言っていたが、上官は「家族の面倒は見る。心配するな」といわれた。兄は父に「弟達は絶対に軍隊に行かせないでください」と頼みなした。親は子を守れず、息子は他国のために死んだ。

はっきり自分の意思を言うのが韓国の個性のように見える。日本だったら、アメリカのために死んだ息子がいたとしたら、ここまではっきりいえるだろうか。アメリカ軍のために戦ったとしても、「息子は他国のために死んだ。」といえるか。アメリカ軍基地を追い出すことができない日本人の気性の弱さを感じる。

そして、パク・ドンフンは死後、将校になっている。将校に対して「究明委員会」は、「志願兵で、強制的に兵にされたとはいえない」としていた。それが、「死後の昇進」についての規定があいまいだったので、決定が延期されていた。ついに、連絡が来た際、NHKのカメラがはいっていて、感激の一瞬を捕らえていた。半島の神鷲も、日本による強制特攻であったとされた。

当時マスコミは、「半島の神鷲」と誉めそやして、新聞は家族の写真を載せて「誉れの家」とマスコミは言い、政府は、「悠久の大義、崇高なる信念、皇化の治、恐擢感激」とおだて上げる仕組みに、今の日本にもあるはずだ。

「皇国臣民ノ誓詞」(学生・一般人用)
一 我等ハ皇国臣民ナリ 忠誠以テ君国ニ報ゼン
二 我等皇国臣民ハ互ニ信愛協力シテ以テ団結ヲ固セン
3241三 我等皇国臣民ハ忍苦鍛錬力ヲ養ヒ以テ皇道ヲ宣揚セン

皇国臣民ノ誓詞を毎朝言わさせられ、暗記する。皇居への遥拝をする。きっと、韓国人にはまったく無意味だったにちがいない。それでも、殴られるよりいいからと、従順に従っていた。

3128 訓練が終わると、船に乗せられた。行き先は一切伏せられたまま、送り込まれたのは、ニューギニアの激戦地であった。負け戦になった島は、武器弾薬もなく、食料もない。逃げ回るだけの戦を続けた。

張村さんの右腕には、7発、8発の銃弾が残っている。

「つらい、つらい、本当に辛い戦争だった。一日数十回言っていました。雨が降れば、ブルブル震え、マラリアにも苦しんだ。

 多くの戦友が自殺しました。『張村上等兵、内地に帰ったら(家族に)よろしくお願いするぜ。』といって、銃を撃って自殺しました。朝鮮人にとって、何の価値も持たない戦争に参加して無意味に死んだのです。朝鮮人には自由のためではなく日本のために死にました。日本人は殉国かもしれないが、朝鮮人には、殉国とは言えないのです。元志願兵、張炳黙チャン・ガンムク(日本姓:張村炳黙)今年88歳である。

内地も朝鮮も一体だと、内鮮一体として、皇民化教育で朝鮮人を日本人化してきた。アイヌを日本人化で成功しているから、ソレを目指していた。植民地の朝鮮人を内鮮一体だから、と日本のために利用してきた。「大東亜共栄圏の実現のため」という美名は朝鮮には、実に有効だった。皇民化教育も、現実は、植民地支配より残酷だった。母国語を使えなくなった。創始改名も誇りを奪うことだった。

234 張炳黙(日本姓:張村炳黙)も、皇民化教育の成果で、従順な韓国人で、志願兵で日本兵になった。張本なども、朝鮮姓は「張」だと思う。

青年志願兵訓練所へ入れられて、朝暗いうちに起こされて、日本人としての意識を教育される。半年の訓練所教育が終わると、行き先を知らされないまま、3233 船に乗せられた。

着いたところが、アメリカ軍が制空権を握る敗戦の色濃い激戦地のニューギニアだった。武器弾薬もなく、食料もなかった。ただ、アメリカ軍の攻撃から逃げ回る毎日だった。

「つらい、つらい、本当につらい戦争だった。一日数十回は言っていた。雨が降ると、ブルブル震え、マラリアの苦しんだ。多くの人はその苦しみに耐えかねて、目の前で自殺した。

3139 『張村上等兵兵、内地へ帰ったら(家族に)よろしくお願いするぜ』といって、銃を撃って自殺していきました。

朝鮮人にとっては、何の価値もない戦争に駆りだされた無意味に死んだのです。日本人には『殉国』の意味がありますが、朝鮮人には自国のためではなく、何も意味がないのです。」張炳黙チャン・ガンムク88歳(日本姓:張村炳黙)ニューギニアへ近年訪れて、戦友の碑を建てた、「受難戦死」と最後の意地で「受難」と入れた。

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