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2010年5月26日 (水)

現代社会の腸閉塞、誰が執刀するか

Photo 天声人語   

新卒者を必要な人員より多目に採用して、初日から罵詈雑言を浴びせて、相手が泣くまで苛め抜いて、辞めさせる。こんな方法があったのか、とびっくり。

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職場の上位にあるものが、下位にいるものを徹底的に痛めつける。そして辞めさせて、会社としては役目を果たす。ここまで、やるのか?と驚く。実際はこれ以上の残虐さがあるだろう。就職採用って、一体なんだろう。

私が勤めた会社に一年後輩が入ってきたが、試用期間三ヶ月後クビを切られた。意思のはっきりしない後輩だったが、次の日も次の日も、会社の近くに来ていたのを女子社員が見たと言っていた。多少難アリの青年にしても、落ち度がないのに簡単にクビ切れるものか、と情け容赦ない会社の方針に驚いた。彼の心情がわかったが、その後、彼はどうしたのだろう。

社員を採用する余裕のある会社でさえそうだ。ましてや、今いる社員を減らそうとする会社は大変だ。社員を辞めさせるために「イジメ」を使う会社がある。不景気になると、この手をつかう。ターゲットになった社員を全員で「無視」あるいは「イジメ」をしてそこにいられなくするのだ。自分がターゲットにならないように、上司の意図を汲んで、「イジメ」に加担していく。次が自分の番になるかもしれないのに。

Photo_2解雇する側にも、痛みを感じながらクビを宣告したんだ、というのが、この短歌を書く人の言い分だ。必死になって、職務上の役目と個人の良心の葛藤をして「クビ」を宣告した。解雇された側も泣き、解雇した上司も泣いた。

その良心の呵責があれば許されるという問題ではないが、痛みを感じたものだ、と昔派の方はおっしゃるわけだ。ところが、今はどうだ。何も感じないどころか、傷に塩を塗り込みながら、弱い立場の人を笑っている・・・というか、仲間を貶めている。

仲間を貶めていることは、自分を傷つけ、人間の尊厳を破壊していることだと気づかない。社会全体から見ると、自分の足を傷つけ、痛めつけていることと同じだ。それが現代の病状である。

Photo_3 ところが、世の中には強い立場の人たちは、自分の権利を主張して得たものは誰を犠牲にしょうとも譲らない。法律的な完全武装して、弱い立場の者を蹴散らしていく・・・そんな感じで見てしまう。資本主義社会で自由競争とはそういうものだ。それを象徴的に見える事例か、とこの電通の記事『5億円映像』を読んだ。

強い企業は、こうして取れる利潤は完全にモレなく奪う。「奪う」が悪いなら、正当に「獲得」していく。当然の権利である。そう考えているのが見て取れる。(自由主義経済で)許されるなら、必要最大限にまで経費をかけて請求する。勝ち組ならこうした行動が許される、という典型的な見本である。

Photo_4 一方では、統計的な数字ではないが、90%以上のその犠牲になる人々、彼らの精神状態、経済状態は退廃し、社会全体を考える余裕はなくなり、自分の感情がキレやすくなっている。とにかく人を押して前へ前へ出ようとする自分に気づくときがある。他人を人と感じ思わなくなる瞬間である。

短絡的になっている。それが突発的な行動になって、多くの新聞記事、テレビのニュース画像になっている。

結婚直前に、別の女性(看護師)に妊娠させ邪魔だから、騙して中絶させたエリート医師がいた。医師の地位と収入に憧れる女性を手玉にとり、このように自分の欲望を満たす行動に容易に走る。正直、こうして女が群がってくる(言い過ぎかもしれないが)男が女を性の道具扱う。芸能人で、岐阜県多治見市出身のホステスを相手に麻薬打って、相手が死んでしまった。今も係争中だが、まあまあ、いろいろ事件が軒並みだ。

イジメで仕事を退職に追い込むのも、電通の強欲も、中絶させる医師も、キレやすい人間が溢れているのも、女モノ扱いする男の存在も、根ッ子はみんな同じ、と私は思っている。

私には、「解決策がある」と、大言壮語する気はない。何を言っても、蟷螂の斧にすぎないが、何千年、何万年も長く続いた社会形態に合った(法も、倫理道徳も含めて)社会ルールが存在した。それが、百年程前からはじまった経済優先社会に対応していないからではないか。

日本などは、「日の出と共に朝起きて日の沈むまで働き、雨の日は家で読書する」晴耕雨読の農耕社会で生きていくのが、本当は精神的もゆったりしている。必要以上の欲をもたずに生きていけたら、きっとストレスが少ないのではないか、と思う。たぶん、誰もが「そんな暮らしでは(現代社会は)生きていけない」というに違いないが。

江戸時代の身分制度で、「士農工商」の中で「身分・分」に甘んじて生きることを押し付けていたが、明治政府になってからは、否定的にみている。しかし、「分」にあった生き方をするのが、凡庸な人間にはラクだったのではないか。道徳倫理ががっちり固めているから、ひどい人間は、「村八分」という枠で押さえつけられたに違いない。

明治政府以降の人間である私たちは、鎖国してきた江戸時代徳川政権の思想を認めず、明治以降の西洋文化を取り入れて考える習慣にならされている。だから、資本主義経済を当然にように見ている。世の中をGDPで判断しているわけだ。

今後、全然違う指標で見る生き方も採用しないと、ますます文明は、人間社会は行き詰まりを生じてしまう。現代社会の腸閉塞はどう手術するのか、これを考え、執刀するのは誰か。このあたりの問題を考える必要がある。

ただ、中国社会も鄧小平以後、資本主義、市場原理で動いているから、「西洋の行き詰まりを東洋哲学で」と、西洋の哲学者は東洋の哲学を賞賛していたが、今はそういうふうに考えなくなっている。これだと、500年はこの「社会の腸閉塞」は続くと見なければならない。

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