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2010年4月 9日 (金)

メール携帯電話の前 手紙時代

Maeza 天袋の荷物を整理していたら、数十年も前の手紙類をつめた箱がいくつか出てきた。青春の「シマッタ!」がたくさん詰まっている。こんな奔放で個性的な文字を書く人もいるんだ。その個性がメールではわからないが、手紙はそれがはっきりでてくる。見ていると、懐かしい青春が甦ってくる。

帰省する道すがら、中央線の●●駅で途中下車して駅の公衆電話から連絡取ったら、電話自体が隣家の電話で呼び出しだった。たまたま、その隣家が留守で、結局、会えずじまい。その場で、ハガキを書いて投函してあきらめた。

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このケースなんかも、今なら携帯で連絡すれば、行き違いになることもなく、会えた例だ。もっと、事前に連絡しておくなど計画的な行動しないと、歩いていける範囲でない友人と会うには段取りが必要だった。

もう過ぎ去って何人もの手紙を読んで見ると、この人ともう少し深く付き合ったらよかったのに、と思うことがある。あるいは、会っているときは気づかないが、手紙で読むと、その人の物足りなさがあるっていう場合がある。逆に、手紙美人、手紙おもしろ人というのがある。自分をガードして着飾るタイプだと、本心が見えないから交流が深まらない。

本人の意識が、A「それなりの美人」タイプ、B「(ゲゲゲの女房の)自信なげ」タイプ、C「容貌を意識しない、天真爛漫」タイプと分けられるかな、と思って分けてみた。

手紙をもらってうれしいのは、Cタイプだね。自分のことを書きながら、人を疑わないから、人を明るくする。Aタイプの上から目線で書かれる手紙はカチンとくる。Bタイプの自信なげな書き方はあるときから急に変って嫉妬ぶかくなったりしないか、気になる。

駅で出したハガキの返事としてもらったのが、この速達であったが、結局その人とは会うこともなく、青春の思い出になった。

私が電話した日、休日、家に彼女はいて、誰かに会いたい、友だちに連絡しても都合がわるく、そんな手持ち無沙汰だったと書いてあった。だから、速達の文章は、残念そのもののだった。この人、エッセイを書きため、文集をつくるのが趣味で、視点・着眼点がおもしろいので、会ってみたいと思っていた。今もご健在だろうか。

今の若者は、携帯で連絡がキチンと取れるから、どんな遠方でも、簡単に会話できるし、行き違いがない。ピンポイントで会えるから、うらやましい。

手紙でも、友だちレベルから前に進まない相手もいるし、もっと友情を深め恋愛になりたい相手もいる。その差は、個々の印象でしか理解できなが、この差は、一体なんだろう。

だいぶ時間かかったが、やっと気づいた。

「心のざらつき」を感じると、うまくいかない。利得とか、見栄がまざっていると、本心が見えない。すると、しっくりいかない。そう感じると、たとえ美人でも、あまり会いたいと思わなくなる。「美人は3日見れば飽きるが、ブスは三日で慣れる。」

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