« 遠まわりの雨 山田太一作品を見て | トップページ | 檀れい 八日目の蝉 なんか心痛い »

2010年4月 2日 (金)

丹羽宇一郎 仕事学 人間力養成術

00940080 丹羽宇一郎(にわ ういちろう、1939年1月29日 - ):伊藤忠商事取締役会長、元日本郵政株式会社取締役。地方分権改革推進委員会委員長。認定特定非営利活動法人国連WFP協会会長。今年2010年、中国大使に任命された。中国漁船の衝突で多難な交渉に当たっている。
0051 愛知県名古屋市出身。愛知県立惟信高等学校を経て、名古屋大学法学部卒。名古屋大学時代は自治会会長として60年安保闘争の学生運動の先頭に立った。
1962年、伊藤忠商事に入社。食料畑を歩み、1998年に代表取締役社長に就任。多額の負債を抱えていた伊藤忠商事を2001年3月期決算では過去最高の705億円の黒字を計上するまでに回復させた。2004年からは取締役会長。
昼食は、子会社であるファミリーマートや吉野家の弁当を自ら購入している。 出勤には、運転手つきの自動車などを使用せず、社員の目線に立つため電車を使用している。2006年から2008年まで、内閣府経済財政諮問会議議員を務めた。mixiにコミュニティも存在する。

☆今後とも、励ましクリックよろしくね!
   ↓   ↓

人気blogランキングへ  ご感想  お書きください。

サラリーマンとして、成功し、大成するノウハウを勝間和代がインタビューする。昭和40年代後半、私が英会話を習いに行っていた教室に、伊藤忠に勤めている男性がいた。伊藤忠は経営の危機にあると言っていた。

丹羽宇一郎は、アメリカの穀物市場から大豆を買って、日本へ輸入する仕事をしていた。30代半ばのことである。多分、まず英語を習熟して英語で仕事ができる。大抵は、最初の数年は外国で仕事ができる程度に英語を鍛える。

リンガフォンのレコードが唯一の会話力を鍛えるツールだった。だから私の持っていたテキストが引っ張りだこだった。就職したばかりの先輩が信愛学舎の寮へ来てコピーして持っていくのだった。

信愛学舎の寮出身者には、南米へ行って工場長になる人などいた。丹羽宇一郎も、そのころの人のようだ。丹羽宇一郎は、アメリ0069 0074 カの穀物市場で大豆輸入の仕事になれたころ、アメリカ駐在数年で、大旱魃で大豆価格は高騰するということで、先物取引で買い捲った。すると、一転して、雨が降るから、先物相場の値段がガタガタに崩れ、丹羽は15億円の含み損を作ってしまった。現在価格なら45億円以上だ。これは、伊藤忠の税後利益を上回る金額で、免職に該当する失敗だった。

Top 天気予報は、雨が降り、大豆の価格は安定して安くなると多くの人はは予想した。高値で買った先物を「損しても早く売れ」と東京本社から、社長からも催促がきた。

天気予報を研究して、現地を回って、探偵並の調査をして、その結果、大豆の収穫は品薄になると結論した。それで、収穫期に値段がやはり高騰した。15億円の含み損をカバーする利益を出し、この危機を乗り越えた。

再び、天気不良で旱魃が広がっているという記事がでた。それを現地で確かめると、収量は下がらないと予測して、その年の予想もあたり、無事彼は駐在任務を終えて、東京本社へ戻った。

彼が国際穀物取引市場で伊藤忠商事でも仕事で、10年間わき目もふらずアリのように働き、地力をつけ、穀物の国際取引について、ベテランになった。この上に、日本へ帰ってから、アメリカと題名のつく本をすべて、読みふけった。

0070 知識を集めるのはもちろんだが、本の著者は、その本の中でどう論理を極めているか、論理を読み取るのが主題になった。知識ではなく、経営力になるべく、その論理力の養成に努めた。どういう思考方法でこの本を書いているか、それをしることが重要である、と知った。

その専門性が育って、信頼、分析力を生み、他にも汎用できると認められて、経営者へと育ってきた。着実に専門力を養い、誰にも負けない第一人者になって、それを経営者として確固たる地位にしてきた、従来の生き方をこの人は具現化した、といえる。

だけど、まったり、自由な癒しの空間を求める現代では、みんながこういう生き方をするとは思えない。サラリーマンの“オン”のときだね。

0000会社のトップになって、まずやったことは、伊藤忠商事の借金体制を一気に入れ替えた。借金ヲチビチビと返済してもきりがない。一気に体質改善をということで、3900億円を会社を潰す気で、損金の計上した。

これだけの大手術が、丹羽宇一郎であったからできた。その力量を国の借金を返済にまでは、強敵がいて、なかなか力を発揮できない。

会社内で、専門力つけて、トップになるノウハウは、この番組でかなり教えられた。丹羽さんの話しを熟読玩味していれば、やる気のある20代~30代にはサラリーマンが成功するには有意義だ。http://www.nhk.or.jp/etv22/thu/

懸命に生きる人たち 浅田次郎シューシャイン・ボーイ 生き方 福沢諭吉訓 一生涯を貫く仕事を持つ  宮武外骨 武威に屈せず 富貴に淫せず 苦節11年 教師になる夢叶う  .どん底でこそ笑え 西原 理恵子  ニッセイのおばさんのトップ  人生の秋に 森繁久弥はどう生きたか  人格を磨く 艱難かんなん汝を玉にする   

☆今後とも、励ましクリックよろしくね!
   ↓   ↓

人気blogランキングへ  ご感想  お書きください。

|

« 遠まわりの雨 山田太一作品を見て | トップページ | 檀れい 八日目の蝉 なんか心痛い »

コメント

平成40年代後半→昭和40年

投稿: | 2010年9月21日 (火) 20時33分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 遠まわりの雨 山田太一作品を見て | トップページ | 檀れい 八日目の蝉 なんか心痛い »