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2010年3月 9日 (火)

踊らされた相楽総三と赤報隊

「赤報隊」というと、神戸の朝日新聞社襲撃事件で有名になったが、もともとは、明治維新の官軍の先頭に立って、幕府軍が鳥羽伏見の戦いで破れ、徳川慶喜が江戸に逃れたのを追いかける形で、中仙道を通って、江戸まで新政府の方針を示しながら、凱旋するのが目的だった

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これは、私の概略解釈であるが、新政府本隊が幕府軍を追い詰めたいところであったが、そうも行かないから、とりあえず、100名か200名程度の草莽ソウモウの志士を中仙道から追いかけさせた。そのときのマニフェストが年貢半減で、幟を立て堂々と行進していったわけだ。その隊長が相楽総三というわけだ。

草莽ソウモウの志士とは、脱藩した志士、あるいは百姓や僧侶など個人ボランティア志士。維新前夜には、新政府サポーターの篤志家の志士が京都に集まっていた。

Photo相楽 総三(さがら そうぞう、天保10年(1839年)~慶応4年3月3日(1868年3月26日))::幕末の尊皇攘夷派志士。江戸出身。赤報隊隊長。関東方面の各義勇軍に参加し、元治元年(1864年)の天狗党の乱にも参戦。その後、西郷隆盛、大久保利通らと交流を持ち、慶応3年(1867年)、西郷の命を受けて、江戸近辺の倒幕運動に加わった。運動とはいえ総三らがやったことは、江戸市中への放火や、掠奪・暴行などの蛮行の繰り返しであった。
 慶応4年(1868年)1月、戊辰戦争が勃発すると赤報隊を組織して東山道軍先鋒として活躍。新政府軍に年貢半減令の建白書を提出して認められたため、同令を掲げて進軍するが、新政府軍の方針変更によって赤報隊が偽官軍とされ、相楽は捕縛される。手を下したのは官軍参謀、進藤帯刀である。

赤報隊は、三グループ、合計で200名~300名を進発させた。そのときには、金100両(800万円程度)、小銃100挺を持たせて、出したと聞いている。倒幕軍としては、本隊を編成して追いかけたいのだが、隊員が揃わないし、資金がない。新政府の母体となる首脳、西郷隆盛、岩倉具視らが中心に金集めに奔走する。大商人らは、新政府の資金は年貢であるから、その年貢を担保にカネを出そうとした。

その方針が定まるには、相楽総三らの赤報隊の進発した一週間程度あとになる。年貢は従来通りにするしか、明治新政府はそれをよりどころにするしか、入ってくる歳入はない。その点は、自民党政権が倒れたあと民主党政権が新政策子供給付金を配るつもりでも、消費税を上げない限り実行できないジレンマに陥る。

それゆえ、赤報隊の相楽らは、「年貢半減」と中山道を道々、宣伝しながら、進軍していく。道々、新政府の方針を伝えていく。その心意気は高かった。多くの住民は彼らを歓迎してくれた。それほどに、幕府の施政に社会は疲弊していた。

ところが、本部の方針は、出発したときとは変って、年貢を半減する余裕がないとわかり、「年貢半減」と相楽総三らが宣伝することが今後の支障になる。

そこで、赤報隊に引き返すように命令を出すが、相楽らは今幕府軍を追い詰めないとチャンスを失う、と本部へ手紙を出す。相楽の真剣さが伝わらないで、逆に「ニセ政府軍」という汚名を着せて、回りの農村に触れ回った。これは、誰がそうさせたか、はっきりしないが、岩倉具視なら味方も裏切るくらいのことは、目的のためならやりかねない。

純粋に維新のために必死になって「年貢半減」を叫び、100名の隊員同士を希望に燃えて、進軍してきたが、下諏訪の陣屋へ呼び出しを受け、彼らは自分達が首脳の意にそって進行してきた誠意を占めそうと出頭したら、全員がナワを掛けられ、反政府行為の罪人として捕らえられた。そして、岩倉具視の命により処刑された。

長く、反政府行為した罪人とされた。それを聞いて、妻は子供を相楽の母と姉に託して、自殺した。その孫の代になるまで、その陥れられた罪を背負ってきたが、昭和2年、ようやく維新の功労者だあると、名誉回復した。

その間、大山巌、板垣退助ら、事情がわかっている幹部も、相楽総三の名誉回復にそっぽを向いていた。

赤報隊 御一新年貢半減: nozawa22  参考文献 信濃に散る相楽総三  埋もれた歴史赤報隊(諏訪清陵高等学校図書委員会)

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赤報隊は、三グループ、合計で200名~300名を進発させた。そのときには、金100両(800万円程度)、小銃100挺を持たせて、出したと聞いている。倒幕軍としては、本隊を編成して追いかけたいのだが、隊員が揃わないし、資金がない。新政府の母体となる首脳、西郷隆盛、岩倉具視らが中心に金集めに奔走する。大商人らは、新政府の資金は年貢であるから、その年貢を担保にカネを出そうとした。

投稿: nozawa22 | 2011年8月29日 (月) 18時23分

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