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2010年3月20日 (土)

故郷の廃家 中津川市内を歩く

0568四つ目川(本町~新町)をつなぐ橋の上から恵那山(左)と前山(右)を望む。中央西線で中津川駅を降りると、誰もが恵那山を仰ぎ見る。「(ふるさとへ)帰ってきた」と思う。ちょうど「菜の花」が咲く季節だ。

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天気がはっきりしないと思っていた。3月は菜の花の咲くころだが、細道を歩いた少年の頃の思い出を辿ってみた。昼なのに、「おぼろ月夜」か、ガスって、恵那山がかすんでいた。

「夜明け前の町を歩く」展を元NTT郷土博物館でのぞく。国学の勉強をする人の多くが、倒幕思想に熱中していた様子が資料で示されていた。中仙道が幹線道路だったから、新政府軍の追討部隊の先導に中津の先覚者が指名され、その証拠に木札の鑑札が与えられた。その実物を見られて、少し感動した。

本町から新町へ架ける橋渡り、黒川屋酒店前から、左の花戸町へ下りていく。そこから右へ入る一人通るのでいっぱいの細道(写真下)がある。中津の町には、メインの街道以外は、なぜか、この手の細道が多い。

0582花戸町(右側に細道入口がある) 奥まった細道を左へ左へ右と、行く。すると、古い長屋があり、その一軒にK君一家が住んでいた。そこは高木医院の貸家だと聞いた気がする。それがどうなっているのだろう、と歩いていくと、実にそこは50年前のまま立っていた。が、もうそこは、誰も住んでいるようには見えなかった。

05860587K君の家はちょうど真ん中で、学校の先生のお姉さんと母親と暮らしていた。遊びに行ったら、炬燵の中で甘酒を造っているのだと言っていた。足を伸ばすと、おヒツに当るのが印象的だった。

彼は身長は高いし、マセていたから、小6では、クラス一のかわいい女の子から言い寄られたとか、高1で1年上の女の子からキスを迫られた話などがある。そっちの面では、他にいろいろ教えられることが多かった。高校卒業後、就職してすぐ結婚した。新婚家庭が浜松にあったので、泊めてもらい、奥さんともども3人でゴロ寝した。アレはいけなかったか。

0588 細道を抜けて通りへ出ると、昔からの病院、林医院の隣りに出た。ここ林医院の前は「五万石」という料理店、少し下がるとお菓子の「松月堂」がある。昭和20年代、そのカドで、近江絹糸デモ集会で名古屋から機動隊が来たのを見物した場所だ。近江絹糸「人権スト

玉蔵橋(木曽川) 栄枯盛衰 中津川市 中川 鮮さん 前中津川市長 旅先で味わう贅沢 故郷の人々 間家大正蔵 中津川市 本町界隈 中津川市

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    コメント

    四つ目川(本町~新町)をつなぐ橋の上から恵那山(左)と前山(右)を望む。

    投稿: | 2011年1月19日 (水) 11時21分

    はじめまして。わたしは現在の中津川市(旧恵那郡福岡町)出身、中津高校卒業生です。
    大河ドラマ以前より浅井長政が大好きで、たまたまブログを拝見、同郷とのことで親しみを感じ、コメント致しました。現在は、酒と歴史(なかでも戦国武将と城)をこよなく愛する俄か京女です(笑)
    これからも拝見したいと思いますので、よろしくお願いしますwink

    管理人より
     故郷へ帰ること、おありでしょうか。故郷をよろしく。今後とも、ブログをご支援ください。

    投稿: わかさん | 2011年8月10日 (水) 22時37分

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