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2010年3月28日 (日)

水木しげる ゲゲゲは滑舌から名付け

800pxnokonoshima_island_from_hakata なんでゲゲゲというか、「武良むらいしげる」が本名だが、幼いころ、滑舌がわるく「しげる」が「ゲゲる」としか他の人には聞こえなかったから、「ゲゲ」があだなになったという。

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水木 しげる(大正11年(1922年)3月8日 - ):漫画家。本名武良 茂(むら しげる)。鳥取県境港市出身。東京都調布市在住。

「水木」は、戦争から帰ってから、戦没者の慰霊塔つくる募金を集めているときに知り合いになった人から、「借金を肩代わりしてくれるなら、このアパートを譲る」といわれた住まいが水木町にあり、そこを拠点にして漫画を描くことになった。編集者が「武良むら」という本名を覚えず、「水木みずき」さんとしか呼ばないから、ついに「水木」を名乗ることになった。

美術学校在学中、復員兵救済募金旅行をするうちに中退。募金の途中で神戸市兵庫区水木通のアパートで家主に持ちかけられた、借金の肩代わりを条件にこの「アパート水木荘を譲り受け、貸家経営を始める。これで漫画家を集めて、「水木しげる」作品を量産体制になるはずだったが、アパートの経営も左前、漫画も売れないって状況になる。それは戦後の話。

加太 こうじ(かた こうじ、1918年1月11日 - 1998年3月13日)は、評論家、庶民文化研究家、紙芝居作家。
東京浅草・神吉町生まれ。本名は加太一松(かぶと かずまつ)。太平洋美術学校卒。高等小学校在学中の14歳で紙芝居の世界に入り、昭和初年、松永武雄から引き継いだ『黄金バット』などの作・画、興行に従事した。紙芝居衰退後の1960年ころから、庶民史、世相・風俗・文化史などの評論を始める。落語、犯罪、ヤクザ、遊興に関するものが多い。1986年、日本福祉大学教授。思想の科学社社長も務めた。また、神戸時代の水木しげるに紙芝居作家として道をつけたのも加太である。先祖に彰義隊士がいる。(Wikipedia)参照

すでにこのときは、左手を失っている。右手一本で人の三人分働いている。両手が揃っていたら、六人分働いていただろう、と水木しげるは豪語している。

200pxbuglerhsidelarge1 彼は21歳で徴兵され、最初ラッパ手になったが、うまく吹けないので、変えてほしいと願い出たら、南方行きになった。軍隊ラッパは、小学校の押入れにあったのを子供達が興味本位に吹いたがスーともウンとも音が出ない。相当要領と肺活量が必要である。Photo_2

02_2 これが水木しげるが送られたニューブリテン島ラバウルである。歌では「さらばラバウルよ。またくるまでは・・・」と日本の流行歌はヒットしたが、どこにその島があるのか、今ではさっぱりわからない。地図でいえば下のほうにある。日本の真南はるか1000キロのニューギニアの隣りの小さな島。九州と同じ程度の面積。

日露戦争(日本海海戦)で勝ち戦の端緒をつくった「敵艦見ユ」と打電した古い信濃丸に、大勢の補充兵と共に水木しげるらは積み込まれた。航海が始まると、アメリカ潜水艦に狙われたが、かろうじて無傷でラバウルへ到着した。

補充兵の身分では、船に乗せられても、この船がどこへ行くのか教えられない。蒙古で抑留された兵士の話しを聞いた時も、自分がどこを航海しているか、一切教えられないと老兵士は語っていた。水木しげるも、ラバウルへ着いてから、やっとソレを知ったらしい。兵には作戦に関する情報には、教えない。国家にとって、彼らは消耗品である。

支隊長の成瀬懿民少佐は玉砕戦法で戦うと命令したが、直属上官第二中隊長児玉清三中尉はその方針に逆らって、遊撃戦(ゲリラ)をやることにしたので、水木しげるの命が延びた。この上官の方針に逆らったという責めを負って、児玉清三中尉はその後自決した。

Snipe_return アメリカ海兵隊はニューブリテン島へは本格上陸作戦はせず、通過している。だが、その後、水木しげるの部隊は全滅するほどの戦いに遭遇する。装備の面で格段の差があるので、直接戦闘すると、勝つ見込みのない戦いになる。

300pxsuribachi_flag_nywts_edited アメリカの連合軍は、日本軍が太平洋に展開している島々が、作戦上本土襲撃の支障になる島を撃破していく。このときに活躍するのが、今沖縄で問題になっている海兵隊である。多くの兵を乗せ船で来て上陸して攻撃する、水陸両作戦のできる部隊である。皮肉なことに、日本との戦いの成功が、今も海兵隊の自信となっている。

水木はマラリアを発症し、療養中に敵機の爆撃を受けて左腕に重傷を負い、軍医によって麻酔のない状態で左腕切断手術を受けた。だがマラリアも負傷も快復して終戦を迎え、九死に一生を得て駆逐艦・雪風で日本本土へ復員。Wikipedia

マラリア(独語:Malaria、仏語:Paludisme):熱帯から亜熱帯に広く分布する原虫感染症。高熱や頭痛、吐き気などの症状が出る。悪性の場合は意識障害や腎不全などを起こし死亡する。瘧(おこり)とは、大抵このマラリアを指していた。Wikipedia

「アパート水木荘」の住人に紙芝居作家がいたことから、絵が描ける水木にはもってこいチャンス転がり込んだ。紙芝居の名人鈴木勝丸の阪神画報社を紹介してもらい、また有名な加太こうじと知り合った。紙芝居作品を多数描いた。そのころ、紙芝居は消耗品で、その作品を保存しておくことはなかったので、今水木の紙芝居作品は一作も残っていない。残っていたら、相当高価な値がつく。水木自身が手放さないだろう。

貧乏生活をしているとは親には話していない。故郷に住んでいる両親は心配して、40歳近い水木を島根県安来市出身の布枝夫人と見合いさせた。布枝夫人の母の弟である叔父が水木の遠縁だった。見合いから結婚式までわずか5日というスピード婚となった。

水木しげるが妖怪好きになったのは、武良家に手伝いに来ていた景山ふさという老婆の影響である。彼女ふさは、子供たちを集めては、お化けや妖怪や地獄の話をしてくれた。ふさは水木少年に現実にはない“もうひとつの世界”を教えた。ふさお婆さんは水木が小学5年生の時に死去した。

水木しげる腕失ったニューブリテン島 水木しげる ゲゲゲは滑舌から名付け: ゲゲゲの向井理28歳 彼の生き方: nozawa22   関東軍 機密費戦費まかなう阿片   ポツダム宣言 阿南惟幾VS東郷茂徳   反東條運動 松前重義に報復人事   ナゼ東條内閣ニにらまれたか 松前重義   キャリアの失言と愚将牟田口廉也   インパール作戦 陸軍の良心宮崎繁三郎   橋本艦長 回天出動せず 真夏のオリオン  太平洋戦争 開戦から学徒動員まで  海軍軍令部はどんな反省をしたのか   特攻艇震洋 SuicideBoatの戦果

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コメント

あいかわらず野澤さんの文章、読ませますね。面白くて食いついたら、すぐ終わっちゃってがっかり!この続きお願いします。

投稿: なお | 2010年3月29日 (月) 23時02分

読者様
水木しげる腕失ったニューブリテン島
ゲゲゲの向井理28歳 彼の生き方:
水木しげる 向井理
に関心あるかたへの読み物になっています。

投稿: | 2010年9月 4日 (土) 23時18分

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