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2010年3月25日 (木)

傷痍軍人という生き方

P2 傷痍しょうい軍人という言い方、最近聞くことは少なくなった。田舎の祭りになると、白衣を着た「傷痍軍人」が義足や義手をわざと見えるようにして、アコーデオンを弾いたりして、喜捨を求めて市の露店の中に一組や二組は見たものである。

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それを日本軍人の「面汚し」と見る向きもあった。しかし、保障が十分でないから、こうして哀れみを乞うのは仕方がない、と思ってもいた。

970b800wi_2 大人たちは、激戦地で戦ってきた人たちへ一概に侮蔑はできないから、そっと見守っていた。子供の私たちには、戦争の激戦を想像できないから、その目の前の義足への怖さがまず訴えているようでそっと見るしかなかった。

ウチで働いていた若い人も戦地へ出征して、帰国したときは、片足を失って松葉杖をついて来た。わが家の繁栄していた米屋は食糧統制令で立ち行かなくなっており、援助の手を差し伸べるほごの余裕もなかった。

Wounded_soldier_in_japan 多くの傷痍軍人は、収容施設で暮らしていたが、元気な人で楽器ができるとか、特技のある人は、祭りや市があると、稼ぎに出ていた。今、そういう人はめったいない。高齢で亡くなっているのだろう。靖国神社の境内にたまに見かける程度だ。

日本軍人で仲間が死んでいっているのに、おめおめと生き返って、戦死者たち英霊の前で人に哀れみを乞う生き方をしているのは、とてもできない。そう思う人がいた。

軍人の誇りを捨てるなんぞ、というが、「背に腹は変えられない」と思想の転換を図ることができたら、生き易い。どうなんだろう。思想堅固に軍人の誇りを守ることは、立派だが。生きられないなら、サッと思想という鎧を脱ぎ捨てる。これ、どうなんだろう。

いやいや、そんな理屈なんかどうでもいい。ジャングルで泥水を啜って生きのびたのと同様に、都会でも人のあざけりを受けながら、糊口をしのぐ。そのためになら、恥もさらす。戦争の無残さは、誇り高い皇国の兵士も、傷痍しょうい軍人となったのちは、かような姿にさせてしまう

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