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2010年2月25日 (木)

苦節11年 教師になる夢叶う

11 がんばれば、夢はかなう。という典型的な例をみて、挫けそうな希望に灯りがともる思いの人もいるだろう。

今の司法試験は三度しか受験できない。スルスルと合格する才走った連中しか、司法法曹界は受け付けない体質かもしれない。

人間の才能は、処理するのが早いのも大切だが、がんばってがんばり抜く才能も、大切だということを忘れているのではないか。特に、学校の勉強をうまく潜りぬけた連中は。がんばる人は、苦しみや悲しみを潜り抜けているだけに、人の気持ちがわかる気がする。

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今、学校の先生になることが非常に難しくなった。新卒で先生になる人は、知識あるかもしれないが、教育とは、生徒に教えるのは知識は三分、人間教育は七分だ、という面は新卒先生には荷が重い。

私の意見だが、学校の先生は最低でも、3年、平均して5年は社会で何か仕事をした経験のある人が教師になったほうが、社会に対応できる生徒を指導できるのではないか、と思っている。特に、人の上に立って、指導する立場の職業の人は、下積みの経験のある人のほうがいい。文科省のキャリアになる人は、そういう「先生」の中から希望して任官するのがいい。頭さえよければ、いい仕事ができるとは限らない。

知識は、あとからでも覚えられる。20歳過ぎてから九九を覚えても間に合う。必要になって覚えるのは、真剣になるはずだ。知識を習得する意欲が大事、毎日が勉強だと思うことだ。

多種多様な人材が、子供の見本になるときっと、子ども達はあんな人になりたい、こんな人になりたい、と思うに違いない。教職免許試験は、あまり意味がないように思う。

特に、十年たつと何ヶ月かの教職再履修で、教員の質を高めるなんてのは、まったくの無駄。そんな形式主義的な机上の勉強で身に付く能力はすぐ消える。

がんばる先生、ねばる先生、そういう才能は、秀才とは違って、誰でも手本にすることができる。凡才こそが社会の中核になるのだから、そういう人ががんばれば達成できる目標になる。

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