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2010年1月11日 (月)

年寄り度検査します

空気の通りのいい社会を目指すべき

 多くの戦前に子供時代を過ごした老爺さんの中には小学校で教えられたものをそのまま信じて変わらない人もいるそうですが、いかがですか。昭和二十年以後の教育は、日本人の教育ではないと思っている老人もいると聞きます。

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 天皇制反対なんていう日本人は、生かして置けないと未だに思う人がいるのです。この問題だけは、自由に物をいわせないと言う人が多いのです。自由に討論することをさせないのは、狭窄的な視野に陥っています。度量がないといわざるを得ないのです。
 多様な意見があり、その存在を認めることが、自分の尊厳を他人に認めてもらうことでもあるわけです。

あなたは、若い人、目下の人の意見に耳を傾けていられますか。
「自分の考え方は正しい」と、いつも思っていませんか
命令には従順でないと、「不逞の輩だ」と思っていませんか。
天皇を崇拝しない人に「日本を出ていけ」…と、怒鳴りたくなりませんか。
自分の意見に従わない若年者に腹を立てていませんか。

相手の尊厳を認めることが、住みやすい世の中を作っていくことになるのです。

 お年寄りに申し上げます。
 『意見を言う』は『意見をする』と似ていますがこれは天と地ほど違うのです。まったく内容も、考えも違うことを気付く人は少ないので困るのです。このことに言及しようと思ったのは、ある一通の葉書『目上の人には、意見を言うものではない…』という趣旨の文面に出会ったからです。
 この文面は、目上の人に向かって自分の意見の押しつけはいけない、といいたかったのだと思います。

 これに対して、一言いわせて頂きます。
 私は意見は戦わしてこそ意味を生ずる…意見をいい合うことは、腹蔵無く何でも吐露して、お互いの意見の長所を取り、次ぎなる高次の意見へ到達する。そう思うのです。
 『意見する』というのは上意下達であって,上から下へ強制的な意思の伝達であって、それに逆らうことは有り得ないという前提で、『意見する』のでなくては、言葉が成り立たないのです。ですから、目下から『意見する』というのは、年功序列の世界では「下克上」と考えられるのでしょう。

 目下の人の意見が例え立派でも、上司の意に沿わない考えで受入れがたい…ということで却下されるとしたら…この不条理に我慢できる人は少ないのです。我慢したら、その我慢したことは、自分の下の者へ順繰りに、報復的な仕打ちをすることになります。
 同じ立場でディスカッションを認めないのは、上意下達をのみ重んずる世界で、肩書の物言う所でしょう。一方的に『意見をする』のは、上に立つものには都合のいい世界です。
 『意見を言う』は、おおいに奨励して、コミニュケーション、空気の通りのいい社会を目指すべきだと思いませんか。

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