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2009年12月 2日 (水)

秋山仁 才能は努力についてくる

01 髭を生やし、長髪にバンダナを巻くスタイル。通称「レゲエ教授」。学者なのに、何考えているか、と旧価値観の人からは嫌がられている・・・と見える。駿台予備校で講師もしていた。生徒受けはいいのだろう。NHK高校講座「数学基礎」を担当している。11月30日朝日新聞参照

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秋山 仁(あきやま じん、1946年10月12日 - )は、東京都出身の数学者。東海大学教育開発研究所教授。専攻はグラフ理論、離散幾何学。上智大学大学院数学科を修了後、ミシガン大学数学客員研究員、日本医大助教授、東京理科大学教授、文部省教育課程審議会委員などを歴任。現在は、東海大学教育開発研究所所長、東海大学理学研究科教授、
Kテレビ・ラジオ講座講師など、幅広い数学教育に力を注いでいる。

00007 秋山仁の経歴は、あとから見るとすごいけれど、彼のしつこさという名の努力、つまり好きなことを諦めずに続けた結果、かな、という人生のように見える。才能がないわけではないが、それを引き出すまで、続いているから、その才能が開花した。そんな人生に見える。

高校時代、黒板に書かれた対数のlogを指差し「先生、その10グラムというのは何ですか?」と質問してしまい、あだ名が「10グラム男」になったというエピソードを明かしている。小学生の頃もあまり秀でた成績ではなかったというが、中学2年の時に夏休みの自由研究で正多面体が五種類しかないことを証明して先生を驚かせた。

秋山仁、以下のようなことを言っている
 
たしかに学生時代は良い成績と悪い成績の差が非常に激しかったですね。同じ教科の中でも、好きな単元の試験は良い点数だけど、興味の無い単元の時はひどいものでした。ビリもあったかもしれない(笑)。ただ点数はともかく、数学は一貫して好きでした。数学者の道を選んだのは、小、中、高と良い先生に出会えたのが大きく影響しています。特に高校の数学の先生には強く憧れて、「よし、オレも数学者になって未解決問題を解明してやろう」という気になりましたね。あとは、女の子にモテたいという不純な動機も少々(笑)。

00004 四角いタイヤの自転車を持ってきて、こぐようにいうが、前に進まない。それをどうしたら進むか、それはタイヤではなく、接地面を代えるという発想をする。発想を変えたら、四角いタイヤで進む。

00006_2  それが、こちらの写真、四角いタイヤの一辺と道路の円の部分と長さが一致していると、自転車の高さが変らず、スムースに進む。それは不思議なほどである。

中学生相手の数学をNHK教育で放送していたのを見ていたら、6枚のカードから一枚を引かせて、それを当てるゲームだった。それを観客に見せて、それを6枚の中に挿入して、(秋山は、6枚の下から2枚目へ)再び観客の前に出して、一番上は最後へ回し、次を捨てる。再び、一番上は最後へ回し、次を捨てる。と、繰り返すと、最後に引かせたカードが残る。

残るのは、1枚なら1枚目。2枚なら1枚目。3枚なら3枚目、4枚なら1枚目。5枚なら3枚目。6枚なら5枚目。7枚なら7枚目。これを書いて規則性を見出して、6枚なら下から二番目に挿入して、それを手品にして驚かせる。文字で書いて説明すると、あまり説得できないが、目の前でやって見せると小、中学生相手の手品になる。

彼の言葉で「私は才能がないのにあきらめが悪く、数学を続けてきた。でもあきらめないで努力を重ねていると才能はそっとついてくるんだね」というのが、非常に心打たれた。

人の才能はみんな人間には備わっているのだろう。それを開花させる努力か、師に恵まれたとか、何か挫折したのは、それが欠けていたに違いない。

07 トントンとうまく行った人は、数年で芽が出ないとあきらめさせる傾向がある。粘って粘って、好きこそものの上手なれ、というように好きなことに時間をかけさせるゆとりがないのが問題だね。司法試験は5年以内に3回受験する制度らしいが、これは人生に制限かけているようなものだ。すくなくとも十年で8回くらい受けさせてもいいだろう。粘る人間の価値をもっと評価するべきだ。

中高年相手の講演では、アメリカの詩人サミュエル・ウエルマンの「青春とは、人生のある期間ではなく、心模様をいうのである」という言葉、「青春」の冒頭を引用する。

Img169_2 若者相手の講演では、「くすぶっていないで挑戦しろよ!と声かける。子供の頃挫折したものがあるだろう。とりあえず、もう一度挑戦しろよ!」という。秋山仁自身、大学生のときアコーデオンで挫折したから、30年ぶりに再挑戦して、弾けるようになった。伴奏の左手操作が難しく投げ出していたが、ようやく弾けるようになった。ミニリサイタルでは、「河は呼んでいる」「百万本のバラ」を弾いて歌っている。

夢と希望があれば、人生はいつでも青春だ。定年の65歳からが本当の青春だ。と、秋山仁はいう。

エピソード紹介 2003年11月21日、福岡県築上郡椎田町の椎田中学校体育館落成式の記念講演に呼ばれるはずだったが、依頼側の手違いで当日には別人の、元プロ野球選手の秋山幸二が現れるという珍事件が発生。学校関係者により「よければ講演していただけませんか」と低身要請され壇上にあがるが、前年まで地元福岡県の福岡ダイエーホークスの中心選手だった秋山幸二の登場はこれ以上ない「嬉しいハプニング」だったとのこと。マスコミの取材には、「私が秋山幸二さんと間違えられるのは大変光栄な事です」とコメントした。後日京都大学で講演を行った秋山仁は、壇上に上がると「こんにちは、秋山幸二です」と言って聴衆を笑わせた。

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コメント

秋山仁が由美かおろと付き合っているとニュースになっている。ほほえましい。彼らの老後は、仲良くひなたぼっこできることを期待する。
 あんなお付合いができるのは、うらやましい。「同窓会」以上のインパクトある。

投稿: nozawa22 | 2010年6月11日 (金) 01時10分

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