« 中津川豪商 生き方 杢右衛門と半兵衛 | トップページ | スザンヌのスキ キライ Oリングの法則  »

2009年12月21日 (月)

命とは、駅伝の一区間だ

03 死は誰にも、公平にやってくる。死から逃れて、物置の長持ちの中に清少納や紫式部がお婆さん姿でいたら、驚くだろうね。戦国時代の落ち武者が隠れていたりして、「メシをくれ」と神社の陰にいたら、スゲえ名所になる。そういうコトは、まずありない。

今年だけでも、最近だけでも、森繁久弥は長生きといっても、96歳で死んだ。南田洋子も認知症だといわれて遂に亡くなった。

まず、100歳になる前に大体はくたばるようになっている。人のことはいいが、自分のことだ。老境になって、死は覚悟して待つ姿勢ができていなと、ジタバタしてしまう。

☆今後とも、励ましクリックよろしくね!
   ↓   ↓

人気blogランキングへ  ご感想  お書きください

ある有名な話だが、いや、作り話かもしれないが、高名な僧侶が入院して検査したら、ガンだとわかった。その結果を医師は告知したそうだ。患者は高名な僧侶なのだから、はっきりと「あと数か月の命です」告知したそうだ。

その日以来、その僧侶は食欲もなくなり、気がふさぎがちになり、余命より早く亡くなった。と、いう話だ。どれだけ真実か分かりませんが、見た目や肩書と人間は違うかもしれない。

一つ提案ですが、死ぬ権利はないのか、と前々から思っている。人間の尊厳を踏みにじる提案だといわれる覚悟で、どんな反論が来るか、楽しみである

死にたい人は、「生存権を放棄します」という届を出すと、身辺調査をして、生存管理事務所がOKしたら、『死』権を得て、病院において死ぬ手続きをする。目、内臓、骨、心臓、肝臓などほしい人に臓器提供する。それで、数千万円を得るから、借金のある人は清算できる。寄付さえできる。生きにくい世の中から、退散できるシステムがあってもいいかもしれない、と思っている。

ホームレス生活者を見ていると、生きていくのも、たいへんなんだから、まあ、自分で食い扶持を稼いで、自分を食わせていくのは、年寄りは食うものは少なくてもいいが、それでも収入がないと生きてはいけない。病気にもなったら、案外カネがかかるから、ボヤボヤしていられない。

この世での楽しみがないと、張り合いがない。ストレスのかかるような、辛いことが降りかかるなら、さっさとあの世に行きたいと思っても、不思議ではない。生きることが義務?適当に切り上げて、サヨナラしたいと思うことがないわけではない。

そうは言っても、痛いとか、苦しい思いをして死にたいと思うほど、死は楽しいわけではないから・・・と、目の前に消極的な生き方しかないのは、工夫か、知恵がたりないかもしれない。生きている間の楽しみを作る、という積極的な生き方をしないと、折角の命に申し訳ない。

命は駅伝、私は命のたすきを受け取って、誕生はスタートだし、死はゴール、そして子孫へバトンを渡すことだと思っている。一区間だけが私の走る場所だ。自分の分を走り終えると、やったー!と大声上げたい気持ちで、「走り終えた」と安堵感と喜びがあるような気がする。

だから、死は命の終わりは、決して悲劇の極致とは違うよ。悲惨な殺され方とか、不慮の死とは別かもしれないが。寿命が尽きて死ぬのは、電池切れで、朝ごはん食べてコタツに当っていて、寝たかな・・と思ったら息していなかった。そんな切れ方が一番いいような気がする。

医者から死の告知されても驚かないのではないか。ただ、生きている間に知り合えて人への挨拶状でも用意する時間だけがほしい。だから、家族に知らせたら、隠さないで患者の私にも知らせてください。という方針で、最後、結末を自分でつけたいもの。ま、始末して処理しておきたいものが、ないわけではないゆえ。

☆今後とも、励ましクリックよろしくね!
   ↓   ↓

人気blogランキングへ  ご感想  お書きください

人気ブログランキングへ

|

« 中津川豪商 生き方 杢右衛門と半兵衛 | トップページ | スザンヌのスキ キライ Oリングの法則  »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 中津川豪商 生き方 杢右衛門と半兵衛 | トップページ | スザンヌのスキ キライ Oリングの法則  »