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2009年11月28日 (土)

憲政記念館と国会前庭

03 三、四時間余裕があったら、できることは何か。「ちい散歩」で紹介していた国会周辺へ行ってみた。

04 先日は、重要文化財旧朝倉家(代官山)を見に行った。きょうは、憲政会館と国会前庭へ出かけた。警察官があちこちにいて、100人どころではない。こんなに警備にカネをかけなきゃいけないのか、と嘆かわしい。

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本当は参議院を見たかったのだが、参議院なら予約なしに中を案内してもらえると聞いたから、行ったのだが、土日祝日は休みだという。国会はお役所そのもだ。それでは国会前庭をみようと出かけると、憲政会館から見学者が出てくるから、「見られますか?」と聞くと、丁寧に入口を教えてくれた。

8807 憲政会館は無料、尾崎行雄記念館ともいえる場所。尾崎行雄は、衆議院に当選25回、60年も在籍して昭和35年に憲政の功労者としてここに記念館ができ、のちに吸収合併して憲政記念館となった・・・という。福澤諭吉の弟子を追い出されるような形で新潟の新聞社へ就職したのは、どこかで読んだ。20歳で結婚した女性が病死後、再婚したのが、この女性テオドラ。ハーフだった女性で、尾崎は家庭のなかでは、英語で話しをしていた。

明治7年(1874年)に弟と共に上京し慶應義塾童児局に入学するやいなや塾長の福澤諭吉に認められ、十二級の最下級から最上級生となるが、直ちに世の中で役に立つ学問を求めた尾崎は、反駁する論文を執筆して退学し、明治9年(1876年)に工学寮(現・東京大学工学部)に再入学するも学風の違いや理化学へのいやけから「曙新聞」などに薩摩藩の横暴を批判する投書を始め、それがいずれも好評を博したため、一年足らずで退学。その後、慶應義塾に戻り、朝吹英二が経営した『民間雑誌』の編集に携わり、1879年には福沢諭吉の推薦で新潟新聞の主筆となる。Wikipediaから参照

難民を助ける会創立者の相馬雪香は、英国育ちの妻テオドラとの間に生まれた三女で相馬藩第三十二代当主・相馬恵胤の妻。Wikipediaから参照

8790 議場体験コーナーでは、議長席に似た演台と議席が作られている。それが、一番の見もの。それ以外は、コンピュータで議員の身分の説明とか、誰8794 でも知っているようなことを社会科的な説明が出てくるだけで、面白くない。有名大物総理の声を聞かせる設備も、やや古くなった、と思わせる。

8813 尾崎行雄の憲政記念館を出ると、庭が素晴らしい。これが、案外知られていないから、荒らされていない。掃除も行き届き、子供の遊具は一切ないから、大人用の庭である。

8863 雀も、カラスも、人を恐れない。普段見るより近づいている。雀は近くても逃げないし、群れている。カラスも、街中に住んでいるのより、堂々と近くに来て餌を探している。

88318818秋の気配が味わえる。一人自転車できて、ベンチに坐っている青年がいた。歳のころは8821 30代半ば過ぎの男性、いい自転車にのってきていた。聞いたら、四谷から、という。都心に住んでいる人にとって、サイクリングで都内の自然の豊かな場所はあるもんだ。一人サイクリングは、この人独身だな、という印象だ。ちょっと贅沢な余暇の過ごし方でもある。

883588458851 国会前庭の中へ国会議員が散歩に来るはずもないだろうか、水が引かれて、ここは餌となる魚もいるのか、カモが家族単位でのんびり泳いでいる。この緩やかな時間の流れが、きょうのような好天の日には、散歩はいいものである。

尾崎行雄と福澤諭吉

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