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2009年10月27日 (火)

直接民主主義 区議市議会は不要

8059_2  年金などを「朝までテレビ」で30代若者と50代60代の論争しているとき、世代間の格差を話し合っていても意味がない、と一人の30代後半の男が2055年あたりになったら、北半球はひどいことになる。無年金だけが主要の問題ではない。我々の持っている技術で解決していかなければならない。

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と主張した流れで、インターネットを使えば、小さな人口で数万単位の市町村は選挙して市議会、区議会はいらないのではないか、と話し始めたら年配の方からも賛成意見が出てきた。

    「ネットがあれば政治家いらない」東浩紀「SNS直接民主制」提案 (J-CAST)
インターネットというテクノロジーは10万人規模の直接民主制を可能にする。基礎自治体(市町村)のいくつかはミクシィ(mixi)とかのSNSで運営すればいい――。批評家の東浩紀さん(38)が深夜のテレビ番組で「政治の未来像」について大胆な提案をした。「そうなれば、政治家は今ほど必要ないのではないか」というのだ。

インターネット民主主義を主張するだけあって、彼がやったわけではないだろうが、手回しのいいことにインフォーシークinfoseekのニュースに彼が主張した内容がほぼ正確に載っている。

インターネットで「直接民主主義」と調べると、永井俊哉という人がそのことを研究しているようだ。確か、ギリシャでは直接民主主義をやっていて、えらく混乱したことは世界史で勉強したが、その愚を克服することは、今ならできるのではないか。こういうのはシロウト考えの方が、専門家にやらせるよりいい考えが出るような気がする。

50人の学級会が間接民主主義になることはない。私の中学では、一ケ月に1回は全校集会があった。それをアッセンブリーassemblyと呼んでいた。あの当時、なにかにつけて英語をつかっていた。Dean室というこわい部屋があった。問題生徒を呼んで注意する部屋だと思っていたが、今調べると学部長室という意味だ。

アッセンブリーは全体で1500人生徒がいるので、体育館兼講堂で、議長は生徒会長だったと思うが壇上にいて、ヒラバにいる生徒に意見を求める形で、いわば直接民主主義の討論をやっていた。教室の中で行われる学級会では意見をいう人も、このアッセンブリーの雰囲気に呑まれて、挙手する人は少なかった。

ましてや、一年生になったばかりでは、意見をまとめるのも、挙手するのも。立ち上がって声を張り上げるのも、勇気がいる。これを考えると躊躇してしまう。

遠足の経費の制限だったと思うが、意見を求めても誰も挙手しないから、私は何も回りを見ないで挙手してしまったら、一年生から意見がでることはあまりないから、議長に指名された。

立って言いはじめれば、あとは教室で意見をいうのと同じだから、堂ってことも無く、1分もしゃべっただろうか、そう長くもない発言で終わった。私の口火で、それからは、挙手する人が出始めた。

直接民主主義の討論は、高校も、その後もあまりなかった。日本の風習では、黙っていて長いものには巻かれる式で、大勢に従うほうが波風が立たない、そう思われている。意見をいう人より、根回しがあって、議決はおまけみたいな政治風土が当然のように思われて、インターネット民主主義が根付くだろうか。

今でも、最高裁裁判官の国民審査など、まったく無駄な経費をかけている。あんなのは、インターネット投票に馴染むような気がする。または、代表100人くらいで中身の審査して決めたらいい。案外ボケたことを堂々という意見を平気でいうヤカラがいる。

インターネットの進歩で、市議会など、多くの市民が家から意見を言えるシステムで、多様な意見を流しこめるようにしたら正確な市民の意見が上がってくる。このようにインターネットを活用が増えているから、これに対応できない年配者が落伍していくのはカバーしなければならないが。

小学1年生からパソコンを使う勉強をしていると聞いた。50代になってパソコンを始めて知った世代とは、まるで世界観が違うだろう。今ある制度の問題点すら気づかない人が多い。

直接民主主義をインターネットで修正しての拡大民主主義を広げたら、安く市議会など運営できる。考えたらいいと思うよ。

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