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2009年9月15日 (火)

党派を超えた恋 園田直と松谷天光光

6629 松谷天光光まつたにてんこうこうが、昭和21年婦人参政権が得られた最初の選挙で当選した。婦人は79名立候補して、36人が当選した。28歳と女性という目新しさで当選した。天光光では、男か、女かわからないので、選挙管理委員会で「女性」と書くことを許可したのが、トクだった。

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28歳なら、長崎2区福田衣里子ご同じ歳か。最年少だったという。天光光てんこうこう、の天光光=宇宙の光、光=世の中の光、という意味で、父親のつけた名前。次女「天星丸」(てんほしまる)、三女「天飛人」(あまひと)といずれも個性的な命名。6606

終戦直後(昭和20年10月1日)の朝、、ラジオ放送で復員軍人の投書で、上野の京成へつながる地下道には、浮浪児がいて毎日死人が出ると聞いて、品川から父親と見に行ったそうだ。その惨状を見て、その足で街頭演説をして呼びかけた。そこで共鳴した人と「餓死防衛同盟」をつくった。食料の調達ルートの開拓や、官庁・議会への陳情・デモもやった。

6636 都会では、食料を得る方法を知らない子供には、生きることは厳しい。田舎にいた私たちでも、ご飯を少し入れ、それに水と大根、食べられる木びょうぶの葉などで量を増やして、雑炊にして食うのが当たり前だった。それでも、食えるものがあるのは幸せだった。一家の稼ぎ手のいない家庭では、栄養失調になる子がいた。昭和20年頃、私たちが宮前神社で遊んでいると、栄養失調でおなかが異様に膨らんで手足が細い子が、ぼやとして見ていた。日本でも、栄養失調のアフリカの子供いた。そんな状態が日本にあった。小学校の頃も弁当を持ってこられない人がクラスに数人いた。弁当の時間になると、その人たちは、運動場の鉄棒の前でぼんやりしていた。

6623婦人参政権が与えられた最初の選挙に立候補して、旧東京2区から餓死防衛同盟で立候補し当選、社会党へ入党したが、片山内閣のあとの芦田内閣(民主党、社会党、国民協同党連立内閣)で、松谷天光光は予算案に反対して除名され、労農党へ移る。

そのころ、1949年、民主党の妻子ある青年代議士・園田直との恋愛が発覚、白亜の恋としてマスコミを賑わせた。やがて妊娠という「厳粛なる事実」が明らかになり、駆け落ち同然に同棲、結婚した。同年中に出産。現職国会議員の妊娠・出産は憲政史上初めての出来事であった。Wikipedia園田天光光より引用

66056605_2Yamamoto_mona既に結婚して5人の子供があった園田直すなおは、子供は1人で、今の妻とは別れるから、と口説いて既成事実を作ってしまった。28歳か 30歳くらいの娘を口説くくらいは、39歳の園田直には難しいことではなかったようだ。この経緯を見ていると、名前を上げては申し訳ないが、細野豪志が山本モナと路上チューをしていた事実と重なる。政治を志す人は、概して、「(英雄)色を好む」タイプが多いと拝察する。

6647 野田聖子(郵政選挙の際、内助の功で協力してもらった参議院議員の彼とは解消)も丸川珠代も、同じ政党でまとまっていたが、園田直は民主党で、松谷天光光は労農党で、政党が違う。保守と革新である。白亜の恋とか、ずいぶん騒がれた。「厳粛な事実」という発言は同僚女性議員から出た。

6619 園田天光光の生き方は、現代の女性代議士の先例。福田衣里子が上京して議員になって、結婚というささやきをかけられるだろう。そのときどう対処するか、気にかかる。野田聖子のように、彼を振り回すか、落選した大塚拓を励ます丸川珠代のような姉さん女房風になっていくか。

6604 園田直は、マリアナ諸島で終戦を迎え、挺進第1連隊第2中隊長等を務め、(うじきつよしの父と同じ)陸軍大尉だった。戦後、一町田村助役・同村長・を経て衆議院議員に当選している。人生、人の一回分をやっている。だから、一度地獄を見ているから、結婚したり、子供をつくるくらいのことは、小事だったろう。

園田直は、外務大臣として、田中角栄と中国との平和条約締結をやっている。周恩来と握手しているのは、彼だ。水俣病の公害病認定でも、企業と対立する国の姿勢を示した。

6675 妻は二度目だと思ったら、3人目であった。子供は一人だと思っていたら、5人いた。彼女がそれを詰め寄ったら、「子供5人だと言ったら、結婚してくれたか?」といい、君を妻にしたいから、ウソをついた、と堂々としてる。天光光も、自分で解決するしか、解決は出来ないと悟る。

父親がステージママ然として、彼女の代議士になるまで、英才教育しているようで、彼女の生き方に干渉している。

5ef04aaad653f010家出同然で結婚し、前妻から男を奪った形になり、世間のヒンシュクを買って、これが原因だろう、その後、四回落選している。しかし、遂に、不倫の恋を成就させてしまった。糟糠の妻は病床の園田の父(舅)の面倒を見ていたから、天光光は総攻撃され、誰も認めない状態である。3回衆議院議員に当選しちたが、それでは、選挙に出てもとても当選できないだろう。畑恵と結婚した船田元のケースに似ている。

6674 落選4回した後は、園田直の内助に徹している。しかし、1984年、園田直が死亡して、後釜後継者として、熊本二区で腹違いの息子、園田博之が無所属で立候補した。それに対抗して、(自民党中曽根派から)園田天光光が立候補した。骨肉の争いと、マスコミで大騒ぎだった。しかし、結果は、息子の園田博之の大勝に終わった。息子は現在2009年も衆議院選挙(熊本4区)で、自民党議員でトップ当選している。

その後、天光光は、選挙には出ていない。

6672 90歳、杖はついているが、元気だ。久しぶりにテレビに出たのか、元気な様子、言葉も明瞭で、インタビューを受けている。人に会ってモノをいうのが、楽しそうだ。

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コメント

 天光光の身内の者である。
 たまたまこの記事が目に止まったので読んでみた。私が今まで見たこの手の記事の中では、真実に近い方だと思う。よく調べてあるし、書き手の方が高齢のようだから、リアルタイムでご存じだったこともあるのだろう。
 確かに天光光の結婚問題は、男女のどろどろの関係と思われがちだが、彼女があの結婚に踏み込んだ理由の大きな部分には、時代的な背景がある。ステージママと言われた彼女の父親は、当時としては進歩的な人で、娘の誰に対しても、結婚を強要していなかった。それぞれがひとりの人間として自立することを望んでいた。天光光の結婚に反対したのは当然だが(それはあの父親でなくても反対すると思うが)父親は天光光が早々に離婚し、子供を連れて戻ってくることを切に望んでいた。彼女の父、そして家族は、両手を広げて、彼女と子供の帰還を待っていた。そして、彼女の政治家としての活動を全力でバックアップするつもりだった。当時としては、望むべくもない、良い環境がそこにあったはずだ。
 それでも天光光が結婚に走ったのは、男女のことだけでなく、夢のためであったと思う。当時の政界には、例え鳴り物入りのデビューであったとしても、女性代議士が大臣にまで上り詰める道はなかった。彼女にどれほど政治の理想があっても、それを実現できる方策がなかった。だが、園田直ならば、それが出来る可能性があった。彼女はその可能性を信じた。二人の間では、男女の関係とは別に、政治的な同志、戦友としての認識があった。だから彼女は、自分の夢を叶えるために、敢えて女だけが出来る方法を選んだ。そしてそれは、当時女が仕事を成し得ようとしたとき、選びうる数少ない方法の一つでもあった。それは、結婚という形で、園田のもっとも近くで相棒として、同志として、働く場を得ることだった。だから園田直にとって、天光光は、常に筆頭秘書だった。
と言う事だそうだ。
現代の女性議員と比較するなら、悪い男達に引っかかるかどうかと言う心配より、こういう話を書いてもらいたい。現代はこんな形でなくても自己実現は出来るけれども、しかしこんな形であっても夢を叶えたいという強い意志が、当時の女性にはあった。可能性が狭められた時代であったからこそ、その熱意はより熱いものだった。その結果は非難されても仕方のない事もあったけれど、でも彼女は、満足だったと思う。実際泣き言など聞いたことはない。
 このエネルギーが、現代の女性にあるだろうか。

投稿: 通りすがり | 2010年3月27日 (土) 02時57分

はじめまして、こんにちわ。

私、園田天光光さんについて、
調べている者です。
2009.9.15の、
園田天光光さんについての記事を
読ませていただきました。
あちらのブログに掲載されていた資料、
園田さんや、女性の選挙活動風景の
元映像(番組名、日付等)はおわかりでしょうか。
もしご存知でしたら、教えていただきたいのですが・・。

大変申し訳ございませんが、
ご返信いただければ幸いに思います。

どうぞよろしくお願い申し上げます。


投稿: MT | 2010年8月22日 (日) 04時40分

>天光光の身内の者である。
尊大ワロス
周りの人間が本人の印象悪くしてどうすんの?身内のふりをした敵かよw

管理人より
コメントの趣旨がわかりません。
印象悪くしているどの箇所をお書きください。
2週間以内に、その返信がない場合は、このコメントを削除します。

投稿: | 2011年11月29日 (火) 08時04分

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