« くわばたおはら小原正子 恋愛遍歴 | トップページ | ポリアミン効果、慢性腫瘍に効く »

2009年9月17日 (木)

鳩山一郎後援会長だった叔父

52_hatoyamai鳩山由紀夫が総理に選出され、鳩山家とのつながりを思い出した。私が文京区の叔母の家に住んでいたころ、死んだ叔父が鳩山一郎の選挙のたびに、店を放り出して、鳩山一郎後援会に夢中だった。という話をよくしていた。

叔父は駒込病院のすぐ近く、文京区動坂でお針子を集めて洋装店を経営していた。店の名前はホワイトタイガー(白虎)の名の通り、福島の出身だった。戦前叔母は東京へ出てから、写真館をやっていた叔父と叔母は結婚した。その後、とどういう経緯で洋装店になったか知らないが、戦後は洋装店だった。私が上京したときは、叔父は死んで、洋装店は片付いていた。

☆今後とも、励ましクリックよろしくね!
   ↓   ↓
人気blogランキングへ  ご感想  お書きください

戦時中、多くの人が疎開していなくなるのに、叔父は文京区動坂で頑張りぬいたから、町内会の活動で名を上げたのだろう。音羽町御殿のある文京区に住んでいる関係で、文京区を選挙地盤にしている鳩山家では目をかけてくれたのだろう。

戦時中、駒込病院の敷地に地元の人が逃げ込める大きな防空壕があった。その防空壕へ米軍機から直撃弾が落とされ、近所の人が多く亡くなった。そのときの町会長は叔父だった。文京区の町も、焼け野原であの辺から富士見坂もあるくらいだが、富士山がよく見えた。

いなくなった家の跡地を不法占拠されないように留守番するのも、町会長の役目であった。泊まるところもない人がけっこう大勢いた時代には、不法占拠してバラックつくる人も多かった。叔父は町会活動には貢献していたが、ウチでは暴君で、叔母は小さくなっていた。洋装店だから、お針子が大勢同居していた。子供をはらませ、生ませたのちは、叔母はますます肩身が狭い立場に追いやられていた。

外では違う顔を見せていた。後援会では、特に張り切って活動していた。おぼっちゃま育ちの一郎氏には、汚れ作業というか、町の人に投票を頼むとか、ビラ貼りなどなど、後援会が一括して行っていた。その統括して、いろんな場所に顔を出し、鳩山一郎の名刺で行動していた。鳩山一郎も叔父には感謝していただろう。

叔父は、彼のプライドをうまくくすぐるように地位や権力が目の前にあったから、親分に対しては絶対忠実であったし、大いにがんばったのだと思う。選挙区の文京区においては、鳩山一郎の足元の危なくなる事態は一度もなかった。

鳩山一郎後援会会長という肩書きは、社会的にも効力があった。叔父は文京区にある女子高へ乗り込んで、校長に談判して、すでに入学試験が終わっているところへ押し込んだ。それは昭和20年代の頃だからできたのだろうが、ずいぶん強引だ。鳩山一郎に恩義を売ることが、学校法人として、メリットはないわけではないから、とも思えるが。

叔父は昭和30年ころからガンになり、入院していた。その頃、まだ鳩山一郎はまだ健在で衆議院議員であった。病気が重篤になったころ、鳩山一郎は足が悪いのを押して新宿の東京医科大へ叔父を見舞いに来てくれた。鳩山一郎の信奉者であった叔父は大いに感動した、と叔母に聞いた。

それから、まもなく叔父は亡くなり、数年して鳩山一郎も 亡くなった。時は流れ、鳩山家には孫、鳩山由紀夫が総理になった。小さくなっていた叔母も、その後、叔父の死後、長く生きたが平成初年、92歳で亡くなった。

鳩山邸で一族発展の秘密を探る 

☆今後とも、励ましクリックよろしくね!
   ↓   ↓
人気blogランキングへ  ご感想  お書きください

|

« くわばたおはら小原正子 恋愛遍歴 | トップページ | ポリアミン効果、慢性腫瘍に効く »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« くわばたおはら小原正子 恋愛遍歴 | トップページ | ポリアミン効果、慢性腫瘍に効く »