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2009年9月 5日 (土)

昔の子供はどんな遊びをしたか

空気銃ですずめを撃つのは、中学生くらいで、アレは高かったから、戦前から持っているものを持ち出してきて。打っていたのかもしれない。耳に穴の開いた子は、空気銃で撃ち抜かれたといっていた。近くに空き缶を置いて競っていた。昭和28年頃で、空気銃は一丁4000円くらいだった。

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空気銃は子供は持てないから、ゴムかん(標準語ではパチンコ)がはやった。あれでも、技術が上がれば雀を撃ち落せる。それが発展して木製銃になる。これは雑誌に載っていたのを近所の聖ちゃんが図面を見て作ったのを近所の子が真似して、作ったのだ。私が作ったのは中2くらいだった。農繁期(職業実習期間)の休みは学校の工作室へ通って、といっても一日で作ってしまったが。

それは、パチンコを大がかりにしたもので、強力なもので、狙いが安定したから、雀には脅威な武器になったと思う。木銃になってから、二日に一羽は落ちるようになった。

最初おとしたのは、雀ではなかったが、それをまだ息のあるうちに捕まえて籠にいれたが、しばらくしたら死んでしまったから捨てた。その後は、雀だけを打っては毛をムシってそれをフロの釜で焼いて、醤油つけると非常にうまかった。

魚スキによくいった。これは小学生5年、6年ころだ。子供の捕まえることのできるのは、ドウゼン(川のはぜ)、あとはドジョウ、ハヤのようなスピードのある魚はなかなか捕まえるのは難しい。三角網を川の中へ魚の方向にあわせてバシャっとやると一匹釣りでもしないとつれないレベルの大きさのハヤが取れたことがあった。あれは嬉しかった。三角網の中でピンピンと跳ねて逃げ出しそうだったので、慌てて魚を押さえつけた。最高の喜びで、未だに忘れない。

その後は、ヤスで魚を突くことを覚えた後は、大きい魚を取りたいと思った。道路から見える池の30センチくらいの鯉を狙って刺したら、鯉に刺さって、慌てた。単なる遊びで鯉を刺して「どうしょう?」あわてて、その鯉を引き上げ、池の主に見つからないように、横に流れている川へ放りだしてから逃げた。あんなよその池の鯉が簡単に刺さって抜けなるなるとは思わないので、驚いた。

池の中に何匹いるか、大抵は数はわからないから、誰にとがめられることはなかったが、雀打ちは寺の境内でやっていた時は、寺の坊さんに追いかけられた。西照寺のウラ庭は雀が安心できる場所らしく雀が集まっていた。ゴムかんで打っていたら、友人と二人でバッシ、バッシと打っていたら、いつもなら声だけで追い払われるのが、若い坊さんが出てきたので、逃げた。O君は足に自信があるから、私は彼にしんがりを頼んでゆっくり逃げてもらい、坊さんをひきつけている間に、私の方が先に逃げた。この時は、坊さんが近づいて時に彼は全速力で逃げたので、私も彼もつかまらなかった。

昔は大人が真剣に子供を捕まえようとする人がいた。このときも、O君と一緒に水鉄砲で、ねぎ畑にいた。ネギ葉って、中が空洞になっているのが面白くて、その空洞に水を入れていた。真剣に遊んでいたら、背後に人がくるのに気づかずに、大沢のおじさんに二人とも、首根っこつかまれてしまった。

お百姓さんの丹精こめて作っているネギをダメにしてしまう遊びは、大人からみれば、とんでもないことだ。やったらいけないことをよくやって、怒られていた。

本州製紙の直通列車のレールがあった。中津駅と工場をつながっている線路の上に近所の田んぼで捕まえたトノサマガエルを並べて轢かせてペチャンコになるを楽しんだ。残酷な遊びであった。麦わらストローで肛門から空気を入れて膨らませる遊びもあた。

杉の子鉄砲も、今なら花粉症に確実なるだろう状況であるのに、なぜか平気で遊んでいた。

木曽川では遊泳禁止である場所で遊んでいた。4年生で泳げなかったが、近所に兄貴分の人数人一緒に来ていた。あそこには砂浜があるが、遠浅でなかった。どうなっているのか、どんどんと沖に向って歩いていたら、急に深くなったところに近づいたら、フワーっと流されてしまった。オッと危ない・・・流される。

それを見ていたのが、一番屈強なお兄さん、向えの小倉の兄さんだったので、慌てて掴まえてくれたから、助かった。20歳位で一番大人だった。私は昔の10歳4年生はひ弱で、泳げないのだから、気づかれなかったら、完全に木曽川の水に飲み込まれたと思う。私にはあまり危機感がなかったが、大人だった小倉の兄さんは最年長だったから、責任感があったのだろう。相当ショックだったようで、しばらくはそのことを言っていた。

死にそうになったのは、これ以外、トラックにぶつかりそうになった。ぶつかったんだけど、びぜんやの隣りの洋装小物が売っている店のなかで鬼ごっこをやっていて、店の外へ飛び出したら、そこへトラックがちょうど走ってきて、私が店を飛び出したのと同時で鉢合わせ、私の手はトラックの前輪の泥除けに触ってしまうほどで、運転手はサッとブレーキを掛けた。だから轢かれることななかったが、危ない。危機一髪だった。

子供頃のワルガキは、ひどいこともしたし、危ない目にもあっている。よく生きのびてきたものだ。まだまだ、田舎にいる間には、危ない経験は一杯している。

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