平櫛田中作品を楽しむ 小平美術館

平櫛田中ひらぐしでんちゅう という名前を知らないわけではなかったが、作品を見たのは始めてだった。
平櫛田中:岡山県後月郡西江原村(現・井原市西江原町)の田中家に生まれる。1882年(明治15年)に広島県沼隈郡今津村(現・福山市今津町)の平櫛家の養子になったが、旧姓を通称に用いていた。1893年(明治26年)に、大阪の人形師・中谷省古に弟子入りし木彫の修行を行う。
1937年(昭和12年)、帝国芸術院会員となる。1944年(昭和19年)、東京藝術大学の教授に招聘され、第二次世界大戦後も教壇に立つ。明治末期から大正初期にかけて東京藝大の基礎となる東京美術学校を創立した岡倉天心に師事した
☆今後とも、励ましクリックよろしくね!
↓ ↓
人気blogランキングへ ご感想 お書きください。
平櫛田中、100歳を越しても、なおかつかくしゃくとして、「作品をつくろうとして材木を買い込んだ」という報道を聞いたことがある。武原はんをモデルにして、作品をつくろうとして、買った木材が玄関先の庭に置かれている木材の大きさに圧倒された。たかさは2mくらいあり胴回りが4メートル以上ある。その夢を果たす前に亡くなった。
岡山県井原市に生まれ、人形師中谷省古の下で彫刻修行をした。のち、上京して高村光雲の門下生になる。その後、美術界の指導者、岡倉天心、禅僧西山禾木の影響を受けて、仏教説話や中国故事に題材を求めた精神性の強い作品を制作した。
その後、大正期には、モデルを使い、塑像の研究に励む。昭和初期以降、彩色の使用した表現の可能性を求めて「伝統」と「近代」の間に表現の可能性を求めた。20年間かけて完成した鏡獅子」を完成した。私の目からは、精緻で完成度が高くなりすぎ、身近な作品ではなくなった、そういう印象だ。
私の好みは、教説話や中国故事に題材を求めた、何か訴える精神性のある作品が気に入っている。貧しさの中に人間味がある作品はストレートに訴えてくる。明治から大正時代にかけた平櫛田中の上り坂を走り続けている青年期の作品がいい。このときのこそ、彼のもっているもが素直に出る。
デビュー作で「唱歌を歌う少年」があるが、あの大正か明治の小学生が懸命に歌う姿は平櫛田中の技量が目一杯出ている。芥川賞を取った作品に作者の全てが詰まっていると言われるように、彫刻家としての平櫛田中の原型が全て詰まっている。その作品は絵はがきにはなかった。
案内してくれた友人Nさんは、ここへ来て作品を見たのち、旧平櫛邸客間のソファで一人休息して庭をみるのは最高の贅沢を味わえるという。確か、日曜日だといっても、マスコミの扇動で付和雷同の観客がくるわけでもないから、静に時間が過ごせる。
多くの作品を小平市へ遺族から寄贈され、旧平櫛田中邸をも寄贈されて、市がそれらを管理している。この文化勲章受けた故人の篤志が生かされて、それが、作品を鑑賞しているさ中に余裕として漂っている。館内から感じるものは、平櫛田中の子孫に伝わっている意思かもれない。
☆今後とも、励ましクリックよろしくね!
↓ ↓
人気blogランキングへ ご感想 お書きください。
| 固定リンク



コメント