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2009年7月28日 (火)

8月15日千鳥が淵戦没者墓苑に集合

Photo 毎年、8月15日は靖国神社へ行っている。毎年、天気がよく暑い日である。慰霊というワケではなく、日本人が今、どういう心情でいるか知るためである。靖国神社は混み合って、ワイワイと主張しあって、うるさすぎる。

そこで、8月15日(土)午前11時~1時 千鳥が淵戦没者墓苑掲示板前(戦闘地が描かれている地図)で集合戦時中の話を聞かせてください。

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 午前中に靖国神社で一回りして、例年、例のごとくコスプレ風な軍人扮装の人がデモンストレーションしている。幟を立てて行進するグループがいたり、日本軍の正当性を主張する教科書グループが署名活動をしている。

8月15日は、そのあと、靖国神社から千鳥が淵戦没者墓苑 へ行きませんか。靖国神社と違って静で、緑の木立に包まれて、いいですよ。話ができます。街宣車は来ませんし、旗を立てた集団はいません。

Photo 戦争の経験者は話をしてくれませんか。記憶に留めていることを話してください。同好の志がいたら、お出でください。あそこはビラや幟のぼりは禁止ですので、目立つ行動はできませんが、「野沢さんですか」と、声を掛けてください。11時~12時頃、炎天下だと思うので、帽子を被って立っています。せいぜい1時頃までで終わりにします。

0972_20971 私のお勧めは、千鳥が淵にある「戦没者墓苑」、あるいは「無名戦没者の墓」ここに納められてているご遺骨は、昭和28年以降に集められ、ご家族に渡すことのできなかった灰にされた遺骨である。だから、軍に所属して、華々しい戦歴が語られることもないし、故郷へ凱旋もなく、知られざる人々の骨である。

0986_20999 その意味では、不戦を訴えないし、好戦的でもない。政府は力をあまり入れていないから、さっぱりしたもの。靖国神社は戦死者を英霊と祭り、彼らは国のために頑張ったから、補償して遺族はそれで守られるという国のバックがある。そのバックゆえに、戦争が正しかったと主張している人が多く付いている。未だに、というか、大東亜戦争は、止む得ざる戦争であり、「あの戦争は悪かった」というのは、戦勝国の言い分を丸呑みしていると主張する人々が多い。

12ya21 明治以後の国のために戦った政府側の軍人、軍属という公務員戦闘員を慰霊する神社だから、どうしても、中国、朝鮮の戦闘地の犠牲や被害を受けた地域の人からは、敵の本陣に見えるだろう。靖国神社に入ると戦前の精神が生き残っているのがよくわかる。進駐軍が靖国神社を破壊しなかったのか、と思うくらい濃厚に戦前思想を残している。天皇陛下は靖国神社は、皇居からあんなに近いところに靖国神社があるのに詣でる気配もない。特に今の天皇は避けている。

12ya19_1 戦争の記憶のある人は、もう今は見事に年々減ってしまっている。戦時中の軍装して闊歩している人たちは、ニセモノばかり。コスプレを楽しんでいるだけで、軍国精神はない人ばかり。靖国神社で靖国ゴッコで遊んでいるだけ。

戦争の経験者は話をしてくれませんか。記憶に留めていることを話してください。同好の志がいたら、一緒にお聞Photo_2 きしましょう。あそこはビラや幟のぼり禁止ですので、目立つ行動はできませんが、8月15日(土)掲示板(戦闘地地図)前で帽子を被って立っています。「野沢さんですか」と、声を掛けてください。帽子を被って立っています。11時から、せいぜい1時頃までで終わりにします。

09060938 靖国神社の境内は「天皇中心に日本は団結せよ」「大東亜戦争は侵略戦争ではない」と、中国との友好を主張すると、媚中びちゅう派、あるいは跪中きちゅう派だとレッテルを貼って不毛な論争をして、暴力沙汰になる危険性がある。境内は、旗、竿ものの持ち込みを禁止にしない靖国神社の意図を知りたいものだ。あえて、放置するのは彼らの跋扈で利するものがあるのか、と思ってしまう。

千鳥が淵戦没者墓苑掲示板、戦闘地域と死者数が書いてあり、その前に集まりましょう。ここは人が集まって話しをするには静かな場所だ。

戦争体験を話してください。
戦中の話を聴かせてください。
戦争を知らない人は聞きに集まりましょう。

今年は8月15日(土)午前11時から12時まで、見知らぬ人同士、話しができたらと思う。イデオロギーは抜きで、体験を中心に体験を共有できたら、と思うのです。

満蒙開拓青少年義勇軍を知ろう」に新しいコメント

 私もS20年4月に渡満した栃木神奈川混成狐塚中隊の者です。それまでは、名古屋三菱重工で世界最速の陸軍偵察機の部品やら各務原陸軍少年飛行学校、長野県立高等女学校やらと勤労動員、連日のB29の猛爆、濃尾地方の大地震にも会い転属やれやれと思ったら、伊豆大島の飛行場造成トロッコ押しの毎日、大本営は負け戦と判りながら、南方戦線に移動した最強の関東軍の穴埋めに私ら少年を送り込んだのです。
 私たちの装備は、38式歩兵銃、小隊に一丁の軽機関銃「5ケ小隊編成」、それに対して、ソ連軍の尖兵は重戦車の機甲師団。あとの結果は、ご想像に任せます。

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