« 東京都水道局ワッペン作り直しの病根 | トップページ | 残留孤児二世がたどる はるかなる絆  »

2009年4月14日 (火)

サヘル・ローズ 「戦場から女優へ」

2940 サヘル・ローズは、一度アジアンスマイルでも取り上げたが、そのときはイランで孤児院を作って孤児へ愛情を注ぎたいという話しをしていた。徹子の部屋では、生い立ちを語り、養母のことを語った

☆今後とも、励ましクリックよろしくね!
   ↓   ↓

人気blogランキングへ 
ご感想  お書きください

2937 小宮悦子の夕方の番組(毎週水曜日6時半ころ)TV朝日で日本の食べ物や珍しいものを3人の外人で食べたり、見たりするレポーターを明るく果たしている女の子だ。この明るい表情の裏には、涙の人生が隠されていた。彼女は涙が出ても、決して拭おうとしない。感情がストレートだ。

彼女の4歳のとき、イランイラク戦争中、境界線でサヘルの住んでいた村を取り合っていた。イラクからの空爆が毎日のようにあったが、たまたまその夜は、警報がラジオから流れなかったのでぐっすり寝た。

2945_22948 突然の空爆で、サヘルの家は直撃されて、サヘルが気づいたときは火の海で、叫び声が聞こえて、そのまま生き埋めになった。空襲から2日目にボランティアが被災地の救済に来た。そして、4日目にサヘルの家をボランティアが覗くと、青い花が見えたので中へ潜って行った。そこで小さな手が見えたので、最初人形の手かな、と思ったそうだ。その手を取って、脈をみると、生きていると仲間を呼んで、その回りを掘って、サヘルを抱きあげ、救出した。空爆から4日目に生存者を見出した。奇跡の救出だと言われたそうだ。

2931 サヘル抱き上げて、救出した女学生は、後に養母になってと日本へ来てくれた人である。サヘルローズは11人兄姉の末っ子であったが、両親を含めて、彼女を除き、一家全員は死亡した。病院へ運ばれた。そして孤児院へ入った。

サヘルは11番目の子として出産されたのち、親が病院に彼女を置き去りにされたのち、病院は処置に困り、孤児院へ送りこまれた。サヘルには両親がいることがわかり、家へ戻った。

2949 イラン・イラク戦争での空爆により村が全滅する中で、ただ1人生き残った少女が、ボランティアの女学生の手で救い出され、孤児院に。やがて女学生が養母となる形で引き取られますが、養母は「未婚の母」となることで両親から勘当されます。日本で働く婚約者を頼り、来日しますが、今度は「連れ子」の存在が原因で……。
公園でのホームレス生活、食事もままならない極貧、クラスメートからのいじめ等、幾多の苦難に耐えながらも、少女は明るく成長し、やがて芸能界入りを果たします。
「滝川クリサヘル」の別名でも知られるイラン人タレントのサヘル・ローズさんが自らの数奇な人生を綴りました。「
戦場から女優へ」文芸春秋から参照

四日目に救出されて病院へ入り、二日目に目が覚めて、見舞いに来てくれたNPOの女学生に「ママ!」といった。その女学生は後に、サヘルの養母になってくれる。その「ママ」という言葉は運命の赤い糸になった。

2943 サヘルは「私がいなかったら、母は普通に結婚して家庭を持っただろう。申し訳ない。一人の私が母の人生を台無しにしてしまった」サヘルを引き取ることで、自分の親から縁を切られて、彼女も一人ぼっちになってしまった。お嬢さん育ちの母は、それまでは、貴族、ローヤルファミリーに近い一族だったので、何もしないで過ごしたが、床掃除、洗濯、炊事全部自分でやった。そうやって、サヘルを育ててくれた。

2921_2 一族から追い出された母は、日本に来ていたフィアンセと電話して相談したら、「そんなに辛いなら、日本に来たら」ということで、サヘルと一緒に来日した。彼も、サヘルという養女と一緒に包み込もうとしたが、うまく行かなかった。

「僕を取るか、サヘルを取るか」に二者択一を迫られて、母は私をとって、彼は去った。私を再び捨てれば、彼とうまくやっていけただろうに、とサヘルは涙ぐむ。

孤児院では、毎週金曜日に自分の子供にしたい養父母希望の人が来る。そうすると、孤児院の子供の里親のオーデションがおこなわれる。孤児は一列に並んで、一人一人歩いてきて、顔を見たり、話して見たりして、気に入ったら、引きとってくれる。サヘルはだんだん子供らしさがなくなると、可愛らしさが欠けて人気がなくなる。大きくなるとなつかなくなるということで、引き取り手がなくなるようだ。

2939_2 7歳になったとき、イランのテレビで、「孤児院」コマーシャルで、「私たちを引き取りにきてください、お願いします」という里親探しに出た。たまたま、イランに帰っていた母が見て、「サヘルだ。まだ孤児院にいるんだ」とすぐわかったそうだ。4歳で別れて以来、3年ぶりで、すぐ見てサヘルと分かったそうだ。背もあまり大きくならず、髪の毛も伸びない生活だったので、あまり変わらず面影が残っていた。

この話に、黒柳徹子さん、「私もユニセフ大使をやっていて」と語り、「発展途上国の戦乱地へいくと、子供の栄養が悪くて、育たないの」とサヘルの身の上に同情して、鼻水の音で聞き取り難いほどだった。

1938 数日後に、母が孤児院に訪ねて来てくれた。今まで一家みな死んでしまったサヘルには自分を訪ねてきてくれ人は一人もいなかった。養母、今の母と別れたのは、4歳のときであったが、記憶は残っていて、母は私サヘルを抱き上げて、会えなかった時間の分だけいろいろ話しが尽きなかった。だっこしてもらった。すごく温かいものを感じた。そんな気持ちになったのは、久しぶりだった。母は、自分の子供にする手続きをしてくれた。

その後、母は自分の両親との関係が悪くなり、日本へ行き、フィアンセを同居したところまではよかったが、関係がわるくなり別れた。この後が、サヘルと母の生活は最悪になった。「徹子の部屋」では語られちないが、ホームレス状態になった。

2944_2 8歳になったサヘルは日本の小学校へ行った。母には仕事もないし、日本人の友だちもいないから、助けてもらえない。最低生活になった。サヘルは学校に給食1回で一日を過ごしていたから、みんなからいじめれていたという。2942 母は食べるものがなく、一日おにぎり一個で過ごすとか、ツナ缶を匙でスクって、1缶で3日もたせるほどに貧困だった。やさしい給食の小母さんに親切されて、お風呂にいれてもらったり、夕食を食べさせてもらった。

「あの子、いなくなればいいのに!」というと、母は「そんなことをいうサヘルが一番醜い」といって嗜めた。この嗜めた中に、イスラムの教えが含まれているようだ。

2946 それらの苦難や成長過程を本にした。『戦場から女優へ』これは、サヘルがかわいそうだと思ってもらいたいのではなく、この奥に親のいない子供がどういう思いを、どれだけ親を探しているのか、地球に裏側でどういう事が起こっているのか、気にしてもらいたいのか、それを知ってもらいたいので、本を書きました。

サヘルはいう「事件で子をあやめてしまう親がいる。それを見るのは凄く苦しい。愛情を受けられない子もいっぱいいる。私もその一人だったから、手を差し伸べてあげてほしい。」

日本で学ぶアジアンスマイル

☆今後とも、励ましクリックよろしくね!
   ↓   ↓

人気blogランキングへ 
ご感想  お書きください

|

« 東京都水道局ワッペン作り直しの病根 | トップページ | 残留孤児二世がたどる はるかなる絆  »

コメント

サヘルさん頑張れ、今の世の中で、サヘルさんとフローラさんはダイヤモンドのように輝いている。貴方たちを見ていると人間に生まれてよっかたなーと思う。 アメリカの地より応援しています。

投稿: 根岸光男 | 2009年7月17日 (金) 13時37分

サヘル・ローズさん、
昨日、NHKのラジオ番組で、あなたのメッセージを聴きました。失礼ながら、それまで、あなたの存在さえ知りませんでした。
人の為に生きる事が、なんと素晴らしい事か、を改めて思い知りました。様々な苦難や障害を乗り越え、自分の力を人の為に精一杯尽くすなんて、簡単ではありません。そこを、敢えて取り組むあなたの行動力に、涙を堪えながら心の底から感動しました。
どこまでも“皆んなと一緒に”頑張るあなたに、大きなエールを送ります。
オスカーの栄光に向け、頑張れ!!!
小さな自分も、大きな目標に向けて頑張るよ。

投稿: ヨシ | 2010年5月 6日 (木) 13時20分

サヘル・ローズさんへ
サヘルさんの笑顔はすごく素敵です。
スーパーJチャンネルのあのコーナをいつも楽しみにしています。そんな明るいサヘルさんに辛い過去があるなんて「徹子の部屋」を見るまで知りませんでした。
しかし、サヘルさんはいつも明るい笑顔を見せてくれます。サヘルさんの笑顔は人を幸せな気持ちにさせます。
これからも頑張ってください!応援してます!

タカシさん
サヘルさんはこれからもがんばると思います。応援してあげてください。イランには、核開発疑惑で、国際的なバッシングがしばらく続くと思います。国の問題は国のこととして、サヘルの存在は応援してあげましょう。管理人より

投稿: タカシ | 2012年2月15日 (水) 23時28分

サヘルは、家族全部を失くしてしまうという大きな不幸に
見舞われたが、今のお母さんに出会えた事は大きな
幸せだったと思う。

もし、今のお母さんに出会えていなかったら、
彼女の人生はどうなっていただろうか?

それにしても、サヘルの今のお母さんは
人間として実に立派な人だね。

そう言えば、以前TV番組でサヘルがお母さんと一緒に出ているのを
見た事があるが、このお母さんときたら、サヘルの事が可愛くて
仕方がないといった親馬鹿ぶりを発揮していた。

サヘルの方は、なんだか「嬉し恥ずかし」といった表情であったが、
見ていて微笑ましかった。

投稿: dokokanoyotaemon | 2013年6月23日 (日) 00時14分

ところで、サヘルの生い立ちと彼女の今のお母さんを見て、お釈迦様の次の教えを思い出しましたので、ついでに書き加えておきます。

「互いに善い行為をする事を考えず、ともに教えあって悪い行為をし、偽り、無駄口、悪口、二枚舌を使って互いに傷つけあっている。

 ともに尊敬しあう事を知らないで、自分だけが尊い偉い者であるかのように考え、他人を傷つけて省みるところがない。

 人は互いに敬愛し、施しあわなければならないのに、わずかな利害の為に、互いに憎み争う事だけをしている。

 しかも、争う気持ちがほんのわずかでも、時の経過に従ってますます大きく激しくなり、大きな恨みになる事を知らない。

 この世の争いは、互いに害(そこ)ないあっても、すぐに破滅に至ることはないけれども、毒を含み、怒りが積み重なり、憤りを心にしっかり刻み付けてしまい、生を変え、死を変えて、互いに傷つけあうようになる。

 人は、この愛欲の世界に、一人生まれ、一人死ぬ。未来の報いは代わって受けてくれる者がなく、己一人でそれに当たらなければならない。

 善と悪とは、それぞれその報いを異にし、善は幸いを、悪は災いをもたらし、動かす事のできない道理によって定まっている。

 しかも、それぞれが、己の行為に対する責任を担い、報いの定まっているところへ、一人赴く。」


「人は利己的な心を捨てて、他人を助ける努力をすべきである。

 他人が施すのを見れば、その人はさらに別の人を幸せにし、幸福はそこから生まれる。

 一つのたいまつから何千人の人が火を取っても、そのたいまつは元のとおりであるように、 幸福はいくら分け与えても、減るという事がな い。」

                仏教聖典より

念の為に言っておきますが、私はまったくの無宗教な人間です。

しかし、このお釈迦様の教えには、実に深いものがあるとも思います。

投稿: dokokanoyotaemon | 2013年6月23日 (日) 01時16分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 東京都水道局ワッペン作り直しの病根 | トップページ | 残留孤児二世がたどる はるかなる絆  »