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2009年3月18日 (水)

インパール作戦 陸軍の良心宮崎繁三郎

76980970 現代の高級官僚にも、政治家にも、自分の立場と利益だけを重んじて、倫理感のとぼしいとんでもない人材を上に頂いていることがときにある。それを自戒する意味で、戦時中、命かけて部下を日本を思っていた良心的な武人宮崎繁三郎を紹介したい。ウイッキペディア参照

岐阜中学(現岐阜県立岐阜高等学校)出身。陸士26期。陸大36期。陸士、陸大での成績は平凡であったが、責任感がつよく、日本陸軍の良心といわれている。長男は、陸軍士官学校出身で元明治大学総長の宮崎繁樹。

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インパール作戦は、投入日本軍将兵8万6千人に対して、戦死3万2千人余り、戦病者は4万人以上(そのほとんどが餓死者であった)帰還時の兵力は僅か1万2千人になった。参考ページ

1944年のインパール作戦は、第15軍司令官牟田口廉也中将による補給を無視した無謀な作戦で、多くの犠牲者を出した。牟田口中将の指揮下、宮崎は陸軍少将で、第31師団・歩兵団長として参戦した。彼は険峻な山岳地帯を自ら大きな荷を背負い、先頭に立って部下を率い、要衝コヒマの占領を指揮した。援軍や補給が絶たれて孤立し、同地撤退を余儀なくされた際には自ら最後尾を務め、少ない武器で巧みな戦術により見事な撤退を果たした。彼が単なる名将に止まらず、人格者としてまた理性的軍人として賞賛される要因になった。

彼は、負傷兵を戦場に残さないという信念の下、自らも負傷兵の担架を担ぎ、食料が欲しいと言われれば自らの食料を与えて兵たちを直接励ました。また他隊の戦死者や負傷兵を見つけると、遺体は埋葬し負傷兵を収容させ、日本軍の白骨死体で埋め尽くされた白骨街道を撤退し続けた。宮崎の、軍人としてのみならず、人としての倫理観をも滲ませた。

インパール作戦後に第54師団長となった宮崎は、1945年4月にイラワジ河下流付近で防衛戦を展開した。突如、上級部隊であるビルマ方面軍の司令官木村兵太郎大将が司令部を放棄し逃亡したため、指揮系統を失った宮崎師団は敵中に完全に孤立する事態になった。殲滅される寸前で重装備を放棄してペグー山系の竹林に逃げ込んだものの、第54師団は補給や連絡が途絶えて今度は全軍餓死の危機に瀕してしまった。そこで7月下旬やむにやまれず分散して敵中突破を試みたものの将兵の多くが死亡、目的地のシッタン河までたどり着いたのは半数以下であった。宮崎はそこでも粘り強く防衛戦を展開して、ジュウエジンで終戦を迎えた。

戦後は小田急線下北沢駅近くの商店街に陶器小売店岐阜屋を開き、その店主として清廉な生涯を終えた。今際の際、病床を訪れたかつての部下に「敵中突破で分離した部隊を間違いなく掌握したか?」と何度もうわ言を言ったという。宮崎はペグー山系からの敵中脱出時に多くの部下を失ったことを気にかけていたのだった。

陸軍大佐歩兵第16連隊長として参戦したノモンハン事件では、同事件唯一の勝利戦指揮官とも言われている。また停戦協定後には、機転を利かせて、駐留していた地域に日付と部隊名を彫った石を埋めさせ、そこは日本軍が占領していた地域であるという揺るぎない証拠を示す事で、国境線画定に大いに役立ったと言われている。これにはソ連側も驚嘆したと言う。

命の危険と引換えに、教え込まれた信念、公のために尽くす、全体のために礎になることは、たとえ儒教道徳の行き渡っていた戦前でも、逃げる人がいることは、人間として当たり前だったのかもしれない。作り上げられた思想だからだろうか。あるいは、命可愛いからか。危険から逃げる牟田口中将の方が人間として、自然な成り行きだろうか。宮崎繁三郎の作り上げられた人物像は、出来すぎ?

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コメント

宮崎は、岐阜高校の先輩になる。どうも、岐阜県人は地味で堅実で人がよいために、上司に認められず、いやな仕事を押しつけられる傾向にある。今も,昔も同じだ。黙々と本分をまっとうした先輩に敬意を表する。

快傑 ハリマオ様
 岐阜県はいつも脇役、主役になるような強さ、強引さが欠けているのかもしれない。地味でコツコツとやる点ばかりが、上の人に利用される傾向がある。
 軍隊では“美濃雑巾”と言われて、乾いた雑巾も絞ればまだ水が出る、と絞られたという。

投稿: 快傑 ハリマオ | 2012年9月23日 (日) 13時56分

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