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2009年3月16日 (月)

伊勢神宮の精神性は何か

2487 江戸時代、旅に行くといえば、「お伊勢さん」だった時代、何を求めて行ったのだろう。伊勢神宮(皇大神宮:天照大神を祭る)内宮は、日本の神社の大元だが、その精神がなんだか、行ってきたのに、よくわからない。外宮のほうが人は少ないし、伸び伸びした雰囲気だ。

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2450 江戸時代から、伊勢神宮、お伊勢様詣でといっても、門前町と旅行の過程を楽しんだのだろう。内宮前の、門前町は何百年と続いている「赤福」がはやっていた。事件があったのは、もうとっくにみんな、あの事件は宣伝になったようなものだ。

2468 門前も太鼓、神恩太鼓のショーは聴かせる。これも何をイメージしているか、太鼓プレーヤーのショーマンシップを楽しめばいいかな。  「Jinnonn.WMA」をダウンロード クリックして聞いてください。30秒すぎから曲調が変わる。

神聖にして冒すべからざるモノ、という権威だけは、「写真をとるな」という指示が言葉でも、掲示にもあるから、感じられるが、一体私たちに何を感化しているのか、不明だ。宗教というのは、人間を包み込み、教導するものと私は思っているが、その指導性が日本の宗教に、神社には欠けている。そう思うのは私だけだろうか。

2498 たしか、1000年に渡って、伊勢神宮は手つかずの自然を守って樹木は500年も700年もたつ巨木の森林になって厳かではあるが、その器は他の神社に負けない立派なエリアである。賽銭も集まっていた。畳ニ枚か三枚分の広さに千円札と硬貨がひろがっていた。硬貨の数は数えられないが、千円札は90枚はあった。多分1日分だろう。他の場所にも賽銭投げる場所がある。

ホームページで伊勢神宮のYouTube見ても、その精神をつかんでいるようには見えない。自然の光景や樹木や空気、川を讃えていても、それはヤマトの真髄ではないだろう。遷宮記念で歌う藤井フミヤも伊勢神宮の権威に押しつぶされ、精神を自分なりの解釈しているが、日本の宗教の何たるか、その辺が伝わってこない。

2460 お土産は、あくまでも神社の姿勢で、売っているのは、お守り、神棚、お祓いなどでだけである。儲ける姿勢は余り強調されていないが、ガイド説明も聞いていても、日本書紀の神話をベースにした教養がないと、何とかの尊ミコトと言われても、わかるか?知っている人は知っているだろうか、わかりません。

大相撲は格闘技でなく神に奉納するワザだといいつつ、多くの人が分からないまま、柔道がJudoに変身していくように、伊勢神宮は見える森の幹の太さ、川の清らかさ、空気の清清しさに代用されてしまう。それでいいのかもしれないが、日本神道の精神性の弱さが露呈している。

宗教としての神道は、大国主命を祭ってある出雲大社が私には、一番いいと思う。お勧めする。境内にはいると、来た人を包み込む雰囲気がある。神様が慕われている。賽銭を要求する雰囲気がない。神は与えるもの、上から愛が降ってくる、それを実感させる。他の日本の神社仏閣を回って見ての比較でいうと、そういう雰囲気の境内だった。

出雲は、ヤマト(今の天皇一族に滅ぼされた帰化した集団だったのではないか、と解釈している)

日本の神社は、そういう具体的な指導性、精神に明確なものはないのだが、こちらがご利益を期待したり、何かあると思うとか、疑問を持つ日本人がいることで、成り立つ鏡の存在だ、と誰か言っていた。カンサジュン?先生が爆学笑問で語っていた。

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