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2008年12月15日 (月)

やきもの散歩道 常滑とこなめ

2_2 常滑とこなめ、名古屋から知多半島にそって南下する名鉄線で30分。そこに中部国際空港がある。やきもと国際空港がある町、それが常滑。

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Photo この常滑線に乗るのは二度目。始めて乗ったのは、小学6年の修学旅行で新舞子の隣長浦へ潮干狩りに来た時である。木曾の山がちの町中津川から来た我々は海を見たことがなかった。常滑電車の中から海が見えたとき、生徒達一斉に歓喜の声を上げた。海を始めて見たときの感激「ワーッ!」という声で車内は大騒ぎだった。それから50数年、長浦は無人駅で急行は止まらない。様子も変わっただろうか。気になって車窓を見るが、海があまりよく見えない。家が多くなったせいか。、

A1常滑の産業としての焼き物は、どうだろう、あまり盛んとはいえない。伊那製陶INAXイナックスが工場として陶器の便器で稼いでいるようには見えるが、私企業の窯元は儲かっているように感じない。

町全体で陶器の窯を観光資源にしている。市役所が支援して、観光客を呼び込んでいる姿勢がはっきり見える。町が小さいからか、市民一人ひとりが、その意識が明瞭に感じられる。

「どこからきましたか」と何人にも聞かれ た。「千葉です」というと、さも不思議に「どうして」という感じで、つぎの質問がくる。1207麟太郎が一緒だったので「この子が今年夏から常滑西小に行っていて…」と転勤に伴って引っ越してきた、との説明を聞いて一段落する。市内観光バスが巡回しているバスや乗用車の駐車場には市の黄色いユニフォームを来たパートのオジサンがあちこちいて、親切に説明してくれる。

1222 常滑(動画が見られます)今、売り出しているのが「招き猫」で、全国生産の70%のシェアを占めているとか。あとは、古い窯を観光資源にして客も注目を引こうとしている。昭和も30年1265代で使命がが終わった窯を壊すのも忍びないということで、窯の中で焼き物の展示コーナーにしているのが大半だった。とにかく廃業の窯と煙突がちゃたら多い。

一つ興味を惹いた建物が、廻船問屋滝田家という、常滑の名家が魅力的であった。どこの町にも一軒はあるという感じで存在する庄屋が成長して、栄えた歴史を残す、とういう家だった。

12501269 ここでは、伊勢湾を前にした常滑港から陶磁器を積んで、大阪や江戸へ年5回ほどの貿易をやって財を 1266_2 蓄えたようだ。全国規模で蝦夷まで探検した話ほどはスケールが大きいわけでないし、せいぜい幕末の40年、50年程度しか栄えてはいなかった。滝田家本家は滝田文彦さんは、東大教養学部の教授であったが、独身で亡くなり、妹も独身でなくなったので、途絶えてしまたんだとか。その家を市が買い取って、市の史跡として保存している。市の係員がいて、保存状態がいい。市の歴史にも詳しい女性が積極的に話をしてくれる。

昔は窯の煙で空気が悪く、喘息を発症する子どもが多かったらしい。今は細々壷とか甕を作っている。大型の生産物が主なもの。

130413081317イナックスINAXミュージアムが私企業の良心として、1322 陶磁器の博物館をやって、焼き物の手ほどき、泥ダンゴの造り方、タイル工芸の手ほどき教室を開き、伊那製陶の有名な歴史的建築物に使われた遺品(東大医学部の鬼瓦様なもの等)を建物を壊した際に引き取って展示している。また、紀元前8000年の世界史的名陶磁器タイルとか、中国の墨絵のタイルなどの展示がある。ここの収蔵品は価値がある。

138113861391 セントリレア空港は、常滑駅の隣の駅。新しくできた場所であるから、客寄せ得意で、きらびやかで魅了されるようにできている。羽田の次に乗降客が多い空港。

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