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2008年12月12日 (金)

満州からの引き揚げ 1

NHKが満州からの引き揚げについて、「満州からの引き揚げはこうして実現した」を放送した。日本政府は引き揚げより、現地定着を推進しようとした。ところが国際情勢から、日本勢力の一掃という目標があったようだ。

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8月15日に近い敗戦時には、日本軍(関東軍)は南方へ主力は持って行ってしまっており、まさかソ連が日本にせめて来ないと思っていたのか、無敵を誇っていた関東軍は南方へ連れて行きほとんど空っぽだった。ソ連が攻めて来たと知ったら、残っていた関東軍は、居留日本人を置いて逃げ出した。これ見て思うのは、社会保険庁は、自分たちは共済保険でぬくぬくで、厚生年金と国民年金を使って、●●ピアを作って、天下り先を確保していた事実とよく似ている。

ソ連軍は、日本との不可侵条約を破棄して、突如8月9日から侵略して満州全土を20日間で占領してしまった。そこへ八路軍(共産党)が進出して席捲した。それを国民党軍がソ連軍と共産党軍を追っ払うためにとったのが、満州にアメリカを呼び込むことだった。

置き去りにされた日本人居留民155万人中、引き揚げることができたのが105万人。長野県の泰阜村やすおかむらからは、村の2割の1000人が満州に渡った典型的な開拓団村である。「狭い日本に住みあきた」こんなキャッチフレーズで政府は国民をあおって「日本の生命線」といって満州へ送り込んだ。満州へいけば二割増しの給与になる警察官や教員にして送りこんだ。満州国の官僚として日本人を増やしていった。

現代でも、「消費は美徳」「貯蓄より投資」「たんす預金より使うことだ」、そんな国民を煽る言葉を流して、国民をだますのは、むかしからお上のやる手だ。うっかり言葉に乗せられて、踊らされるとひどい目に合う。自由化だ、新自由主義だといわれて、儲かる事が正義だと思っていたら、バブルがはじけて、多くの正直名な投資家は大火傷。お金はたんす預金の方が安全だった、と気づく。おかしな世の中だ。

定額給付金を使うように、使うように、景気浮揚だ、これ、ほんとう?あまり使わないと、デフレスパイラルだとか、脅す。あまり個人、民間がお金を溜め込むと、インフレにして、お金の価値を下げるという手もある。徳政令みたいなものだ。価値を下げて、持っているお金が100万円でも価値は物価が倍に上がれば価値は半分。すると、50万円をとりあげられ、徳政令で払ってもらえないのと同じ。

煽られて満州へ渡って、もらった土地は現地の人々から安くだまし取ったり、強引な方法で買収していたから、満州の地元民からは怨嗟えんさの的になった。日本の開拓村を襲撃するのは、日本側では「匪賊ひぞくと呼んで盗賊のように言っていたが、元は土地を日本に奪われた中国人が中心である。匪賊は日本人の敵としか認識していなかったが、そういう裏事情があるのだった。

ブラジルの場合は貧しい農夫から日本人は努力して成り上がっていったから、定着したが、満州の場合は趣きが違う。

満州は政府の方針に乗って、上から降りてきたという形だ。貧しい農民が何も知らないで、土地を貰っている点がこれをおかしいと入植者は疑問に思わないで入っていって、日本人村を作っている。

五族協和といって、日本人、漢族、朝鮮族、満州族、ロシアも含めた共同の国になるはずだった。それが、日本の力が強くなって、日本の傀儡という馬脚が現れてしまう。

食うや食わずの貧しい人たちが送り込まれて、小豆の種を日本から持ち込んで、狭い土地にいた人々にとっては、広大な土地で生産する喜びがあった。「満州はいいところだろ?」腹いっぱいご飯が食べられることを喜んだ。その陰には、土地を奪われた中国、満州の人たちがいた。

満州には強力な関東軍がいると一般に信じられていたのに、戦局が悪くなるに従って、南方の島々へ送り込んでいった。それが満州の弱体化につながっていた。昭和20年、今から64年前、8月に居留民の男は全員兵隊として召集された。残るのは年寄りと女と子供だけだ。樺太でも、子供も小学生は銃を持たされたと聞いた。ソ連軍が来たら、強姦されるからと、女は丸刈りにして、うんこを体に塗りつけてソ連兵に強姦されるのを防いだという。

ソ連軍の不可侵条約を侵犯して、満州へ一斉に新緑したのは、8月9日だ。10日には男たちは全員召集されて開拓村からいなくなって、老人女子どもは荷物まとめて緊急避難を開始した。泰阜村の人たちはソ連国境に近いから、急いで逃げ出さなければどうなるかわからない状態だった。

そのころ「ニホンマケタ!」というビラがまかれた。たぶんソ連の飛行機が日本人居留区域に広がっていたが、ダレもそんなことは信じていなかった。政府機関が機能していないから、正しい情報が伝わっていなかった。

緊急避難の方角に関東軍の駐屯地があるから、そこへいけば安心だろうと、誰しも思って急いだ。その避難一行へ匪賊が影のようについてきて、機関銃を打ち込んできた。泰阜村の一行から犠牲者が出た。

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