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2008年12月28日 (日)

生者必滅、会者定離 その2

 死とはなにか、歩けなくなって車椅子に乗り、呼吸が困難になる過程、苦しみながら死ぬ姿」、(中略)まさにその状況で大事な人の病死を目の当たりにした私は衝撃が癒えないのです。上手く言えませんが「教育」というものからは遠い感じです。 
 「母親の死がこんなにもつらいとは…その9」という掲示板は、母親の死に耐えられない子供達(年齢関係なく大人も)が、それ以来自分と距離が出来てしまった「現代を突ついて、過去を掘り返し、迷路から抜け出」られないと訴えています。よろしければnozawaさんならではの温かい視線で、 同掲示板の感想を綴った文章をお願い致します。

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2チャンネルの書き込みには、たくさんあるが、概ね以下のような書き込みが主流である。当事者にしかわからない感情の起伏が書かれている。

死は一種の裏切りだと思う。 家族の気持ちを無視して逝ってしまう。
残された者がどれほど絶望的な気持ちで毎日を過ごすか・・
せめて死なぬよう必死に闘病したのなら兎も角
自己管理を怠り、体の変調を無視して、死んでしまうなど
とんでもない背信だと思う。
優しかった母。 貴方は最後に私達を裏切った。

54 :マジレスさん[sage]:2008/03/23(日) 20:32:45 ID:iAd9pPKj
私はそうは思えない。
私が母の異変に気付くことが出来ればよかったんだ。
いつも他人のために一文にもならないお節介ばかりして、家に帰れば自分たちのために家事やってくれて…
たまに親戚関係で愚痴ることはあったけど、自分の体についてはめったに話さなかった。
最近、うたばんで女性バイオリニストが「いい人になったら早死にする」って発言してて妙に納得してしまった。

55 :マジレスさん[sage]:2008/03/23(日) 20:54:24 ID:UID1o9RV
何故回りが気付かないといけないのか。
本人の体の事は本人が一番よく分かってる。
私は母ではないから、母が感じていた不調も異変も
「大したことない」と見過ごしてしまった。
確かに後悔はしている。だけど怒りも大きいよ。
訴えてくれなきゃ分からない。
「救急車を呼んで」と言われなければ呼べない。
親の庇護下で病に罹った子供じゃないんだから。
家族の為にも自分の身を案じてくれよ。
お陰で家は真っ暗闇、幸せがぶち壊しだよ。

56 :マジレスさん[sage]:2008/03/23(日) 21:02:55 ID:UID1o9RV
本当につまらない人生になったよ。
もし母が生きていたら、と何回思った事か。
あの笑顔を取り戻せるなら何だってしたい。
でももう手遅れだ。
まさか死が間近に迫っていたなんて。
あの日だって寝てれば回復すると思っていた。
でもさ、死ぬほどの病状だったのにあの人「大丈夫だから仕事行きな」って
言ったんだぜ。信じた俺が馬鹿だったよ。
俺は医者じゃないから、様子から緊急性を判断して適切な対処をするなんて無理だよ。 本当、がっかりだよ。
我慢は美徳でもなんでもない。母は自分の体を大切にしてくれなかった。

57 :マジレスさん[sage]:2008/03/23(日) 21:22:58 ID:UID1o9RV
枕元の携帯電話、最後まで救急車呼ばなかったな。
家族に尽くして最期は一人で死亡。
これが母の望んだ結末かよ。
こんなはずじゃなかった。
旅行をプレゼントしたり父と暖かいところで暮らす計画もパァ。
虚しい。自分も回りも不幸にさせて嬉しいか、母よ。

58 :マジレスさん[sage]:2008/03/23(日) 21:23:49 ID:NuKfmB6n
母ちゃんの人生は一体何だったんだろう。
自分のことはさておき家族のことだけを案じるだけの日々。
よかれと思い子供にしたことは余計なお節介やかなくていいと疎ましがられ。
夫が入院すれば病院もそこまではしなくていいと言っているのに二日続けての病室泊まり。自分の誕生日にはハンカチの一枚すら家族からもらったこともなく。
何年も同じ服ばかり着ていて新しい服買っているのなんて見たことない。
母ちゃんがいた頃には考えられなかった部屋干しした洗濯で一杯の小汚い部屋で
スーパーで買ってきた惣菜を独り食べながらそんなことを考えている内とめどなく涙があふれてきた。
自分を消去したい気持ちが徐々に止められなくなりつつある。

59 :マジレスさん[sage]:2008/03/23(日) 21:32:06 ID:9GurGToP
何かのせいにしなければ自分が維持できないことがある。
だけど、どうしようもないことって世の中にはいっぱい存在する。
生きている以上今後もこれからも・・・。
不可抗力っていうのかな。
つらいね・・・。

60 :マジレスさん[sage]:2008/03/23(日) 22:24:51 ID:ZCafYd3b
自分がどんなに辛くても
子供の心配をするのが母親ってものだよ
きょう生きていることに感謝しよう。
神様、きょうも私は元気に生きています。
命を与えてくださってありがとうございます。
ほら、この雲、この空、いつも同じに見えるけれど、毎日違うのよ。あなたの目が見ていないだけで、全部新しいの。この一瞬は、一生見られないのよ。

死んだ経験がないので、死の苦しみも、死にいく心境がいまいちよくわかりません。残る側、死を見取る側には、それを受け止める努めがあります。人生は「さよなら」の連続。それを嘆き悲しんでばかりいるのは、生きているもの、残った側としては、どうでしょうか。

死を衝撃、悲しみとして受取るか。それとも人生はそういうものだと受取るか、まあ人ぞれぞれでしょうが、とにかく受け止めなくてはならない、と思っています。悲しみを感じることは、その死者から愛されていたことの反射ではないでしょうか。

Nozawa22母と写った唯一の写真 自分の人生がどうなるか、まったくわからない幼い時代に「母の死」を迎えてしまうと、悲しみなんていうより前に、生き方のノウハウを学習する機会を失い、人生のハード部分に欠陥が起きる。この点が問題だ。この点が多くの方には理解されていない。その中に、両親揃って育つより学ぶことは多いとも思うが、死からのちに悲しみや支障がじわじわと起きてくる。親の早死は困る。私の体験1私の体験2 私の体験3 義理の母について

人生のハード部分が出来て、見通しができてからの「母の死」は、それを受け止め、十分悲しんで、そして送り出してあげてほしい。それができないと、周りの人が困るのです。人生には「さよなら」ばっかりですから。

死は日常的な出来事です。現代、そう受け止める環境ではなくなっているから、死を滅多見ない機会になってしまったことが問題ではないか、そんな気がしている。

死に行くモノにも「生者必滅、会者定離」であり、残る者にも「生者必滅、会者定離」生きているものは必ず滅し、会った者は離れる、これは人の力では変えられない。このことを肝に据えて、人生を考えることが、生きる上で必要だと思う。

自身と自分の悲しみとの間に距離感をもって見る習慣をつけたら、悲しみに付け込まれることはなくなる。そう思うだけ、知っているだけで、覚悟がないとあたふたとしてしまう。それを理解し田上で、今日、あしたの日常を元気よく過ごしたい。

人は泣く以上の感情表現はできない。この「泣く」ことで、すっきりして、前に進む、これが生きているものに課せられいるのではないでしょうか。人生は「さよなら」の連続であり、「生者必滅、会者定離」、これを腹に据えましょう。勝手なことばかり書いてすみません。

悲しいとき、落ち込んでいるときには、新興宗教やカルト集団に付け込まれます。用心、用心。振り込めサギ以上に悪質なものもありますから。

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