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2008年11月18日 (火)

湾岸戦争 少女ウソ証言 PR会社の演出

Img_0756 「世界一受けたい授業」で、伊勢崎賢治(東京外語大)教授が日本政府の依頼で国連の事業として、紛争地域で武装解除のネゴシエーション(交渉)実態を話していた。

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伊勢崎 賢治(1957年7月6日 - )は、東京外国語大学地域文化研究科平和構築・紛争予防学講座(PCS)教授。NGO・国際連合職員として世界各地の紛争現地での紛争処理などに当たった実務家としての経験を持ち、「紛争屋」を自称する。

Img_0750Img_0751_2 2000年3月~2001年5月 - 国連東チモール暫定統治機構上級民政官 2001年6月~2002年3月 - 国連シエラレオネ派遣団、国連事務総長副特別代表上級顧問兼部長
2002年4月~2006年3月 - 立教大学21世紀社会デザイン研究科教授 (うち2003年2月~2005年7月 - 日本主導で行われたアフガニスタンDDRを指揮

Img_0749 湾岸戦争になるきっかけに、15歳の少女の証言だった。クェートへイラク兵が侵攻して、残虐行為を行ったと。その証言に米国民が怒り、それがイラクへアメリカ軍が攻め込むことになった。その証言したナイラという少女は、クェート人であるが、アメリカ生まれでクェートへ行ったことのない子だった。

1990年10月、クウェートの少女が米国議会において、イラク兵が病院で赤ん坊を床にたたきつけたなどと涙ながらに惨状を証言、戦争に疑問を抱いていた米国世論は一挙に反イラク色に染まった。後に少女は駐米クウェート大使の娘で、現場にさえおらず、証言は虚偽であった事が発覚した。クウェートが占領された後の話で、戦争勃発原因とは関係ないが、アメリカの世論を反イラクに傾けることになった。 ウィキペディア参照

Img_0755それが、広告会社に依頼されて、「イラク兵がクェートの病院へ乱入して赤ちゃんを刺し殺していった」と、少女は泣きながらアメリカの国会で証言した。その証言映像を見て、ウソだと思わないから国民が信じて、アメリカは湾岸戦争へGOサインを出して、戦争へずるずると進んでしまった。

Img_0756_3  この背後には、戦争すると儲かる業界があるから、そういう会社は広告・PR会社が女の子に演技振り付けして、語る内容も用意したのだった。これでは北朝鮮のヤリ口に文句言える立場ではない。セリフを全部覚えて、演じたら、うまくアメリカ国民がそれを信じてしまった。

 

7a9f0924156abaab5064f739beb7af1dPhoto 武器の差は歴然で、イラク兵はにげまどうばかり、イラクの戦車は殆ど全滅した(右)。そのあとは、ご存知のようにアメリカ軍がクェート国内からイラク国境を越えて、砂漠を横切り、イラク兵士の戦車を打ち破り、僅か一週間もなく攻め込んでしまった。砂漠の砂、その水不足など、その砂漠での戦いを詳細に聞いた記憶がある。

湾岸戦争になったとき、日本の放送でビートルズの反戦ソングが流れなくなった。これは言論統制だ、と思った。

こんな人類にとっての戦争は、こんな一PR会社の策略にひっかて、戦争に踏み切ってしまうのか。この少女、その後、どうなったのやら・・・湾岸戦争は武器の優秀さでアメリカの比ではなかったイラクは首都まで攻め込まれて、終戦になった。それが中途半端な終わり方で、またその何年後だったか、イラクで戦争になった。アメリカはベトナム戦争で懲りたはずなのに、同じような泥沼に陥った。それが原因か、世界経済がおかしくなったじゃないか。

湾岸戦争(わんがんせんそう、英語:Gulf War)は、1990年8月2日にイラクがクウェートに侵攻したのを機に、アメリカ合衆国が中心となり、国際連合が多国籍軍(連合軍)の派遣を決定し、1991年1月17日にイラクを空爆した事にはじまる戦争。イラクのクウェートへの侵攻から湾岸戦争の開始ととらえることもある。ウィキペディア参照

武器の値段(湾岸戦争)

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コメント

>湾岸戦争になったとき、日本の放送でビートルズの反戦ソングが流れなくなった。

ビートルズ、じゃなくて元ビートルズのジョン・レノンの曲な。

投稿: | 2010年2月24日 (水) 14時48分

1990年10月、クウェートの少女が米国議会において、イラク兵が病院で赤ん坊を床にたたきつけたなどと涙ながらに惨状を証言、
戦争に疑問を抱いていた米国世論は一挙に反イラク色に染まった。後に少女は駐米クウェート大使の娘で、現場にさえおらず、証言は虚偽であった事が発覚した。
クウェートが占領された後の話で、戦争勃発原因とは関係ないが、アメリカの世論を反イラクに傾けることになった

投稿: 1990年10月 | 2012年8月10日 (金) 23時01分

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