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2008年9月29日 (月)

キャリアの失言と愚将牟田口廉也

Img_2326_2 最近中山成彬、柳沢伯夫など、優秀な学歴で国会議員になり、あるいは高級官僚を勤めて、一般庶民の手の届かないような地位に上りつめている人が、世間の常識から外れた失言、放言をしている。学力で今の地位を得たのかもしれないが、当然持つべき人としての謙虚さなどが地位が上昇するにつれ、失われたようだ。論理構成はできていても、人を人として見ないゴウマンさを地位が作ってしまったのだろうか。

5324 「シモジモの皆さん!」と若い頃、立候補の第一声に言ったという麻生太郎も、そのときは落選したが、そのクチかもしれない。それを彼らは間違っているとは思わないし、だれも注意をしてくれないで、成長してしまった環境が、きっとあるのだろう。

Yanagisawaha_4 世の中には、国会議員や高級官僚でも、まだ他に注目されていない人にも、一般常識から離れた見識をもって、世間の人々を高い位置から牛耳っている人がいるのではなかろうか。全員が全員ではないが、高級官僚で、天下ったエライ人の中には、いるはずだ。例えば、例えばですが、独立法人の私のしごと館、日本輸出入銀行とか、庶民の目やチェックが入らないところは、きっと常識ハズレの偉人がいたりするカモ。

安閑として収支の心配のない組織の一覧、一度、配ってほしいものだ。そういうのって、ないんだね。コレって、マスコミの責任だと思わないか?

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Mutaguchi_renya_2 A級戦犯であるインパール作戦で大失敗をやりながら、戦況が悪くなると敵前逃亡をやった15軍団司令官牟田口廉也がいる。その後、そのことを問われると、彼は言い訳に終始した。

彼の経歴は、陸軍の士官学校、陸軍大学を出ている。士官学校は、県で一人しか合格できない、体力と学力、皇国史観の備わったエリートだった。今なら、さしずめ東大法学部出て大蔵財務省にキャリア組で入省した人だ。つまり学力においては優秀であったことが、立身出世の切り札だった時代の弊害だった。そのうえ、上司筋(東條英機グループ)にはゴマスリが上手だったらしい。

しかし、戦後、牟田口廉也の行動は、敵国から見ると、害にならなかった人物らしく無罪放免され、東京調布で78歳まで生きていた。

インパール作戦の責任が牟田口廉也に傾きがちであるが、詳細に見ると立案時の様子がわかる。

インパール作戦については、東條首相、杉山参謀総長(立案時)、寺内南方総軍司令官、河辺ビルマ方面軍司令官など、牟田口第15軍司令官の上官のほぼ全てが賛成していたことがわかっています。
おそらく政略的な理由(インドへの政治的影響)から東條首相が、軍事戦略的な事情から川辺ビルマ方面軍司令官が、インパール作戦の本当の意味での起案者のはずです。
彼らの内意を受けて、現地軍司令官である牟田口が実際の作戦案を研究し、提案したのです。
とくに河辺将軍は、牟田口が最初に提案したレドへの攻撃案を退けて、インパールへの攻撃を指示したくらいで、河辺こそがインパールの主責任者なのだと私は考えています。」これは
ヤフー知恵袋を参考にしています。▲

Imphal operations インパール作戦

この頃、海でもミッドウエイ海戦の敗戦で、日本が太平洋上で制空権空を失い、多くの島々を奪われた。このインパール作戦は、その劣勢をドカンと形勢逆転をねらったった大バクチだ。この計画には、牟田口廉也が中将から大将に昇進するには手土産が必要だったという個人的な側面もあった。多くの参謀はこの立案には、補給路が欠如していると反対だったが、最後に東條大将が認めてしまった。アジア、特にインドにいる英軍を背後からせめて、形勢逆転を夢想したのだった。

牟田口 廉也(むたぐち れんや、明治21年(1888年)10月7日 - 昭和41年(1966年)8月2日)は、佐賀県出身の陸軍軍人。学力はあったのか、陸軍士官学校(22期)卒、陸軍大学校(29期)卒。生きていれば、120歳だ。

Inpaarumap_2 前述のごとく、インパール作戦は、日本軍が南方諸島で旗色が悪くなったところを逆転させるために(軍政的視点から)企画された。ビルマタイの山岳地帯から急襲し、英軍の背後を突く作戦である。多くの熟練の参謀や作戦担当者は(兵站、補給の欠如の理由)反対したが、反対する幹部参謀は罷免し、以下の経緯でこの作戦が認可、実行された。

最初の企画者:東條首相、杉山参謀総長(立案時)、寺内南方総軍司令官、河辺ビルマ方面軍司令官など、牟田口第15軍司令官の上官が、賛成した立案は、参謀クラスが反対しても、変更されない。

Jpegbmchin101_2 ウイッキペディア ビルマ方面軍の上級司令部である南方総軍では、インパール作戦実施を総参謀副長稲田正純少将が強硬に反対した。それを東條英機首相とその配下の富永恭次陸軍次官によって1943年10月15日に更迭された。第15軍内部でも作戦に反対した参謀長、小畑信良少将も、就任後僅か1ヵ月半で牟田口自身によって直接罷免された。

いつの時代も、良識的な意見を言う人は「臆病」とか、「怯懦キョウダな人」と片付けられるがちである。こう言われると、人はひるんでしまう。豪放磊落というように見えるバカが、良識的な人を黙らせてしまうものだ。

ついでに、運動部のノリと称して、バカがまかり通る団体があったりする。スポーツマン精神はえてして、十数人が一人を鍛えるといって殺すとか、「可愛がり」、と称するイジメがある運動部、スポーツを至上の価値のように賞賛する新聞・テレビに対して、それに反対する価値観を尊重する必要がある。

Mutaguti_2 「英軍は弱いから強行突破して攻撃すれば、敵は逃げ出す」と説得した。日本軍の欠陥であるが、いつも敵の力を下に見る傾向がある。真珠湾攻撃、続くイギリス空母撃沈など初期の成功を相手の弱さと勘違いをし続けていた。

部下の参謀や師団長は、「その作戦は補給が確保できないから、ムリだ」と反対したが、牟田口廉也司令官は、「敵が逃げ出せば食料調達できる」と、強硬断行した。牛に荷物を負わせて行けば、牛は食料になると主張した。それを「ジンギスカン作戦」と称して、自信満々であった。

Jpegbmchin110_2 実際、牛を使ってみると、歩みは遅いし、牛を水田で使っていたのを陸上で荷運びでは慣れないので、牛は弱ってしまう。また、馬は引き、牛は追う、基本を知らない兵士が多かった。計画を実行してみて、迅速な急襲の目的に合わないことがわかった。数日にして、この作戦はうまくいかず、牛の半数以上は死んでしまったり、川で流された。その荷物は兵士が背負うことになり、ますます、兵士の負担となり、行軍は遅くなった。

Jpegbmchin116_4 多数の牛を含む軍勢は、制空権をもつイギリス軍の航空機に偵察されて、上空から丸見えで、情報は筒抜けになった。険しい山岳地帯を通って日本軍が来るには消耗が激しいはずと読んでいた英軍は、あえて攻撃するより、日本軍が平地に到達するのを待ち構えていた。

イギリス軍の予想通り、日本軍は牛部隊の多くは挫折して、ジャングル地帯を順調に通りぬけることはできなかった。くたくたに疲れて日本兵が、無事山岳地帯を抜けてきたところに、英軍が待ち構えており、日本軍はほとんどが全滅した。

「これでは戦えない」と、部下が牟田口司令官に訴えても、彼はそれを取り上げなかった。牟田口司令官は、指示に抵抗する部下の師団長を罷免して、新任を送り込んで戦いを継続した。その中にも、軍令を無視して独断で退却する部隊さえあった。

そのうちに、惨敗続きで戦況が確実にますます不利であるとわかると、牟田口は補給路の視察と称して、数少ない戦闘機を護衛につけて戦線を離脱、台湾へ逃亡した。

戦線では、残された将兵は、衰弱してマラリアや赤痢に罹患し、多くの死者を出した。退却する道は、腐乱した餓死体にウジがわき、風雨にさらされた白骨が延々と続き、「白骨街道」と呼ばれた。むごたらしい有様だった。

今次大戦中日本軍の犯した最も悲惨な闘いだと言われている。このようなトップの愚策が配下へ及ぼす影響は、現代の政策にも多々ある。反省しない高官が多い。高官には、その部下の痛みを感じない人はあい変わらず多く、繰り返される。それは、一般人々が知らず、無関心のせいかもしれない。

このようにムリな計画をした裏にには、牟田口自身が、中将から大将に昇進するには、大きなプロジェクトを成功しなければという配慮があったと、史家は見ている。また、東條英機に可愛がられていた牟田口にとって、この際、東條へいいプレゼントをと考えていただろう。

Hideki_tojo 東條の腰巾着にいわゆる三奸四愚(三奸:鈴木貞一、加藤泊治郎、四方諒二、 四愚:木村兵太郎、佐藤賢了、真田穣一郎、赤松貞雄)がおり、それに並んで、牟田口廉也中将は、東條の腹心の部下の一人であった。他にも、多く、勇ましい発言する東條派にすり寄る軍、官僚等は多かった。

東條英機に逆らう東海大の創立者松前重義氏のように、毒を盛られたり、懲罰徴兵にされ、殺されそうになった人もいる。それを怖がる人は多い。逆らうより、こうしては睨まれると自己規制が働くようになる。あるいは、積極的にしっぽ振る人間も多い。

当時の軍のレベルの低さを象徴する人物として、杉山元、富永恭次等の東條の腰巾着と共に、真っ先に牟田口廉也の名前が挙がる。

戦後、牟田口を訪ねた人が、彼について感想を述べている応接室へ通されると、お茶と高級な洋菓子が出され、物腰が柔らかで、表情も穏やかであったという。
 しかし、その戦時中に、牟田口閣下のお好きなものは、「
一に勲章、二にメーマ(ビルマ語で女)、三に新聞ジャーナリスト」。 平時や普段の場所では、いい人で気配りができるから昇進も早い。が、いったん人の上に立つと、そのイイ人だけに隠された気性が荒くなる。力を握ると、そうなる。ヒットラーなんかもそのクチだ。

中山恭子の夫、中山成彬なんか、個人的に会えば、きっと好々爺で、いい人物で好きになりそうだ。それが、彼の「反日教組」信念が社会の流れとは違って、狂信的な信念を述べて自分の意見を通そうとする。そうなると、高い地位に居ればいるだけ、害になる。

 牟田口 廉也(むたぐち れんや) 2ちゃんねる
 無謀なインパール作戦で日本軍将兵10万人を死なせたとされる「日本史上最低の無能将軍、牟田口」である。
・体育会系の豪放磊落な性格であり、大本営内での評判は非常によろしかった。
・ちなみに、単に酒の飲みっぷりと部下の殴りっぷりが豪快だっただけである。 ・何回作戦に失敗しても、「あの牟田口さんが失敗するはずはない」「たまたま運が悪かった」「兵士の士気が低かった」と弁護され、より大きい作戦を任されるようになった。
・女遊びも豪快で、司令部併設の芸者宿を作らせた。
・芸者を囲って国費で連日どんちゃん騒ぎ。
・前線視察に芸者を飛行機に乗せて連れて行った。
・たまらず諫言した部下を、最前線に送り玉砕命令。
・何かと腹を切ってでも責任を取ると何度も口にしていたが、終戦後も一貫して失敗を認めずに天寿をまっとう。 http://society6.2ch.net/test/read.cgi/jsdf/1219546587/

 なんかすげぇな 。牟田口は前線部隊に対しては現在地死守の命令を繰り返すのみで撤退を一切認めなかった。 この頃つけられた呼び名は「鬼畜牟田口」。また当時このような歌も流行った。 「牟田口閣下のお好きなものは、一に勲章、二にメーマ(ビルマ語で女)、三に新聞ジャーナリスト」。 「失敗したら腹を切れ」と部下を難詰するも、自身は自決することなく、余生をまっとうした 指揮下部隊を置き去りにして、いち早く戦域を離脱し安全な後方地帯へと逃げ込んだ。
 将兵からは「bakaな大将、敵より怖い」と罵られ、「鬼畜の牟田口」と呼ばれていたと伝わる。 インパール作戦失敗の責任を問われると、「あれは私のせいではなく、部下の無能さのせいで失敗した」と牟田口は頑なに自説を曲げずに自己弁護に終始した。
 兵士たちへの謝罪の言葉は死ぬまで無かった。それどころか遺言を残して、自分の葬儀においても、自己弁護を印刷したチラシを参列者に対して配布させた。 日本軍史上、現代に至るまでこれほど酷評され、擁護する人間が全くいないのは、将官、将校では稀有な存在である。

人は、牟田口中将の評価が定まってみると、尻馬に乗っていうが、世間の人が「軍神」と言われている間に、内部告発に類する発言、それをいうのは、かなり勇気がいることだ。そいう例は、今も、きっと現代にもあるに違いない。

Img_2327_2040630sanin01藤井裕久幹事長 昨今の政治家発言を見ていると、二世、三世議員、世襲議員でも勉強した人いるだろうが、世間の常識からズレていることすら気づかない人も多い。親の光であがってくる議員は、エネルギーがない。そこが問題点と民主党の藤井さんが突いていた。よくタレントとか、有名俳優で、電車の乗り方すら知らない人がいる。個人で暮らしている限りには、問題はないが、政治家とか、人を仕切る指導者には、こういう人は困る。

Oota_2 ましてや、確信と称して愚かな判断を押付けるようになっては、そういいう人は表舞台(部隊)から引っ込んでもらうしかない。学力と人物評価、これは別ものである。知識の量が多い人が、必ずしも尊敬に値する人物であるとはいえない。

これを教育の原点にしないといけない。中山成彬の日教組を目の敵発言、「目クソ、鼻クソ」愚もつかない。柳沢伯夫、近くは太田誠一農水大臣、バカでもそんなことを言わないだろう、と思うことを発言している。訂正、撤回しても頭の中身が見えてしまったことに変わりはない。

官庁でキャリアが出世すると現場との距離ができる。トップの大局観から、一般がどんな影響を受けているのか、切実さが肌身に感じなくなる。能率優先、戦果を求めるとなると、現場を犠牲にして、叱咤することが平気になる。そのトップの頑迷な個人的な欲、個性などから多大な影響が出る。

きっと世間には、えらそうなバカが、まだまだいるに違いない。えらそうなヤツは、きっと世間並みというレベルを知らないから起こるのに違いない。内部告発をお待ちしています。

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コメント

牟田口廉也の名前を聞く度に心が煮えくりかえる思いである。インパール作戦という負けが決まっている作戦を決行し数万人の軍人を犬死にさせた罪は万死に値する。かくも悲惨な自体を巻き起こしながら本人はのうのうと逃げ帰り戦後命を全うした事は許されない。
それに比べ牟田口と略々同等の海軍兵学校の校長であった井上成美大将は戦時中は戦争に反対であり戦争責任は全くなかったのに戦後は責任を背負って完全に引退・隠遁し子供達に英語を教える等をして糊口を凌いで一生を全うされた。まさに軍人のかがみであると考えられる。まさに軍人の両極端である。

投稿: SEIDEL5 | 2008年10月 5日 (日) 07時04分

インドの解放者であり、大東亜共栄圏の王道楽土建設に燃えて戦った闘士である。
いい加減な論評はまさに国賊ではないか

投稿: 鉄扇 | 2009年1月23日 (金) 06時13分

いい加減な論評?
兵士たちが飢えや病に苦しんでいるとき、牟田口は飲酒に美食、更には日本から連れて来た芸者を毎日抱いていた。
危なくなれば、適当な理由を付けての敵前逃亡。
戦争が終われば、自己弁護に終始。
他にもあげればきりがない。
これのどこが大東亜共栄圏の王道楽土建設に燃えて戦ったと、胸を張っていえるのか。

本来、上官は兵の模範でなくてはならない。
「余は常に諸氏の先頭にあり」を有限実行して散っていった栗林中将を始めとする、日本を守るために戦い抜いた将官、それに従い一つしかない命を賭けて最後まで戦い抜いた多くの英霊達…。
敗戦後もインドネシアやベトナムなどの亜細亜の独立の為に、故国を捨てて独立戦争に立ち上がった多くの将兵達…。
彼らの爪の垢でも飲ませたいくらいである。

改めて言わせて貰うが、牟田口は間違いなく日本の恥さらしとも言うべき誇りを捨て去った愚将であり、その罪は山よりも高く、海よりも深い。
このような輩を断罪することなく、擁護することこそ、おぞましい腐敗以外の何者でもない。

よって、牟田口を擁護する者こそ、本当の国賊であると私は思う。

投稿: 通りすがり | 2009年7月 3日 (金) 01時43分

中山氏をやり玉に上げるなら、政党助成金で不動産屋まがいの資産形成した小沢氏や故人献金の鳩山氏は、もっと避難されるべきだよ。

投稿: アルマジロ | 2009年9月 1日 (火) 21時39分

 放言をする官僚や指導者の失言、資質を糾弾しているのであって、今回の論点とは小沢氏や鳩山氏の問題は、指導者の資質の観点とは違うので別の問題にしたい。この問題は、自民党とか民主党だからという、党派的な観点から追及するのではなく、指導者としての資質、センスを問いたい。

 今回宮崎県1区で中山氏は、一旦不出馬を決めてから、再立候補をして見事落選。自民党の応援もなく、信念に忠実で、彼自身立派な人間であろうとも、この行動には納得できるものではない。たとえ彼の「日教組非難」に正当性を認めても、立候補辞退→東国原推薦発言→候補決定後→無所属再立候補、一連の行動を見て、納得できません。
宮崎1区
①川村秀三郎 109,411当選
②中山 成彬  55,114落選
③上杉 光弘  47,116落選
選挙民も中山氏に賛成していないのは、票数を見ても判ります。二位三位連合で民主党系の①当選候補といい勝負だったのを中山氏は潰した責任がある。
中山氏の能力と経歴はきっと立派なのだろうと思うが、唐突な「日教組非難」などは一般の人には、なせそこまで発言するのか、理解できない。今回の再立候補の行動も、信を失った行動である。これは指導者としての行動としては、尊敬されない。これでは、奥様の中山氏の立場まで悪くしている。

投稿: nozawa22 | 2009年9月 2日 (水) 02時05分

愚かさとは、客観的な自分の姿が見えてないこと。SEIDEL5氏は気の毒な方である。
中央公論から『失敗の本質』を読まれるが良いだろう。
ただし、75000人の英霊に合掌されてから。

投稿: tyounatogi | 2009年10月25日 (日) 11時59分

牟田口は現代においても殺人扱いにはならないものの同等の事をしておる。もっとも卑劣な男だ。
さっさと地元へ帰れ!仙台が汚れる!!
仙台から出て行け!
わかったか!牟田口!

投稿: シロクジラ | 2010年2月 4日 (木) 19時04分

 世の中にはいろんな人がいるものです。
 牟田口某のやったことそして言ったことを知って、今改めて思い出しました。上の方こそ、責任を取ると言いながらして責任を取らないと言いますが、その代表見本のような大変エライ人物なのですね。
 特攻隊を送り出すときに、「貴様の死は決して無駄ではない、本官も貴様の後を追う覚悟である」とか言ったその上官たちで、敗戦後その言葉通りの行動をとったものはほとんどいなかった、と聞きます。
 しかし、こんなエライ人の言うとおりに死んでいった人がいるわけで、この牟田口某同様、あるいはそれ以上に責任を取ってもらう必要があります。
 何でもこの人物、割腹自殺を図ったのが失敗してしまったとか、さすがと言うべきでしょう。

投稿: 小さなmijinko | 2010年3月13日 (土) 16時18分

日教組(笑)はカスだよ^^後一番のバカはお前な^^
のうのうと学校長をしていたって佐藤幸徳中将の事か?
この人は牟田口に反抗して部隊撤退させた帝国陸軍の良心だぞ。
勝手に牟田口達が精神病扱いしたから戦線を退いた訳で(自分達の失敗が露見しないように)
何でも叩けばいいってもんじゃないよ左翼^^

投稿: あ | 2010年5月 6日 (木) 13時19分

官庁でキャリアが出世すると現場との距離ができる。トップの大局観から、一般がどんな影響を受けているのか、切実さが肌身に感じなくなる。能率優先、戦果を求めるとなると、現場を犠牲にして、叱咤することが平気になる。そのトップの頑迷な個人的な欲、個性などから多大な影響が出る。

きっと世間には、えらそうなバカが、まだまだいるに違いない。えらそうなヤツは、きっと世間並みというレベルを知らないから起こるのに違いない。

投稿: | 2010年9月14日 (火) 12時59分

牟田口 むだ

投稿: | 2010年10月14日 (木) 15時33分

インパール作戦で大失敗をやり、戦況が悪くなると敵前逃亡をやった15軍団司令官牟田口廉也がいる。その後、そのことを問われると、言い訳に終始したA級戦犯である。

投稿: | 2010年11月 7日 (日) 05時28分

私には戦争の経験は有りませんが、牟田口中将の名前は知つております。
 インパール作戦は、牟田口だけの責任にするのではなく、日本陸軍監督官庁の責任も免れない。ただ(士官学校で)学問が出来るだけでは、 最後は墓穴を掘る人が多い。

Caburon様
 貴重なご意見ありがとう。
 監督官庁の責任は問いたいのですが、まず個人の責任を問うことからしないと、組織の責任は不明になるのではないか、ソレを危惧します。
 権力と地位をもつトップは、その指揮、行動に責任を感じてもらう必要があると思うのです。そうでないなら、その地位は断るべきです。

投稿: Caburon | 2012年3月 1日 (木) 04時19分

ありもしない埋蔵金詐欺選挙で当選して、できもしない年金税方式を官僚にやらせようとして、年金の積立金をぼろぼろにした平成の牟田口ともいえる厚労大臣がいたなー。
いつの時代にも、自分の出世のために、部下にむちゃくちゃなことをしいる奴がいるもんだな。また、そういうやつが出世する。

投稿: 快傑 ハリマオ | 2012年9月23日 (日) 14時34分

インドを開放したぁ?ハァー?
正しく情報公開される時代になっても、無駄口のような腐れ外道を擁護するバカがまだいるんですね。
だから原発がバクハツして滅亡の手前まで言っても「大丈夫!」なんてドアホの多いこと。
この国、もうオシマイだね。

無記名様
 もう少し、あなたの主張を丁寧に書いて頂かないと、正当に伝わってきません。記名して、頂くと、きっときちんとした主張が書けると思います。

投稿: 無記名 | 2013年1月14日 (月) 16時00分

遠慮しますよ。キミのような暇人や**ウヨ、ゴロツキに理不尽な目に会いたくないですもの。

投稿: | 2013年1月14日 (月) 17時50分

>兵士たちが飢えや病に苦しんでいるとき、牟田口は飲酒に美食、更には日本から連れて来た芸者を毎日抱いていた。

 南方総軍の寺内もサイゴンで遊蕩三昧
、ビルマ方面軍の河辺も、抗命事件の山内も、芸者やら慰安婦やら飲んだくれてたよ。
 寺内は牟田口が具申した補給物資やトラックは2割もよこさなかった。それでインパール獲れと大本営は尻を叩いた。
 あと山内は皇道派、牟田口は東條配下の統制派 そりが合うわけない。

 当時の大本営の陸軍部も海軍部も、作戦ありきで、情報や兵站を軽視。山下大将の14軍も、手足もがれた状態。ルソン堅守の方針がレイテに精鋭を抽出されてグダグダ。
 それでも終戦まで持ちこたえた。で、マッカーサーの恨みを買って絞首刑。
 大本営の作戦は、情報軽視と兵站軽視、机上の作戦理論に拘って現場をみなかった作戦参謀が一番悪い。

投稿: 無記名 | 2014年8月28日 (木) 05時10分

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