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2008年9月25日 (木)

鳥越俊太郎の就職試験&手術

2208 鳥越俊太郎は肺がんから生還した後、彼の体調はきわめて良好だという。水泳を始め、酒はほどほどにして、肌艶がよく、精神的にも気分がいい、という。

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鳥越 俊太郎(とりごえ しゅんたろう、1940年3月13日 - )は、日本のジャーナリスト。福岡県浮羽郡吉井町(現・うきは市)出身。久留米大学附設高等学校、京都大学文学部史学科国史学専攻卒業後、1965年毎日新聞社入社。新潟支局が初任地。1968年6月2日、博子夫人と見合いで知り合う。同年10月に結婚。鳥越さやかは実娘。ウィキペディア(Wikipedia)

2209 母は88歳で、九州福岡久留米で健在。つい最近まで合唱団の指揮を取っていた。鳥越俊太郎の両親は、合唱団で知り合って結婚したのだとか。別のところで聞いた話だが、彼は今でも、家で妻に「愛している」という習慣がある、とか。

2216 彼も(京都)大学に入って、やはり合唱団に入った。彼は、人前でしゃべったりするのが不得手で恥ずかしかった。それでは、長い人生、生きていく上でこれではいけないと思って、マネージャーに立候補した。人前で恥をかきながら、始めは人前に立つと足が震えていた。

(毎日)新聞社を受験したとき、一次試験は通って、面接の前にグループディスカッションがあった。8人くらいの集団で、テーマを与えられて、話をする。

2206ザ・スクープ初登場19年前 そのとき、合唱団でみんなで話をしていた経験が役立った。あとから知ったのだが、この討論で、一番しゃべった人と一番しゃべらなかった人は落ちた。討論をまとめ、協調性がないと落ちると知った。自分の意見ばかりしゃべりまくる人はダメ。みんなの和に入らない人もダメ。

鳥越は「A君の意見とB君の意見はここが違うが、C君はどう思う?」と、合唱団にいたから、すぐ仕切り役になってデスカッションをリードしていた。そんな点を認められて、試験を通ったのだ、と思う。

サンデー毎日の編集長になって、活字の世界で24年目に「テレビの司会」への話があったとき、娘に「にじににじがでた」と言ってみて、といわれた。九州のなまりがあって、とてもしゃべって聞かせる自信がなかった。「みちのみち」もなまりがあると、聞き分けにくい。解答「二時に虹が出た」「未知の道」

「鳥越さん、なまりも(個性の)味ですから」といわれて、その殺し文句に、そうか、と納得してテレビの世界へ・・・というわけだ。

22222225 その後、ガンの手術をした。腹腔鏡手術のあと(カメラの穴、メスの穴)を示して、「これはこれから手術しようとする人に、こんなに簡単に治ることをテレビマンとして見せる、これも使命なんだ」と黒柳徹子に見せた。手術あとは実に小さくて、これなら、ほんと、やってもらってよかったね、と思える。見終えると「奥様、(旦那の裸を見て)ごめんなさい」と徹子さん、気つかう。

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