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2008年8月22日 (金)

岐阜県中津川市出身 草野満代

1118中津川近くであろうが場所は不明 故郷は岐阜の山奥で」と草野満代はいう。ウイッキペディアでみたら、岐阜県中津川市(元恵那郡福岡町)とあった。高校(恵那校理数科)では、ちょうどコンピュータが出てきた頃で、大学は津田塾数学科を出たのですが、画面を見ているより、人間を相手にした方が面白いと、NHKを受験しました。

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恵那高は、今地元の中学生が目指す県立高校(特に理数科)である。私の卒業した昭和30年代までは、中央線上で中津高校(戦前の旧制女学校、長野寄り中津川市)と恵那高(戦前の旧制中学、名古屋市寄り恵那市)と多治見北高、この三つ競ってたが、いつの間にか、中津高校はズルズルと差を空けられている観がある。

Photo_2草野アナは、自己紹介風に説明するとき、中津のことは一切言わないのが、ちょっと不思議だった。「岐阜の山奥で」というと、MC黒柳徹子は「空気がきれいなんでしょうね」と返すていどで、高校卒業までの説明は、すっ飛ばしてしまった。

個人の歴史としては、子供の頃、勉強を中心に大事に育てられると地元との結びつきが薄くなる。山奥の田舎なんだから、遊びまくっているのが普通で、その後中学生くらいになって、段々と家にこもるようになって勉強する。

その後、アナウンサーになると、交流の幅が広くなり、そのほうが、それまでと比べ物にならないほど、多くの人に会い、興味深い出来事と遭遇する。そうなると、淡い恋心も、平凡な田舎の出来事はかすんでしまうのだろう。アナウンサーや記者のOB,OGに聞くと、現在進行形でいやおうなしにいろいろの出来事に接して、古い話は歯牙にもかけなくなる。

他の受験者のようにアナウンサー予備校とか、アナウンス研究会に所属はしていなかったが、NHK受験で合格して、アナウンサーになったのは、ヘンなクセがないと認められたからだ、といわれたと。フジ、朝日、TBS,日本テレビの民放のように、女子アナの容姿は厳しくない。ある程度の水準ならOK.

大学生の頃、親しい友人に「アナウンサー研究会」のメンバーがいた。後にNHKアナウンサーになった隣の部屋のM君は自室で朗読の練習をしていた。「アナウンサー研究会」通称アナ研と呼んでいた。彼らは朗読をテープレコーダーに吹き込んだり、和気藹々と大勢でたむろしていた。

11001102_2 初任地は金沢で、新人アナウンサーは高校野球の担当をさせられる。その年、星陵高校が甲子園出場する。で松井秀喜が1年生で4番打者になり、草野が先輩女子アナと「ふるさと紹介」の番組「四番打者は1年生」を作成した。そのとき、始めて1年生松井秀喜と会った。新人アナウンサーと高校1年生。

Photo02 4年後、東京へ転勤してサンデースポーツを担当していた草野満代と巨人軍へ入団した松井秀喜が再会したさい、松井は「草野さん、フケましたね」と言ったという。新人アナの金沢では22歳、東京では26歳。一方、巨人に入った松井秀喜は18歳だろう。「なんてコトを言う」と思ったか、「よく私のことを覚えてくれた」というべきか、迷うところだ。

なにしろ、相手はヤンキースの4番を打つ打者になっているのだから。高校1年生の松井秀喜からヤンキースの4番打者というイメージを持てといわれても、難しいかも。

1122 地元の局はこじんまりとして、その分地元との密着度はある。毎日のように高校野球では星陵高校のグランドは通い、野球をまったく知らない草野は山下監督に教えてもらってスコアブックをつけ、スクイズとはなにか、等々を覚えていった。

或る日、「草野のために放送枠を取った」といわれて、高校野球県予選の実況中継をやることになった。素人のアナウンサーだから、ライトにあがったフライをレフトの選手が取ったという実況をする失敗、地元放送だから聞いている人が少ないだろう、と思ったところ、局へはクレーム電話がジャンジャンかかってきた。

1106_21108 東京へ戻ってきた草野の始めてのニュース朗読で大失敗をした。4分40秒程度の原稿を読むことになっていた。新人だから、下読みも十分やって、そのペースを心得ていたつもりが、本番になって、真剣になればなるほど、早口になって、予定より20秒も時間が余ってしまった。草野は、5秒間カメラを見つめて時間をやり過ごそうと思ってじーっとカメラを見ていた。5秒でもアナウンサーが無言でいると長い。耐え難くなった草野は画面から左へ左へフェイドアウトしようと・・・隣りの上司もびっくりして・・・

黒柳徹子も、それにあわせて、放送創世記ころの話しをした。生放送で時間より早く終わってしまってカメラの前でじっとしていたが、「イヤンになっちゃうわ」とつぶやいて、デレクターに大目玉を食った話しをした。テレビはそのころ860台だから、学芸会で演じているような気楽さがあったのだろう。

11111120 草野の家は、共働きの家庭で、母の家での仕事は朝食のみで、他一切は祖母の仕事で、満代の面倒はほぼ祖母が見ているという印象である。母は歌舞音曲がすきで、また好きなことを姑である祖母に許してもらっていた。或る日、満代が2年生のとき、着付けの免状が取りたいと京都へ3ヶ月も私を置いて、家を留守をしたことがある。「自分に子供ができたら、家に母がいるようにする」と母に啖呵を切った。

Nhk_hearttv_youko_sakurai そうしたら、黒柳徹子が「そういう状態になっていないのね」とちょっと突っ込む。そうか、これを言うと、こう返ってくるのか、と気づいた感じで「情けない状態ですね」とその話しを納めたが、結婚については聞いてくれるな、と徹子さんに言っていあるようで、恋愛話は一切やりとりはない。

NHK女子アナには、やっかみが出るほどの美人過ぎず、ブスでもない、気配りできる桜井洋子以来の系譜がある。草野満代もそこに入る。

全国の隅々まで好かれるよう、NHKは気苦労がある。「桜井洋子のファン」という元防災自治大臣がいた。草野満代もそういうファンに見初められるといい。ファっとした感じが前面にでるとそうなるだろう。どこかフアァとした感じが不足している。桜井洋子とどこが違うか、よく考えたら、草野には「上から目線」を感じるんだね。もっとバカにならならないと、今のままカタブツの印象は抜けない。中津の町柄というのを反映しているかも。

歌舞音曲が好きな母は、NHKのど自慢へ出ようとしたところ、草野満代の母が出るとなると、局内で注目されるからイヤだ、ゼッタイ出るな、と母を止めた話をした。ここで、彼女の性格がよく出ていた。

「お母さんがNHKののど自慢に出るなら、私、NHKを辞めるから」とかなりきつい調子で母に迫ったらしい。草野の母親だとわかることが、イヤだったようだ。この母親が知られるのは、多かれ少なかれ、誰でも持っているが、かなり潔癖、自分の気分を一番に出せる気の強さは、ピカイチ。仕事向きかもしれないが、結婚相手として、相手から選ばれる側になると、ちょっと引くかもしれない。その後、8年くらいでNHKをやめてフリーになっているのだから、母に「NHKののど自慢」に出させてあげればよかった、という。

あとから、母が仕事をしていてそれを理解できるようになった。仕事は楽しいことばかりでないし、業績を上げることも必要だ、という。NHKはニュースをやっていたときは、しかめつらばかりしていたので、笑い顔を見せていなかった。一般の人と接すると、「草野さん、笑うのね」といわれて、逆に驚くという。

やっと、バラエティに出るようになり、素のまま、構えない自分という面を見てもらう、そういう片意地張らないでいくつもり、そういう自由闊達の姿勢でいきたいと最後に言っていた。

明治生まれのおばあちゃんに育てられて、小学生頃でしょうね、男の子と遊んでいると、「男の子とは遊ばない」と叱られた。人前で何かするようなことはさせたくなかった。NHKに入ったときは、半年は口を利いてくれなかった。女が職業を持つとか、女が表立って何かをすることは、「女伊達らに」という気風がおばあちゃんにあったのだろう。

東京の局で朝のニュースを読むようになり、朝5時ころであるが「おはようございます」と画面上で挨拶すると、祖母は既に病気がちであったが、正座して画面の孫娘に向って「おはようございます」と頭を下げていた。それを祖母が亡くなってから、母から聞いたという。祖母の心がよくわかる話だった。

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