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2008年8月31日 (日)

関東軍 機密費戦費まかなう阿片

1411 板垣征四郎、東条英機が、日本政府の不拡大方針に逆らって、関東軍を動かして中国で戦線を拡大して勝手な行動できたのはなぜか。日本政府が予算を付けなければ、彼らは行動ができないはず。暴走の裏に阿片があったということを「兵士の戦争、NHK証言シリーズ」で紹介していた。二人とも、A級戦犯で絞首刑、靖国神社に合祀。問題の人物である。

00002 満州国という独立国は、日本からは心のトゲのように語られるが、若い人には「満州国って何?」と思われるくらいの存在だろう。満州の位置は北朝鮮の更に北にある中国大地(緑色部分)だ。

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次に、「関東軍って何?」関東軍:日露戦争後にロシアから獲得した(遼東半島=関東州)租借地と南満州鉄道(満鉄)の守備をする関東都督府陸軍部が前身。1919年改組後は、関東軍として独立。当初は独立守備隊6個大隊と2年交代で内地から派遣される1個師団の編成。と説明しても、それで?と言われるかもしれない。

そこで関東軍を勝手に動かして、中国で戦線拡大した、板垣征四郎東条英機がいた、といってもよくわからないかもしれない。彼らの行動を通して、戦争が起こる原因を追究してみたい。

Tojo2 東條英機は1884年(明治17年)7月30日、東京市麹町区(現在の千代田区)に東條英教陸軍歩兵中尉(後に陸軍中将)と千歳の間の三男として生まれる。 本籍地は岩手県。長男・次男はすでに他界しており、実質「家督を継ぐ長男」として扱われた。番町小学校、四谷小学校、学習院初等科(1回落第)、青山小学校を経て、1897年(明治30年)、東京府城北尋常中学校(現・都立戸山高等学校)に入学する。
 1899年(明治32年)、東京陸軍幼年学校入学(3期生)。1902年(明治35年)、陸軍中央幼年学校入学(17期生)。1904年(明治37年)、陸軍士官学校入学(17期生)。 英機は、現役軍人のまま第40代内閣総理大臣に就任した(在任期間は1941年(昭和16年)10月18日 - 1944年(昭和19年)7月18日)。
ウィキペディア(Wikipedia)

Itagaki_seishiro 板垣 征四郎(明治18年(1885年)1月21日 - 昭和23年(1948年)12月23日)は、昭和期の陸軍軍人である。満州国軍政部最高顧問、関東軍参謀長、陸軍大臣などを務めた。敗戦後、東京裁判にて死刑判決を受ける。現在は靖国神社に合祀されている。元参議院議員の板垣正は次男。
 岩手県盛岡市出身。盛岡中学、仙台の陸軍幼年学校、陸軍士官学校(16期)で学び、陸軍大学校(28期)を卒業。父は旧盛岡藩士。実家は日蓮宗の信徒。 
 昭和4年(1929年)に関東軍の高級参謀になった。昭和6年(1931年)、石原莞爾らと謀り、満州事変を実行。昭和7年(1932年)、建国した満州国の執政顧問となる。次いで満州国軍政部最高顧問(1934年8月~12月)、関東軍参謀副長兼駐満大使館付武官(1934年12月~1936年3月)、関東軍参謀長(1936年3月~1937年3月)。二・二六事件後の皇道派の掃討のあとは、いわば「東条派」との対立の中で「石原派」の重鎮として、第一次近衛内閣で陸相に就任。宇垣外相による日中和平交渉に際しては、「蒋介石の下野」を講和の条件とする強硬論をぶち上げ、交渉不成立の原因を招いた。平沼内閣でも陸相を務めた。その後は、支那派遣軍総参謀長に転出し、1941年に大将に昇進したと同時に朝鮮軍司令官となる。昭和20年(1945年)4月、第7方面軍司令官。一流の軍歴を歩んでいるが、部下の参謀や少壮の将校達の言うがままに動くところがあり、「頭に祭り上げられる型の軍人」と評する声もある。
ウィキペディア(Wikipedia)

1376 勝手に出先の関東軍が、日本政府の言うことを聞かないで軍を動かすことができるだろうか、その疑問を解いたのが、NHKの調査報告「日本軍と阿片」だった。参考ブログ←紹介

003029a1347_ro10yen日本軍は軍隊内で通用する「軍票」がある。しかし、中国内では誰もこの軍票を価値ある貨幣だとは思っていないので、殆ど使えない。軍の権力で通用させて、多くの中国人はこの軍票を持っていて、これを買い取ってほしい、という。現金として物を買って払ったのが軍票なら、それが単に紙切れ・・・となれば、当然中国人は怒るだろう。未だに戦後処理が行われていない、軍の犯罪である。

昭和12年、盧溝橋事件以後、戦線拡大で日本軍は中国内で占領地に傀儡政府を作っては我が物顔をして、中国国土をほしいままに使っていた。清朝が倒れていない、国民政府ができる前の中国は、国自体が疲弊して、押せば今にも倒れそうな状態で、香港、マカオとか、99年単位でイギリスやフランスに立地のいい場所を租借された。99年たって、ようやく香港は中国に戻ってきた。戦前の中国は、西欧列強に食い荒らされた場所だった。

日本政府は、「戦線を拡大する意思はない」不拡大の意思を明言したにも係わらず、関東軍、板垣征四郎辺りの強硬派がどんどん中国内部へ領土拡大していった。そのさい、内地政府から予算が付かないのは当然である。機密費が必要だから、ということで、関東軍の知恵者が阿片に目をつけた。戦時中、日本の戦費は年間予算の70%を越す。そんな状態で戦線を拡大した分に予算が付けられるはずがない。

そこで、阿片を現金代わりに使うのが当然のようになっていた。特務班を中心に、中国人をスパイに仕立てて、敵情を探らせていたが、お金の代わりに阿片を持たせたという。

13901391 特務班の班長だった人が、阿片はこのくらいだと見せてくれたのはアメの包みだった。これが10粒で、一ケ月の給料くらいした、という。一粒が1万数千円の価値がある、ということだ。軍票をもらうより、ありがたいことになる。

1387 証言している特務隊の班長だった人は、官給品の阿片を10粒、県庁でもらい、それを資金として活動をするのだという。ポケットにそれを入れて、阿片窟へ行って阿片の暗号で小指を立てて「いりませんか。要不要ヨウプヨウ」と取引するのだと説明した。

1367 阿片はケシの実を傷つけて、そこから出る汁を削り取って貯めると阿片の元になる。そんな説明はあまりよろしくないが、それを軍が目つけた。日本軍は金欠でお金がないから、それで阿片栽培して、それを精製して、機密費にしたり、軍費にしていた。阿片争奪戦(第80話)に詳しい。歴史研究家:岡崎溪子

これ阿片の害は、人間を破壊する。ヨーロッパ列強が中国で、阿片戦争をやって、もう骨身にしみていけないもだと、方向転換した後に日本がイギリスの真似をしているわけだ。散々ヨーロッパ列強諸国が甘い汁を吸ったあと、日本が50年遅れてやると、ダメだと文句言われている。満州国設立もヨーロッパの植民地政策の真似。国際連盟の委員会で、非難勧告されて、日本軍はそれをおっぴらにできないから、取り扱うように偽装組織の民間機関に任せた。それが宏済善堂である。アメリカの諜報機関は、既に日本軍は阿片の取り扱いを偽装慈善団体で行う、と報告書に書いている。(戦後資料で発見)

中国戦線が広がると、中国政府は、日本の中国侵略を国際連盟に提訴して、制裁を発動するように求めた。それに応えて、連盟は第16条(経済制裁)を与える権限を与えた。この一連の行動から、ついには連盟の機関との効力関係を停止を通告した。日本が国際的に孤立していく道を選んだ。

Img_1462 益々中国内で占領地を増やして、占領地に傀儡政府を樹立した。その費用にも、阿片から得た利益をつぎ込み、武器弾薬の費用をまかなった。阿片は内モンゴルの農家を動員して大量生産していた。年間33トン、金額にすると、現在の金額で110億円に上った。その当時、阿片で得た金額はほぼ南京政府の年間予算に匹敵した。

1373 宏済善堂の副代表をしていた中国名李鳴(日本名:里見甫)は、東京裁判(国際軍事法廷)で証言している。宏済善堂へ阿片が送られてくると、それを売りさばき、最初は関東軍に治めたが、南京傀儡政府ができると、そっちへ納めたと言う。東條英機、板垣征四郎の関与も証言した。

里見 甫(さとみ はじめ、1896年1月12日 - 1965年3月21日)は、関東軍と結託しアヘン取引組織を作り、阿片王と呼ばれた。中国名李鳴を名乗って活動した。
 満鉄総裁に就任した後藤新平は、台湾総督時代に阿片の専売化・漸禁政策により、アヘン戦争以来中国に流入、蔓延していた阿片売買を独占する。満州でも同様の政策を実行し、阿片利権は三井物産および
興亜院主導で設置された宏済善堂理事の里見に託される。関東軍の影佐禎昭大佐の指導で中国の地下組織青幇や紅幇とも連携し、上海でのアヘン密売を取仕切る里見機関を設立。阿片によって得た莫大な利益を関東軍の戦費に充て、一部は日本の傀儡であった汪兆銘政権に回した。(8%が宏済善堂の利益)ウィキペディア(Wikipedia)

1476 興亜院(こうあいん)は、昭和13年(1938年)12月16日に設立された日本の国家機関の一つ。中国大陸での戦線が拡大し占領地域が増えた為、占領地に対する政務・開発事業を統一指揮する為に設けられた。長は総裁で、内閣総理大臣が兼任した。総裁の下に副総裁4名と総務長官、政務部・経済部・文化部の各部長で構成された。ウィキペディア(Wikipedia)

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コメント

>軍票なら、それが単に紙切れ・・・となれば、当然中国人は怒るだろう。未だに戦後処理が行われていない、軍の犯罪である。

ブログ主の認識では破産は犯罪行為のようですね。借りたもんはどうなっても返せと債務者を自殺に追い込むヤミ金と同じ考えのようですな。
日本が戦争に勝っていれば通用して兌換が補償される、負けたから紙くずになったに過ぎない、これを犯罪とは笑止。

投稿: | 2008年9月 2日 (火) 22時09分

軍票は戦争に負けたから、日本は免罪になり、法律上責任を負わなくてもいい、ということ微妙な問題ですね。日本人の立場では、「戦争で負けたから軍票は使えないの、ゴメン」と言って、知らん顔していていいなら、ラクなもです。中国の国と人々に多大な迷惑をかけた、このことに日本人として「心からのごめんなさい」の気持ちで、軍票問題にも接するのが、中国と本当に友好を結べるのだと、思っています。
 戦前の軍のやったことを一つずつ検証して、現代日本人がどう接したらいいか、「笑止」と投げ捨てるのではなく、一緒になった考えませんか。共に考える仲間になってください

投稿: 共に考える仲間 | 2008年9月 3日 (水) 00時18分

NHKは支那事変以前の支那におけるアヘンの実態や、日本が台湾でアヘンを撲滅させた実績などを隠蔽しています。
NHKによる日本を貶めるための悪質な印象操作と認められたので、まずは郵便にて質問状を送りました。

投稿: deliciousicecoffee | 2008年9月 4日 (木) 00時23分

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