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2008年6月 4日 (水)

先生の名前を覚えていますか

Photo 忘れることで、人は辛さから逃れる、ともいう。平常心を保つこともある。

小学校以前の記憶もあるし、一年生の入学式の思い出もある。一年生の担任は東京から引き揚げてきた本町のポンプ屋の加藤すみよ先生だった。よくわからなかったが、一年生の途中で産休に入ってしまった。その時生まれた春郎君が生まれて、彼はその後、中津市役所の助役になっていると聞いた。

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A05←南小学校の運動場側 二年生になって、同じ加藤姓であったが、とき先生が担任だった。3年まで加藤とき先生。4年で近藤武典先生、5年は新田平八先生。6年は澤田寿子先生だった。

中学1年で西尾岩夫先生、2年、3年が間太利先生。高校は1年が国語の谷開石雄先生、2年が世界史の山田妙子先生、3年が数学の熊谷公平先生

01←南小学校の正門 自宅を訪ねた先生は、加藤すみよ先生(本町)、4年近藤武典先生(市内駒場)、5年新田平八先生(手賀野)。6年澤田寿子先生(南小の教員宿舎)中学2年、3年間太利先生(本町)、高校1年谷開石雄先生(下宿先栄町)、2年山田妙子先生(宮町)、3年熊谷公平先生(横町)担任ではないが、大正町の新聞部顧問千村先生宅へは土曜日本を借りに行った。

もちろん、単独で行ったわけではないが、生徒が先生の家を訪ねて話を聞く機会があった。授業時間外にまで、子供が来て、厄介だったろうが、生徒に取っては、先生の人徳に触れる機会だった。

昭和20年代から30年代の、生徒と先生のふれあいの一端である。「坊ちゃん」(夏目漱石)でも、生徒が先生の下宿へ遊びに来るシーンがあるじゃない。それと一緒だから、当然生徒は先生の家へ遊びに行っていいものだと思っていた。

先生の名前を忘れるような、そんなことはないのが普通だろう。そう思っていたが、そうでもなくなったかな。生徒と先生との関係が希薄になったのは、そして、日本の社会がギスギスしてきたのも、人間社会になにか崩壊が起こっているのだろうか。先生の名前を覚えていることと関係があるかもしれない。

担任以外、小学校では、ほとんど担任が全科目を担任していたから、他の先生と接することは少ないが、中学は理科(志津)音楽(安保昭夫)社会(柴田、小坂)英語(中川、森)先生などなど、先生の姿とともに思い出す。思い出せることは、人生の財産でもあると思っている。校長三宅武夫先生が優秀な先生をスカウトしてきたんだと自慢していたのは覚えている。その頃の中津川市立第二中学校は、一学年6クラスで3学年、で1000人の生徒がいた。

私が教育実習に行ったときも、団塊世代ベビーブームでそれ以上の生徒がいた。懐かしい思い出である。

冒頭の投書にアンサー投書があった。

Photo_3 

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