« 渡辺喜美行革大臣の涙 | トップページ | 新ニッポン人現わる 久米宏 »

2008年6月 1日 (日)

加藤登紀子 遠い祖国

Img_0021 加藤登紀子は昭和18年満州で生まれた。そして2歳半で、母と兄姉と共に満州引き上げ。

死と隣りあわせの状態での引き揚げは、とても言い表すことのできない体験である。加藤登紀子 - Wikipedia

☆読み始めたら、ここで木戸銭としてクリックしてね!
   ↓   ↓

人気blogランキングへ  nozawa22ブログ順位がわかる

Img_0030 日本人が集団で宿泊している場所にソ連兵が押しかけてきて、大切に命の綱としてる食べ物をそっくり奪われて、食うものがなくなった。奥さん方は「ここで飢え死にしよう」と悲観して、集団ヒステリーになったとき、登紀子は後に母の気持ちを聞いた。「飢え死になんか、外へ出れば万頭が売っている。着物を持っていって交換すれば、いくらでも買える」と、この日本の敗戦で自分で生きることに目覚めた。母のバイタリティに感心した。

Img_0019 特権階級に胡坐をかいて生きてきた日本人は、いざというと、まるで生命力も知恵もなかった。敗戦で、登紀子の母は生き生きして工夫を始めた。母は京都へ引き揚げてきて、父の実家へ来て、洋裁の技術を生かして、洋服を作ってそれで生計を立てた。父は事業を起こしては失敗を重ねていた。

Img_0036 登紀子に取っても、満州からの引き上げは。心に強く残っている。線路を見るだけで涙が出るという。遠い祖国は、満州から引揚を母の目線から歌ったものである。

母は父が満鉄に就職を機に満州へ渡る。当時の人としては、進取の精神があって、日本に納まりきらない人だったのかも。 

Img_0024Kif_0006引っ込み思案であった登紀子を歌を習わせて、自信を持たせる。学校では先生から心配されるほと消極的な子であったが、母は子供を信用していた。先生より母は子どもの潜在能力に信頼していた。00008_2

nozawa22: アジアの風 感じて 加藤登紀子   シベリアの抑留日記  ソ連兵強姦の現実 手記 文藝春秋 怨みに徳をもって報いる 以怨報徳  戦後満州引き揚げ 故郷への道     牡丹江へ突入した避難列車の悲劇      社会保険庁の愚、旧日本軍の愚    戦争の記憶が薄れるご時世 3  戦争の記憶が薄れるご時世 2  戦争の記憶が薄れるご時世 1  

☆今後とも、励ましクリックよろしくね!
   ↓   ↓
人気blogランキングへ  感想をコメント欄↓へお書きください。

|

« 渡辺喜美行革大臣の涙 | トップページ | 新ニッポン人現わる 久米宏 »

コメント

ハルビンの詩がきこえる 加藤登紀子の母(加藤淑子)著 http://www.haizara.net/~shimirin/blog/akiko/blosxom.cgi/book/20070220141419.htm

投稿: 加藤登紀子の母 | 2011年11月21日 (月) 17時26分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 渡辺喜美行革大臣の涙 | トップページ | 新ニッポン人現わる 久米宏 »