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2008年6月30日 (月)

養老 孟司の少年時代

0517 養老 先生は、少年時代、挨拶が苦手で、口数の少なく、虫をじーっと見て観察していた、と自ら語っていた。虫好き少年で子ども時代を過ごすってことの意味を先生の姿から、感じてもらいたい。「忙しくて手は掛けられなかったが、心は掛けていた」という医者の母が背後にいたことを感じてもらいたい。

0521 養老 孟司(ようろう たけし、1937年11月11日 - )は、1937年、神奈川県鎌倉市に生まれる。ハリス記念鎌倉幼稚園、鎌倉市立御成小学校、栄光学園中学校・高等学校、東京大学医学部を経て、1967年に同大学院基礎医学博士課程を修了、医学博士号を取得する。解剖学者。東京大学名誉教授。実母は小児科医。

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苦手なのはあいさつ、そして口数がすくなく、養老さんの性格がよく出ている。彼は2歳まで言葉を発しなかったとか。挨拶の苦手な人は、男に多い。いわゆる愛想のない人は案外多い。

かの有名な村田蔵六(大村益次郎)は大阪の適塾から帰って医師(父の跡継ぎ)として村にいるとき、道で村人に「本日はよい天気ですね」と挨拶されると、「空を見ればわかる」と言って、相手を驚かせたそうだ。たしか、天気を挨拶言葉で聞くと、意味がない。しかし、天候の挨拶だけで、一時間も、二時間も立ち話ができるのも才能かもしれないと、最近思う。

0526 養老孟司少年の父は、当時の難病である結核で彼が5歳の時に死ぬ。結核は、今のガンよりこわい病気で、日本人の国民病であった。正岡子規も結核だし、樋口一葉もそうだ。石川啄木、沖田総司、堀辰雄、多くが若くして死んでいる。

父の臨終の床で「さようなら」と言いなさいと母に言われるが、その言葉が出ない。出したくないのだったかもしれないが、その時は、孟司少年の言葉に待ちきれず、父は息子を見て、静かに微笑んで、この後、こと切れる。

0536そのことを40年50年近く経って、その意味を悟る。「さようなら」と言わなかったことで、父と自分が死をもって別れていなかったと。そうだ、自分が「さようなら」といわないこtで、自分と父はつながっていたんだ。それを「さようなら」ということで、父は自分から離れてしまう。そういう意識を、感じたのが50歳近くであった。地下鉄の電車の中で、他人が見ている中で急に涙が溢れてきて、決まり悪かった・・・と養老先生。

0539 小学生のとき、昆虫好きのことは前に言ったが、お母さんは、孟司少年に「北大を定年退職した先生が東京にいるそうだが、会いたいか」と聞く。返事の鈍い彼が「行く、行く」「鎌倉ではないよ。東京だよ」「行く」「お母さんは付いていかれないよ。東京へ電車で行けるのか」と母の心配をよそに、翌日、住所のメモ書きを頼りに、電車賃を持って、東京都杉並区高円寺町の先生宅へ押し掛けていく。

0540 自分の好きなことに熱中する少年は、挨拶が苦手だったが、「こんいちは、養老 孟司です」と口の中で練習している。先生の家の前に来ると、先生が虫を捕らえようとしている。孟司少年が近づくと「シー!」と彼を制する。一匹の甲虫を捕まえて、「ドウゾ」という「よく来たね」というが「あの、こんにちは、孟司です」と小声で、しゃっちこばっていう。「そんなカタグルしいことはいいから」と 孟司少年の手を取って、自室に招き、昆虫の採集箱を見せる。小学生と大学定年退職者との関係は、いい絵のようだ。

0542その当時の少年だった頃を振り返って、「大人が子どもを対等な話相手としてくれると、嬉しい。」と養老先生、その時のシーンを明瞭に覚えている。昆虫標本をならべていた部屋で語ったことが、生きた勉強になっているし、生涯の財産になっているようだ。

537 母は小児科の医者で毎日忙しく働いているので、、孟司少年は相手にしてもらっていなかった。一人で遊ぶもが当たり前であった。「寂しくなかったですか?」と問われて「全然。それが当たり前、遊ぶといえば、一人で遊んでいた」。後年、母は名言を吐いたそうだ。「手は掛けられないが、心は掛けていた」と。今どきの母は、子供に手を掛けることばかり、面倒をみている。これでは、子供の自立するときに邪魔になるだろう。

2003年に出版した『バカの壁』は同年、ベストセラー第1位になり、毎日出版文化賞特別賞を受賞、さらに題名の「バカの壁」は新語・流行語大賞を受賞した。その後も同種の一般向け著書を数多く執筆している。

今の英才教育に奔走している親達が話題になっている。子供の可能性はどこにあるか分からないから、いろいろ習わせて種をまくんだと主張する人もいるが、伸び伸びして自分の好きなことを夢中になる時期を親が見守る余裕が親の側にないと本物が育たない。孟司少年を描くNHK番組「わたしのこどもだったころ」を見て思った。どっしり構えた育ちを感じる。それに加えて、才能、遺伝的な素材の良さを無視して子供教育はむりだろう。

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