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2008年6月20日 (金)

ブラジル移民100年 満州移民との違い

02850327なぜブラジル 移民は100年も続き、満州移民は大悲劇を伴って、帰国する。この差は大きい。100周年を迎えるブラジル移民には、一人の日本人の努力があった。移民の父といわれた水野龍がいた。

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ブラジルへの移民 日系ブラジル人 - Wikipedia
0279 当時、土地が有り余るブラジルでは農業労働者が不足しており、日本の農村は貧しく、大日本帝国政府が海外への移民を奨励した。
 1920年代に入ると、それまで最大の日本人移民の受入国であったアメリカは、日系人に対する人種差別の激化と、それに伴う黄禍論の勃興などにより日本人移民の受け入れを実質禁止したこともあり、ブラジルが最大の日本移民受入国となった。
 日本人移住者の多くは、多くの移民船の最終目的地となったサントス港を外港とするブラジル最大の都市であるサンパウロ市周辺のコーヒー農園で働き、現在もサンパウロの日本人街、リベルダージを中心とするサンパウロ周辺に日系人が多い。

0290生活に困っている国内の農民が外国へ出稼ぎに行くってことは、明治時代以来、よくあった。どっさり稼いで故郷に錦を飾り、立派な家で住む、そういう村が和歌山県にある。これは「その時歴史は動いた」には紹介されていないが、ハワイで働くと、日本にいるときの5倍以上の稼ぎになると言われている。

それが逆になって、今、バングラデッシュやスリランカ、イラン、モンゴルから日本へ来て働いている人たちも。当時の日本人と同じで、出稼ぎで働いた金を自国へ送金すると、為替レートの関係で日本円が強いので、5倍、(モンゴル※では)20倍の価値になる。それで、自国で土地を買い、マンションを作って、帰国すると、日本人の及びもつかない楽な生活ができる。※1億円モンゴルへ送ると、20億円の値打ちになる。朝青龍ASAグループ資金はそうして、元手を作ったといわれている。

Kif_0287 ジャポネースガランチードとは「日系人なら信用できる」というポルトガル語 ブラジルの発展には労働力が必要であるという、双方の利害が一致して、ブラジルのためになり、日本人の生活も楽になる。夫婦で働くと、当時の日本の警察官の月収の5倍の収入になると言割れていた。

0300日露戦争 二百三高地攻撃 日露戦争1904(明治37)~1905(明治38)年 日本政府の方針は、西欧列国に追いつき追い越せで、富国強兵をモットーにしていた。富国には金が掛かる、強兵にはもっとカネがかかる。年貢では天候が悪ければ収穫が下がる。そうすると国に入るお金、歳入が減る。為政者が考えるとことは、いつの時代も同じで、田畑の面積で安定的に税金を取ることに思いついた。地租改正である。

0293これによって、税収は田の面積で納税額が決まるから、取る方は便利で安定して、富国強兵には都合がよかったが、収穫にかかわらず農民は税金を払わなければならない。それが払えないで、土地を没収された農民は35万人いた。特に凶作には、土地を離れる農民が多く出た

そういう時代背景があって、日本の経済を立て直す必要があった。それで、人口を減らそうと移民を政府は考えた。満州や朝鮮、台湾を植民地にして、日本人を送り込むのが政府の方針であった。軍事力を背景にして、地元民の土地を強制的に買い上げて、それを開拓日本人へ貸与、あるいは売り渡しで土地で農業ができるよう、国家戦略として行われた。

0348 ブラジルでは、ブラジル政府との契約書を交わして、殖民を行った。ブラジル政府の希望と入植者の希望の一致で入植が行われた。その土地所有権でもめることはなかったようである。

そのうような経緯で入植しているから、日本人の二世、三世が増えて、今では150万人の日系がいる。日本には、35万の日系ブラジル人が働いているという。

03310364←第一回移民の○○さん、当時22歳、鹿児島の農村出身で土地も狭く、貧しい暮らしから抜け出るために、親戚と一緒になってブラジル移民を決断して、100年、三女の子孫が今ブラジルの市民のとして暮らしている。

0325日露戦争でロシアから戦利品として譲渡された病院船を改装した笠戸丸を移民協会が借りて、4月に出航する予定であったが、政府に支払う保証金(現在の1億2000万円)が支払えなくて、出航が予定より延びて、5月半ばに日本を出た。50日の長旅で、ブラジルへ着いたとき、コーヒーの収穫の最盛期が終わっていたので、第一回移民の人々は、予定通りに収入を得る仕事が得られなかった。コーヒー農場に残る人は少なく、離農して、鉄道建設の工事に従事して生活費を稼いだ。

Harunatu_2テレビドラマ「ハルとナツ」橋田寿賀子作 ブラジル移民を描いた作品 第二回以降の移民は、日本国内は戦後の不景気で移民希望が多くなり、一回目のような失敗はなく、順調に日本からの移民はブラジルに定着希望が多くなった。100年を経て、今ブラジル日系人は150万人を超える状態になった。

それに引換え、満州への国策移民は、日本の国力を富ます計画で、日本の敗戦と共に、軍事力背景に推し進めた移民は、大失敗で、多大な犠牲と共に衰退した。

03590360 この満州への移民計画は、
①軍事力を背景にした殖民である点、相手国を思いやることがないと、
移民の父水野龍は批判して、ブラジル移民は「相手国と共存共栄」である点をあげて、移民を勧めている。歴史の結果、今振り返ると実に、水野龍が述べたとおりの結果になっている。
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戦後満州引き揚げ 故郷への道     牡丹江へ突入した避難列車の悲劇  ハルとナツ(ブラジル移民)

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コメント

ジャポネースガランチードとは「日系人なら信用できる」というポルトガル語。 

投稿: | 2011年1月24日 (月) 19時48分

水野龍さん「ブラジル移民の父」参考に成りました。
昭和8年に伯父・叔母の3家族が移住して、現在は2家族15人の「いとこ」とその家族は100人を超えています。8月25日より3週間の予定でブラジルを訪問して、1世のご苦労話と現状を調べて来ます。
 
原田敏行様
8月25日より3週間のブラジルの旅、御無事でつつがなきことを祈っています。
 お帰りになりましたら、ご報告をお待ちしています。

投稿: 原田敏行 | 2014年8月 1日 (金) 21時47分

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