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2008年5月15日 (木)

ルソン島で人肉を食う敗走日本軍

02 20数年前(昭和63年)の新聞記事をスクラップしている中から、「痛恨のルソン」と自家出版した元将校長井清さんの話が載っている。当時68歳だから、ご存命なら今年90歳になる。痛恨のルソンは300冊しか作られていないから、絶版状態になっている。

今次大戦の末期、慶応大学を6ヶ月繰り上げ卒業して、海軍通信学校へ入り、暗号解読担当になった。今ならIT技術者というところだろうか。昭和19年少尉に任官して、マニラにある南西方面艦隊司令部へ送られた。 

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その時、戦局はすでに形勢は悪く、マニラはアメリカ軍に占領されて、指令本部を北へ北へ移動することになった。ジャングルのなかへ逃げ込む形になり、日本軍はアメリカ02_2 軍に追い立てられるように、ルソン島のジャングルに入り込んで行かざるを得ない状態であった。地図を見ると、平坦に見えるが、集落以外は全部熱帯雨林のジャングルといってもいいくらいである。

物量に勝るアメリカ軍に艦砲射撃を浴びせされて、制空権も制海権も失い、持久戦で戦い続けたが、補給もままならない日本軍は、武器も遅れているし、砲弾もない。こちらが一発撃つと向うから数百発打ち返されてしまう。命を永らえることさえままならなない。食べるものもなく、コガネムシのような虫を火であぶり塩で食う。それをうまいと思い、ネズミはヘビはご馳走だった。兵士たちの戦争NHKルソン島死闘 参照してください。 白骨街道

123 敗走に敗走を重ねていたとき、栄養失調で死を目の前にして人間が取った行動とは、動物なら共食いが起こったということだろうか。NHKの放送では、そのことを漠然と、他人の話、伝聞の話としか紹介してしか語られていなかったが、長井さんの本には、自分が食った体験が書かれている。

部下が出かけて行ったら、銃声が響いてきた。しばらくすると、肉の塊を持ってきた。それを見た私は「煮ろ」と指示した。煮あがった肉片を先ず隊長の私が試食する。噛んでもかみけれない固い肉だったが、それを飲み込んだ、と記述している。この肉は、衰弱していた兵士を銃殺して、太股からそいできた肉だった。食わなければ、生延びられない現実があるとき、責められるか、難しい問題である。

02_36302 アメリカ兵捕虜の首を切る話もある。もう、戦場体験のある日本人はいなくなるだろう。昭和63年の段階で、長井さんは、脳梗塞と心筋梗塞で倒れ、後がない、時間がないと夢中で書いた出版らしい。

戦争の側面は、戦闘に参加した部分だけではないが、戦闘に参加した経験談を語る人が少なくなるのは事実である。00008_2 戦争の悲惨さは戦闘だけではない。

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