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2008年5月26日 (月)

「奥の細道」随行曽良は隠密か

01_2「奥の細道」の冒頭の一節は、有名でくどくどと説明すると、興をそぐと言われる向きもあるが、暗記しておきた日本の名文100には入っているだろう。

月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして旅を栖とす。  古人も多く旅に死せるあり。  予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず、海浜にさすらへ、やゝ年も暮、春立る霞の空に白川の関こえんと、そゞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて、取もの手につかず。  住る方は人に譲り、杉風が別墅に移るに、  草の戸も住替る代ぞひなの家
(人の世の移ろいにならい、草葺きのこの家も、新たな住人を迎えることになる。これまで縁のないことではあったが、節句の頃には、にぎやかに雛をかざる光景がこの家にも見られるのであろう。)と発句を詠んで、面八句を庵の柱にかけておいた

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Photo芭蕉は40代の半ば、江戸時代の年齢感覚からいうと、現代の70代という年齢である。そのとき、家を処分して東北へ俳人として、一大決心してヒッチハイクに出る。それに弟子の曾良(30代)を連れている。この曾良の正体が不思議だという意見が多い。彼は幕府から何か言い含められて、探索の命をされているのではないか、その疑念がのこっている。

出発1週間前にきて、その一週間で幕命の指示を受けているという。東北仙台の伊達の意向をうかがい知ることではないか。

Photo_2 当時、多くの人は健脚で、一日に6時間~8時間は歩き続ける。50キロ程度は平気であるが。これは多い。今現代の人には、1日50キロを越す行程を3回はある。

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