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2008年4月11日 (金)

アンゴラ内戦が終わって5年

9255 「徹子の部屋」が彼女のユニセフ大使の報告だった。

アンゴラの内戦が25年も続いて、ようやく終わった。どのこ国でも、善意の人がいる。ここに集まっているのは、親から見捨てられた子供、戦災孤児を養子にしたい人である。

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9248そう豊な人ではないが、子供には人のぬくもりが必要だと、1歳の子供を養子に迎えた36歳の女性がいう。小さな家には、既に4,5人の養子がいる。そこへ幼児が増えた。これから、どうするのか、自分の子供は19歳で外に出て働いている。

黒柳徹子がユニセフ親善大使をやっているその報告であある。黒柳徹子は子供がいないし、独身だからできる、ともいえるが、普通の人のやれることではない。

9255_2 日本も、栄養失調でお腹が膨れた子がいた時期があった。昭和20年ころ、恵比寿神社境内でメンコ(パンパン)数人子供が遊んでいると、自分達より少し年下の男の子が覗いていた。仲間になるわけでもなく、黙ってみていた。その子、お腹が膨らんで、「栄養失調だ」とわかった。

9251 家の中に食うものがないのは、どこの家でも同じであった。米のご飯が三度三度食えないほどしか配給がない。国民に米穀通帳が与えられて、配給量は決まっていた。もちろんお金を出して買うのだが。

配給は米だけではなかった。タバコも配給だった。衣類も。サツマイモとか、ジャガイモとか、口に入るものは、殆どそうだった。それでも買える家は恵まれていた。ご飯を雑炊にして、その中に刻んだ大根をいれれば、ご飯の量が増えるから、多くの家ではそうやって食っていた。

ウチの兄貴は小学校5年生だったから、近所のお兄さんたちについて、前山(恵那山に連なる手前の山)へビョウブの葉を取りにいった。大根は金がないと買えないが、山の木の葉ならタダだったから、背負いかごに一杯取ってきた。それをご飯7にジョウブの葉3くらい、水を多くいれて雑炊にした。

9254 東京の雑炊屋の雑炊は、何が入っているかよくわからないとか。その雑炊は箸が立てば上等で、安い雑炊は箸が倒れてしまう、と東京の学校へ行っていた長兄が中津に帰ってくると弟達に話していた。

戦争に負けて、日本にアメリカの薬が入ってきて、医薬事情がよくなったから、飛躍的に日本人の寿命が長くなった。戦前は人生50年と言うのが、当然であった。戦時中は戦死が多くなったときは、平均寿命は30歳にならない時期があった。そんな、バカなと思うが、戦死者が多くなれば、そうなる。

9250 室町時代の応仁の乱以降は、衛生状態も悪いし、薬もない、死者は路上に放置されて、腐っていた。四条河原で坊さんが死者の火葬をして・・・・そんな時代もあったそうだ。

赤ちゃんの死亡が飛び切り多いのは、やはりアフリカの国々、しかし、どこの国でも戦争で国が荒れてしまえば、人の心も荒れる。幼児に一番影響がある。地雷を踏んで足を失い、目や耳を失うこともある。

9252 その子どもを救うために募金を募っている。それに寄附するには、銀行へ行って用紙に書いて送金する。手間がかかるそれをやり遂げて送るには、相当強い自発力である。可哀想・・からあと一歩、行動力が・・・養子を育てたい、自分の子でない子どもを愛情を持って育てる。そう簡単ではないが、やって見たい。

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