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2008年4月17日 (木)

世界遺産 チェコ プラハの民主主義

9389プラハの春」(チェコ語:プラジュスケー・ヤロ、スロヴァキア語プラジュスカー・ヤル)といわれたのは、1968年に起こったチェコスロヴァキアの変革運動。ソビエト連邦軍主導の軍事介入を取り上げた場合は「チェコ事件」という。

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Photo NHKで「世界遺産」で、山根基世アナウンサーがチェコ、プラハの街を紹介していた。街は中世の香りの残るしっくりした町並みを歩いて、アンティークの店にはいったり、あやつり人形の店に入り、チェコがなぜ古いものを大切にするか、それを段々理解していく。そしてプラハの博物館の学芸員の女性に案内してもらう。

9359 チェコは国家として独立していくまでには、幾多の他国の占領下に置かれて、ドイツ語を強制された。1600年代、ハクスブルグ家に支配されていたころは、チェコ語は田舎の言葉扱いされていた。

93619362 ハクスブルグ家の支配と言われても、日本は一族に支配された時代は、あったのだろうか。平家の支配の時代、源氏の鎌倉時代がそれに当るのだろうか。その後、1938年、ヒットラー政権下のドイツ軍が第二次世界大戦中は占領されていた。自由がなかった。

93739374 そして、「プラハの春」として、1968年まで自由を謳歌したプラハの市民は、作家達が中心に検閲制度の廃止、市場原理の導入までを目指した。西側へチェコが傾き始めたと見たロシアと東ドイツ軍、ワルシャワ条約機構軍が突如侵攻してきた。これは、西側世界の人々には、驚きであった。東側世界では、チェコが西よりの自由思想に染まることを嫌ってのこてだろうが、寝耳に水だった。

9376 改革の中心的な指導者をソ連に連行した。11歳だったプラハ市博物館学芸員、カテリーナ・ペチコヴァさんは11歳だった何か、まるで戦争のような光景だった。図書館は、ソ連兵の脅しか、嫌がらせか、建物に銃弾を浴びせかけた。今もその跡が残っている。

9365_2ソビエット軍は、戦車で市内を回るのに対し、非暴力で立ち向かうプラハの市民の様子が報道された。戦車の前に寝転ぶ人、戦車の上に上って、戦車操縦士を説得するとか。抵抗をすることが、チェコの人には、自国の誇りを失わないことは、ハクスブルグ家に支配されていたころ、ドイツ語を強制されても、チェコ語をあやつり人形で村々を回っていた精神が、どこかにあったのだろう。

9378 しかし、進駐してきたソ連軍は放送局を占拠して、送信を止めさせたが、そぐに廃工場の地下に秘密ラジオ放送をすぐに開始した。そこから、一つの曲が流れてきた。歌っていたのは、 チェコの人気歌手マルタ・クビンヴァさん。彼女は、感じたまま、街中を走って歌った。  音声は、ICレコーダー録音したファイルを利用

9381マルタの祈り 「01.マルタの祈り」ダウンロード 君の失った力は再び君のもとに戻ってくる。
失ったものは、きっと戻ってくる。
人々のところに帰ってくる

チェコの人々は圧倒的な武力に対して、歌で抵抗した。マルタは、占領軍によって、歌を一切歌えないように永久追放された。レコードもずべて廃棄処分にされた。

秘密の出版は、命の危険もあったが、地下出版で出された詩で、多くのチェコ市民に口ずさまれた詩がある。「消える詩、プラハ

9373_2 プラハ、西欧の運命の
痛ましく劇的な中心は
ゆっくりと東欧の霧の中に
遠ざかっていくプラハに存在しなくなったのは
人権、民主主義、正義だけではないのだ

9367 そこでは今日、
偉大な文化が消え去ろうとしている
燃え上がる紙切れのように
そこでは詩も
消え去ろうとしている
ミラン・クンデラ『消える詩、プラハ』より

ソ連軍が引き上げ、ようやく自由がチェコに戻ったとき、20年ぶりにマルタが歌った。大勢の人が集まる広場の前でバルコニーから歌った。

9388 どうか この国に
平和が留まりますように
敵意、嫉妬、憎しみ、恐怖
争いが どうか消えますように
君が失った力は
再び君のもとに戻ってくる
人々のところに帰ってくる。
「20.年ぶりに歌うマルタ」ダウンロード 

マルタは、今もライブハウスで歌っていると、山根基世はビルの一室へ聞きにいく。そこで、年老いたマルタが情熱を掛けて歌っていた。曲は、ビートルズの「ヘイジュード」から取ったものだと、説明していた。

9386 ねえジュード 美しい歌は確かに
心地いいけど、それだけじゃない
本当に美しい歌は、言葉の背後に
暗い影がある それが私たちに語り掛ける
そう人生はすばらしい
そして 人生は残酷
でも ジュードだからこそ
自分の人生を信じなさい
「HeyJudo.WMA」ダウンロード 

日本で、こういう場面で国民を励ます歌を歌うなら、誰だろう。加藤とき子だろうか。敗戦の後に、大流行したのは、「りんごの唄」だった。サトウハチロウー作詞、歌ったのは、並木路子だった。ヨーロッパは理屈、論理で励ますが、日本は情緒的な歌詞で、ムードで理解させ、励ます。

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