戦前の日本の姿を伺う記事
今から22年前、 1986年(昭和61年)の切り抜きからの私のアーカイブス宝庫から見つけた記事である。
投書した平川善三さんは、当時72歳、今ご存命なら94歳である。戦争に行ってその事実を見ていた人である。今から20年前なら多くの戦争体験者が発言していたし、投書して、戦争へのブレーキになっていた。それから20数年も経つと、戦争を肯定してはばからない人が出ても、それをいさめる重みのある発言をする人がいない。下手に発言すると、非国民呼ばわりされたり、臆病者、意気地なしと言われる。
格闘技に女子ファンが増えたり、バーチャルゲームでは殺すのが当たり前だったり、感覚が麻痺した青年層が増えて、生死の感覚が麻痺している。
バーチャルではなく、目の前で人を殺すという体験を中国大陸でしたり、見たりした人が書いた文章は、この人の文章にあるように重みがある。
自分の国を独立した国にと願って、八路軍に所属していた若いお父さんが、日本軍に捕まって連れてこられる。彼は死を覚悟できてきるらしく、処刑を恐れていない。そんなシーンが浮かぶ。
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銃を構えた軍曹あたりの兵役3,4年の下士官が三メートルくらいの距離から狙いを定めて2発、3発と捕虜の頭を吹っ飛ばした。
父である捕虜と一緒にいた3,4歳の男の子、父と離されて部屋で遊んでいる。投書した兵士を見て「お父ちゃんは?」と聞く。その姿を想像するだけで、涙が禁じえない。
1986年(昭和61年)の記事の横にスクラップしたあるのは、御茶ノ水女子大学名誉教授の尾鍋輝彦(当時77歳、今年100歳)の投書である。
尾鍋さんは、昭和13年1月、成城高等学校で教えていた。クラスの中で張炳賛(チャン・ビョウン・チャン)という朝鮮人生徒が質問した「先生、朝鮮は独立するべきだと思いますが」とはっきりと言った。
先生は「それはそうだが、だが大きい声で言うなやよ」としか答えられなかった。その時、彼はニコッと笑った。50年ほど音信がなかった。ある日新聞を見ると、「韓国財界人が急死。韓日協力委員会で来日中であった」とある。その彼が、韓国の財界代表で来日していたのだ。
時代を表すエピソードが見える。朝鮮と日本の関係、朝鮮人の立場、日本人の規制に押し込められた立場、みんな見える。しかし、時とともに、時代の証言者たちは去っていく。死んでしまう。人間はゼロから知ることを始めなければならない。
声高に意見を述べるとそれがオピニオンリーダーのようになってしまう。もっと遠慮がちに思慮しながら時代を前に進めるためには、どうすればいいのだろう。
その横のスクラップは「新自ク解党」という記事がある。新自由クラブが再び自民党へ戻ったという記事である。
戦前の空気伝える記事 強国日本、昭和13年の空気を嗅ぐ
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