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2008年3月 1日 (土)

北島三郎 流しの時代と結婚

Photo 私の切り抜きが数十冊ある。その中には、世間で忘れられたような記事が載っていたりする。今回は、北島三郎の奥さん雅子さんが、北島三郎の流しの時代、結婚の経緯とそれを隠していた時代を語っている。

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4105102179 18歳で北海道の高校を出て、東京の音楽学校(今は閉校、東京声専音楽学校)へ入学して通っていたが、演歌の方に興味があった北島は、渋谷で流しをしていた。

そのころのエピソードを聞いた。演歌の流しには、ヤクザがもつ縄張り、シマがある。北島三郎、素人だったから知らずに流しの営業に行ってしまった。用心棒みたいな兄さんに連れ出された。そのズジの者数人に囲まれて、ケンカになった。流しの収入は3曲100円の時代である。当時、ラーメン一杯30円程度。と考えると、100円は今の2000円くらいだろう。

人間、実戦になってしまえば、腕力の強いのが勝ちだが、大抵ケンカの実力行使前に、言い合いがある。その時の威嚇し合いに勝つことが、ポイントだ。そのタンカをうまく切ること、これで相手をいかにビビらせることが大事だ。

今でも北島三郎は、そう大柄ではないが、何か威厳がある。若いころのサブちゃん、腕っ節も強かったかもしれないが、一番強いヤツを先制攻撃で押さえておいて、タンカを切る。これが一番の効果的な方法だ。そうすると、三下のヤッコさんたちはビビってしまう。有象無象が多そうな場合は、この方法が一番効果的である。

ただし、そうそううまくいくとは限らない。丸太ン棒で顔面を殴られて、歯を数本折ってしまった例もある。それでも戦うような根性がないとヤクザのうようよしている町では、流しをやっていられない。これは、うちの親戚で歌手をやっていた人の話。その人は、最高で8人に囲まれて、死ぬかも知れないと覚悟したとか。

Kitazima_3 北島三郎は、歌手になるんだという決意が強いから、先ず学校の近くで下宿しようと探した家は、普通の家の3畳の一間。その家へ訪ねていくと、出てきたのがそこの家の娘さん。現在の奥さん雅子さんだった。

3畳の間は、台所の隣りで、何かをつくったあと、北島三郎の部屋に持ってきてくれたんだとか。18や19でお腹がいつも空いているようなころは、ガツガツしてるわね。彼女から好きになったとも、サブちゃんから好きになったとも書いてないがね。結婚を申し込んだが、親が反対されて、最初のプロポーズは失敗した。

それでも、一回目の失敗にこりずに、そのまま交際は続いた。そうこうするうちにデビューして歌手になるが、最初のレコードは渋谷界隈ですでに歌われていた隠れた演歌、艶歌で、レコード業界の人が元歌を知っていて、歌詞を変えても、卑猥なイメージが付いて回るということで、発売中止になったと言われている。『ブンガチャ節』というのが、ソレである。

1962年に開かれた村田英雄の『王将』のヒット記念パーティーで歌手としての初舞台を踏み、その後の映画出演に措いても「兄弟仁義」等の東映任侠路線で多数共演した。このような縁から後年も村田英雄を先輩歌手としてよく慕った。また1962年6月、『ブンガチャ節』(作詞・星野哲郎、作曲・船村徹)でメジャーデビューしたが、レコード売り上げも芳しくなかった。 ウイッキペディアを参照

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コメント

はじめまして。北島三郎さんの歌は励まされ大好きです。実は私の父、北島三郎さんが流しの時代に一緒にやっていたと祖母に聞きました。北川?とかという芸名?で…私は父と会ってみたいのです。もしかしたら何か少し心当たりあれば教えて頂きたくこの場を借りました。すみません。北島三郎さんと正直なところ直接に些細なことでも話しを聞いてみたいのですが…
私は写真でしか父をしりません。一度会ってみたくて…。
申し訳ありませんが、協力して下さい、申し訳ありません。

日垣悦美様
北島三郎さんの企画を考えている方が、日垣さんと連絡とりたがっています。ご連絡ください。野澤

投稿: 日垣悦美 | 2010年6月 9日 (水) 23時33分

日垣悦美様
北島三郎さんの企画を考えている方が、日垣さんと連絡とりたがっています。ご連絡ください。野澤

投稿: nozawa22new | 2015年2月22日 (日) 14時46分

こんにちは。何度かコメントに入れてました。その後、企画は終わりですか?
今でも、父の行方がどうなっているのか?気になる時があります。北島三郎さんに話を聞かせて頂ける機会があるならば、奇跡がおきないかと。。。

投稿: 日垣悦美 | 2016年9月18日 (日) 14時57分

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