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2008年2月 8日 (金)

2月大雪 叛乱軍とくれば、国民の鬱憤

Keisuke_okada_extra 国民の鬱憤を考えて、少数の将校が国体を変革するために立ち上がったのだというのが、226事件である。二月の末に大雪が東京千代田区に降り積もったのは特異であるが、今年はまた雪が降り積もりそうだ。

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国民の願う国家像というのは、物価が安く、格差のない社会であろう。その願いも虚しく、税は高止まりで、暮らし難い。子供を増やせといいながら、ちっとも子供の育てやすい環境にならない。産科の医師は少なく、小児科もしかり。学費は高い。これでは、いつまでたっても、子供が育てやすい社会にならない。

一気に変えてくれないと、自民党政権がしつこく変わらないだろう。民主党政権にいつ代わるのかと待ち続けても実現しない。それにじれて、一部右翼が「一人一殺」を掲げて団琢磨射殺、井上前蔵相射殺などを引き起こした昭和の始めに「血盟団」がいた。それに似た風潮が起こる。

1932年(昭和7年)2月から3月にかけて発生した連続テロ事件である。当時の右翼運動史の流れの中に位置づけて言及されることの多い事件であるが、事件を起こした血盟団は日蓮宗の僧侶(茨城県東茨城郡大洗町・立正護国堂住職)である井上日召(いのうえにっしょう)によって率いられていた集団であることも見逃すべきではない。

日召は、政党政治家・財閥重鎮及び特権階級など20余名を、”ただ私利私欲に没頭し国防を軽視し国利民福を思わない極悪人”と名指し、暗殺を企て、配下の血盟団メンバーに対し「一人一殺」を指令した。民間から血盟団がテロを開始すれば、海軍内部の同調者がクーデター決行、天皇中心主義の国家革新が成る”と日召は構想した。 日蓮の『立正安国論』も”殺人テロで腐敗政治への抵抗と国家権力の獲得を肯定”と解釈されていた。日召は「否定は徹底すれば肯定になる」「破壊は大慈悲」等の言葉を遺した。

非常に高い支持率の東国原宮崎県知事、石原東京都知事、おまけに橋下大阪府知事の人気は、人気、支持が政策実行を計るために、

「青年は一度軍隊に入って鍛えろ!」と東国原宮崎県知事はいった。これはあとで訂正したが、本音はコレだろう。どうしても、主張を白か、黒か。正しいのはどれかといえば、YesNoで分けやすい。柔弱より強硬、青年を鍛えて、目標に向って進む。これは、わかりやすいから、価値の一元化をめざしてしまう。そのどこが悪い?と居直られると、反論できる人は少ない。

Hitler_girl1 アソルフ・ヒトラー(独:Adolf Hitler, 1889年4月20日 - 1945年4月30日)は、ドイツではその名を口にすることすらはばかれるが、日本では東条英機の思想がはきりしなかったが、彼の娘か孫娘が参院選に立候補していたほど、日本は寛容な社会だ。

白い雪の積もった雪道をみると、それが2月だったりすると、自衛隊を率いた100名くらいの部隊が、永田町を占拠して、機関銃を首相官邸に向けて並べて政権交代を唱えるなんてことは、起こらないとは言えない。

ヒトラーの起こる下地は、政治家の腐敗で、市民が怒って一元的な価値観を唱えて、大人気を得たとき、「青年は自衛隊に入って体を鍛えろ!」と言って、それに人々が傾く。それに「文芸春秋」あたりの論説で、「阪本龍馬先生に続け!腐敗日本の大洗濯」とか、いい出して、妙なことを言い出す。今臨時税を35年も続けて、それをなんとも思わない国民に飼い慣らして、まだ10年は変わらないと平気でいう自民党をそのまま許している感覚が、革命のエネルギーを育てている。

ヒトラーは、1914年に当局に逮捕されたが、兵役検査で不適格と判定され兵役を免除された。第一次世界大戦で、(大ドイツ主義的)愛国心から熱狂した彼は、人生や貧困を打破するためもあって、オーストリア国籍のままバイエルン領(1918年まで、ドイツ帝国の一領邦)の志願兵として入隊し、西部戦線のバイエルン後備第16歩兵連隊に配属された。

緒戦の8割前後の死傷率の中を生き抜き、大戦も終わりに近い1918年8月には一級鉄十字章を授与された。ヒトラーは司令部付きの伝令兵で、優秀な働きぶりにもかかわらず叙勲が遅れた。しかし結局、階級は伍長勤務上等兵止まりであった。勇敢ではあるが、直属の上官に対し戦功を「自画自賛」する態度と「指導力」の欠如が昇進につながらなかった理由として挙げられている。

ドイツ帝国敗北の知らせを聞いたとき、毒ガスの特性によって脳神経に一過性の傷害を負い、また精神的にも傷ついたヒトラーはヒステリーと診断され、軍医により催眠術による治療を受けた。『我が闘争』によれば、このときヒトラーは祖国の誇りを取り戻すために、政治家を目指すようになった。喉の負傷による声の変化は戻らなかったため、後の演説にみられるような独特の野太い声になった。

また、この時期にヒトラーはミュンヘン革命に参加している。革命の間、ヒトラーはレーテ活動家になり、代表代理にまで昇進した。この経験が、後の社会主義への確信や革命家としての自負に繋がった。

ヒトラーは敗戦後も軍の情報関係の仕事を続け、激増した新党の調査を担当していた。その一環として参加した「ドイツ労働者党」の集会で演説者をやり込めたのが党議長の目に留まり入党する。
 50人程度の小党であったがその理念に共感し、1920年には軍をやめ党務に専念するようになる。この頃、すでにヒトラーは演説者としての能力を認められており、軍から、ドイツ国防軍、バイエルン国防軍の情報課が企画したプロパガンダの講習で、反共主義、民族主義の宣伝活動家の養成をうけた。

このなかで、ヒトラーの弁舌は興奮してくるとますます冴え、聴衆を引き込むヒトラーは優れたプロパガンダの才能の持ち主であった。その扇動的な演説によって多くの党員を獲得し、党の要人となった。独裁を認めさせる。党名を国家社会主義ドイツ労働者党(略称NSDAP、対抗勢力による通称ナチ)と改め1921年7月29日その党首となる。ウイッキペディア参照引用

政治家は、庶民大衆の不満マグマを甘く見ているし、気づいていないかもしれない。コレこそが、昭和始めの東北大不況と同じような、平成の格差社会、年収200万円フリーター層が多数を占めて、結婚も出来ない・・・・。

リーダーが一声掛ければ、血盟団は実行に移す。それに従って、大きな宗教団体が僧兵が完全武装して、自爆テロになるか、226事件のような軍事行動かどちらを選ぶか、その時の風まかせだ。

この閉塞的な社会に、風通しをよくするには、何が必要か。きっと顔を見せて発言する場所が必要かもしれない。Speaker’s Corner 誰でもしゃべって、聞かせる場所がロンドンの公園にあるとよく聞くが、今もあるのだりろうか。そんなことで、世の中が変わるとは思わないが。

社会のことを考えるより、個人の満足を重んじているから、一般の人は政治、軍事に関心持たないから、投票率が50%以下で、少数の固まった票が政治を動かしてしまう。大衆が目を覚ませば、政治は変わる。しかし、大衆が政治に関心を持つのは、世の中が危機的状況だけだ。それは不幸なことだ。

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