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2008年2月25日 (月)

三浦和義事件 事件の復習

Photo 最近のコンビニでの窃盗事件で  三浦和義の起こした事件は、数多い。 拘置所の中で、六法全書を持ち込んで、刑法を勉強して、並みの弁護士以上の知識を持っている、と言われている。そのくらい知識があるから、雑誌社、新聞社を相手に勝訴して罰金を勝ち取っている。

彼の起こした事件で、世間の耳目を集めたのは、次の三つ。それが大きい事件である。これを検討してみたい。

A ロス郊外の東洋女性全裸死体事件。 
B 一美さん殴打事件(矢沢美智子) 
C ロス郊外の駐車場での一美さん銃撃殺人事件

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A ロス郊外の東洋女性(白石千鶴子)全裸死体事件

1979年(昭和54年)5月4日、ロサンゼルス郊外の荒地で、黒いビニールに包まれた、ミイラ化した女性の全裸死体が、付近の住民によって発見された。死因については鑑定不能「Jane・ドゥ・88」(ロス郡検死局)

〝 1984年(昭和59年)3月29日「Jane・ドゥ・88」は、日本から送られた歯型の写真から白石千鶴子であると断定。白石千鶴子は、1977年(昭和52年)秋に夫と別居。1978年(昭和53年)2月三浦の会社「フルハムロード」(雑貨輸入店)の取締役に就任。1979年(昭和54年)3月20日に離婚成立。間もなく「北海道へ行く」と言い残し、行方不明。3月29日に出国し、5月4日に遺体で発見された(前述)。このとき、千鶴子は34歳だった。三浦は3月27日に出国、ロスに滞在して4月6日に帰国している。

遺体発見直後、元夫から千鶴子の口座に慰謝料430万円が振り込まれた。三浦は、千鶴子名義のキャッシュカードで5月18日~6月12日の間に、計42回、彼女の口座から総額426万5000円が引き出だした、三浦はこのことについて、「彼女に貸してあるカネがあり、アメリカからカードを郵送してきたので、私が引き出し返してもらった」と答えた。

B 一美さん殴打事件(矢沢美智子)

Photo_21981年(昭和56年)8月13日、ロス市内のホテル「ニューオータニ」に「フルハムロード」社長三浦和義と妻一美が宿泊。三浦がロビーで商談中、一美は部屋でチャイナドレスの仮縫いをしていた。その部屋へ「東洋系の女」がいきなり入ってきて、一美の後頭部をハンマーのようなモノで殴った。一美は救急車で病院に運ばれ、数針を縫った。

5月16日、『サンケイ新聞』がスクープを発表。「一美さん殺しを頼まれた!」と、一美に対する殴打事件で「東洋系の女」元女優矢沢美智子(当時24歳)の告白を掲載した。

<1500万円の分け前と結婚を条件に三浦から「保険金目的の妻殺害」を依頼された。冗談と思い断った。

それからしばらくして、三浦から「ロスへでも行って来い」と言われ、60万円もらってロスへ行った。ロスではホテルの部屋に三浦が現れ、再び殺害を依頼されて金属の塊を渡された。一美の部屋に行き、「あなたは殺されようとしている」と告げるつもりでいたら凶器が袋ごと当たった。>  この告白で矢沢は「自首」した。

「ロス疑惑」はアメリカで起こった事件であり、属地主義によって日本側に捜査権がないので、警視庁は矢沢に接触しなかった。

一美殴打事件について、三浦は、次のように供述している。「僕が当時付き合っていたガールフレンドが家内が居るところに押しかけてもみ合いになった。そのときにカッとなったその子が家内を突き飛ばして怪我をさせた。それで家内は頭に傷を負ったのです。」単なる“痴話喧嘩”であると強調した。「下から上にできた傷ということが医学鑑定でも、はっきりしているにもかかわらず、裁判では上からハンマーで殴ったということになってしまった。」

C ロス郊外駐車場 一美さん銃撃殺人事件  

Photo_511月18日、ロス郊外の駐車場で三浦(当時34歳)とその妻の一美(当時28歳)が宣伝用の写真を撮影中、2人の男が、いきなり一美の頭部を撃ち、次に三浦の左脚を撃ち、1200ドルを奪って逃走した。三浦は1週間の軽傷で済んだが、一美は弾丸が前頭葉に達しており、高度障害の「植物人間」になった。1982年(昭和57年)1月、一美はアメリカ軍の病院飛行機で帰国し、東海大学付属病院に入院した。

    一美が「植物人間」になったことで、
(1)第一生命=災害死亡時2倍保障・3000万円(1979年12月/結婚を機に加入)
(2)千代田生命(現・AIGスター生命)=死亡時2倍保障・5000万円
(3)AIU=海外旅行障害保険・7500万円(1981年11月/旅行加入)
 合計:最高限度額、総額1億5500万円 11月、一美が意識が回復せずに死亡。

疑惑の銃弾」と題して、『週刊文春』に1984年(昭和59年)1月26日号~3月8日号、全7回にわたり、三浦夫妻に対する「銃撃事件について」記事が連載された。この後、報道合戦が激化、テレビや新聞、雑誌などが追随し、「ロス疑惑」騒動を巻き起こした。1月21日、三浦は文藝春秋に6000万円の民事訴訟(損害賠償請求)と「疑惑の銃弾」執筆者を名誉毀損で刑事訴訟を起こした。

Photo_4 最高裁で無罪確定    1985年(昭和60年)9月11日、警視庁により三浦和義(当時38歳)が「一美に対する殴打事件での殺人未遂容疑」で逮捕された。翌12日、矢沢美智子(当時25歳)も殺人未遂容疑で逮捕された。三浦和義の逮捕連行時、報道陣の前を歩かせたことが、後日、見せしめではないか、と言われた。

主に、ウイッキペディアからの引用で事件の整理をいたしました。一般市民には、二次的にしか事実に接することしかできません。従って、その事実を知る為に、ウイッキペディアを参照させて頂きました。ご了解ください。00008_3 

一美さん銃撃殺人事件 東京地裁  三浦和義事件 事件の復習

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