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2008年1月29日 (火)

シベリアの抑留日記

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なんで、80代の方が、ホームページで自分の体験を発表できるのか、と思ったら、キャドで製図を書いていた人のようだ。

死にたくはなくても、寿命があるから、自分の体験を残して置きたい。ましてや、戦争の体験は、自分の意思以上の大きなことをやっている場合が多い。命のやり取りを好き嫌い関係なく、敵兵とやるわけだから、厳しいものだ。

この方も、ソ連で抑留生活をしているから、ソ連のやり方に大きな不満を感じている。ソ連抑留生活を語る人は、あと10年もしたら絶滅するだろう。それを少しでも、聞いて、日本の歩んだ道を伝えるのが後に続く世代の義務だろう。

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シベリア抑留日記 原本に当って読んでもらったら、じかに感じるものがあるでしょう。

http://www5a.biglobe.ne.jp/~sho_un/sub1.htm

降伏した1945年8月15日の我が独立戦車旅団は、いろんな風評が流れて不安な日々を、身辺整理に追われていました。
 そして、全軍の武装解除をさせられた、我々は奉天ソ連軍指令官から奉天鉄路学院に結を命ぜられ、重い装具を背負って倭樹子(ワイジユシ))から、文官屯を経て鉄路学院内の収容所に入った。時に1945年8月20日でした、設営も済み落ち着くもなく全員点、我々は上手広場に集合する。

満州独立戦車第一旅団令下3000人です、何回も整列のやり直しのあとソ軍の閲兵を受、そのあいだ実に2時間あまりも、かかっていた、往事の軍隊規律もかげうすれ敗戦もたす精神の低下は著るしいものがあった。

点呼が終わり我々の幕舎にかえってみて驚いた、あらゆる装具はひっくり返されていたすでに幾度もソ軍から命令されていたが、地図そのたの重要書類、刃物の引きあげだ、の装具を調べたが格別異状はなかったので安心して指揮班内の整理を済ませて、ひとまおち着くことにした。中隊長の自慢の軍刀もおあづけになつたらしい。
 
食事は、コオリャン飯に缶詰(大和煮)と乾燥野菜で食えたものではなかった。灯のない幕舎の中で何することもなく、それぞれ皆んなは、なにを考えているのか無言のまま
横になってしまった、二三日は、環境の整理ばかりで過ごしす。

柵の外には「マンドリン」のように自動小銃(画像4)を持たソ軍の兵隊がのんびりと煙草をふかし乍ら警戒しているそばを、上官が通っても敬礼もせず、初めはなんと規律の無い軍隊かと思ってはみたが我々のように法令、規律ずくめの生活から比べて誠とに何の屈託もない勤務振りと、しかもその責務については一分の隙も無い状況を知るにつけ、日本軍隊の非現実的な弱点がつくづくと考えさせられた、9月9日、突然我々は出発移動準備の命令を受けてあわただしく片づけを済まし、朝食もそこそこに、第2収容所の北陵大学跡に入る。

荷車で引き、肩で担ない1Kmのところを3回も往復して全部移動がおわった。ここは元米軍の捕虜の収容所であったと聞いて運命の皮肉さに苦笑する。ここで初めてソ軍の女性将校をみた、なんともいえぬ奇妙な感じであった。私は本館の2階に陣取ってやっと整理が終わった頃、今度は名簿を作らなければならない、しかもこの名簿は前からも幾度か作ってきたが、今度のは、千人一個大隊に編成した各中隊の名簿てある、それに輸送が近いのか、非常に急いでいるとのこと、指揮班に居たのが運のつきだ、他の者はのんびり帰国してからの幸福を夢見ているのに、私は夜もろくろく寝られずに書類の整理に没頭する、ロ-ソクの灯が心なくゆらゆらとしていた。


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コメント

今回は、私のシベリア抑留日記を、推奨していただき有難うございます。此れは帰国してから、覚えて居るうちにと、3カ月で書いて
から、戦友に回覧して、訂正等をして、残していたものです。
だから、私自身も、一級建築士の試験のため3年がかりで勉強して、昭和26年8月免許をうけることができました。この資格は、私固有の番号で今でも資格をもつているのです。

公務員41年「内5年8月は軍隊と抑留」勤続、58歳から77才まで
建設会社の設計事務所の管理建築士を務めました。70才からパソコンのJW-CADで設計図を書いていました。

もう皆んな亡くなりました、今大正生まれの掲示板に入って神戸の撮影をしてHPにUPしています。ステンドグラスもありますから、抑留日記から一面もぜひ見いくダサい。

投稿: 照雲「ショ-ウン」 | 2008年2月24日 (日) 11時11分

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