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2007年12月25日 (火)

逸見政孝 最後の記者会見

7835 オジサンズという番組を見ていたら、終わりになって、逸見政孝が死んで15年、最後の会見シーンを再放送した。死に装束で切腹前の武士のような印象の放送は、後にも先にもない。凄く強い印象が残った。

Kif_7841 オジサンズのメンバーは元局アナのおじさんが主体のトーク番組である。オジサンズ11(オジサンズいれぶん)は、毎週月曜日の22:00~22:54に日本テレビ系列で放送

Kif_7862 オジサンズ(主に元局アナ)太字が本日の出席者
MC 水道橋博士(浅草キッド)
日本テレビ:徳光和夫、福留功男、羽鳥慎一(局アナ)
TBS:鈴木史朗、生島ヒロシ

Kif_7861 フジテレビ:露木茂、山中秀樹
テレビ朝日:朝岡聡、辻よしなり
テレビ東京:小倉智昭
文化放送:梶原しげる 
その他:大和田獏

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逸見政孝さんを偲ぶ

78427843 1993年12月25日、逸見政孝は亡くなっている。逸見の弟がやはり同じガンで若いうちに死んでいるから、体重が減ったりすると、すぐガンではないかと気に掛けていた。他にも親がガンで死んでいる。だから、早期発見に心がけていた。この記者会見の一年前にも胃がん手術をしていた。それは胃潰瘍だとごまかしていたが、それもこの記者会見で告白している。

78517846 この記者会見は9月6日であるが、前数日は、食事のあと自室に閉じこもって、自分のことをテレビで語る言葉を考えていた。自分の生き様をいかに、視聴者に伝えるか、自分の義務と考えていた。アナウンサーの宿命でもあるが、自分を被写体にして語る姿勢が痛々しく、見えた。よく意図が伝わった。

78477849 ちょうど仕事も、乗りに乗っているさなか、多くの仲間がまだまだ元気であるのに、自分だけがという気持ちもあるだろう。子供もまだ二十歳になるか、ならないか、そんなうちに死んでなるものか、それが強いだろう。家も新築したばかりで数億のローンが残っていて、稼ぎ手の逸見が死ねば返せない。事実、このローンのため残された妻はだいぶ苦労した。

手術はその記者会見の10日後、9月16日、内臓を3キロ摘出する大手術であった。三週間後にはリハビリのため病院内を歩く回復振りであった。しかし、その後は体力を失い、徐々に悪化する。

Kif_7837惜しまれて消えたから、未だにファンや視聴者に元気な印象を残している。悪い印象を持っている人は少ないという恵まれた人生である。多くの人に注目されたゆえに、若い頃のあまり好印象でない顔が晩年というか、最盛期の顔は好かれる顔になっている。落差が大きい。奥さんを追いかけて告白しているころの逸見は、奥さんにそぐわないくらい不細工で奥さんがきれいな人に見えるが、今では逆転している。人間って、地位と立場で変わるものだ。

Kif_7859 記者会見後、フジテレビのアナウンサー室を訪れて、みんなに「回復したら、またここへ戻ってくるから」と挨拶して部屋を出て行く。出てから、もう一度部屋の中に目をやり部屋を見渡してから、去って行ったシーンをみんな見ていた。と語ったのは、山中アナウンサー(13期後輩)である。

Kif_7858 今ブレークしているIKKOさんが、メイクを担当していて親しかった。彼が逸見に電話すると、家族の人に「すぐ来て」といわれて、臨終に立ち会う格好になった。「IKKOさんきたよ」と声をかけると、目が動いて反応したが、そのまま動かなくなったという。娘が死に化粧していたが、IKKOが来て改めて化粧してやる。それほどの仲だったとか。話するたびに、涙が止まらない様子である。

8.意識不明、そして死 (三年後 近藤医師と晴恵さんの対談
12月21日、熱が四〇度以上に上がり、容体が急変。 

12月22日には、意識がないまま起き上がり、長男の太郎さん(23歳)に向かって「太郎すまんな、頼むな」とつぶやく。

12月24日、意識不明になる。長女の愛さん(21歳)は、最後の二日間、逸見さんの手をずっと握りしめていたが
25日十二時四十七分、家族に見守られながら永眠。壮絶な闘いに幕を閉じた。晴恵さんは、「助けられなくてごめんね。許して…」と叫びたかったという。

 逸見 「主人は最期まで羽生先生のことを信頼していましたし、手術や治療法についても何の疑いも持たず、これからよくなっていくんだと信じきっていましたから、遺言も残していなかったんです。羽生先生の言葉にかけて、一途に信じて。でも主人にとってはそれでよかったのだといまでは思います」 

近藤 「医師はとかく最後まで治療を続けたいという根強い考えがあって、かえってそれが患者さんを苦しめ、死期を早めているんじゃないかと思う。必要な治療は受けた方がいいが、逸見さんのような場合は、手術も抗がん剤もやらないほうが延命につながったと思うんです。私が著書『患者よ、がんと闘うな』で伝えたかったのも、痛みや苦しみに耐えるばかりの無益な治療で闘うな、ということなんです」

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逸見政孝 スキルスガンに死す1993年  逸見政孝 最後の記者会見  逸見氏治療の疑問(外部リンク)

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コメント

逸見政孝が死んで15年、最後の会見シーンを再放送した。死に装束で切腹前の武士のような印象の放送は、後にも先にもない。凄く強い印象が残った。

投稿: | 2010年11月26日 (金) 00時27分

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