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2007年12月26日 (水)

日清戦争で日本人の意識が変わった

Kif_7866「1894年,朝鮮で農民の反乱である東学の乱(甲午農民戦争)がおこり,朝鮮が清に援軍をもとめると日本も居留民の保護を名目に出兵し,日清両軍の戦争がおこった。近代的な軍備をもつ日本軍は,朝鮮から満州(中国東北区)に進出し,各地で勝利をおさめた。1895(明治28)年,清は降伏し,下関で講和会議を開いて下関条約を結んだ。これによって,清は朝鮮の独立をみとめ,遼東(リアオトン)半島・台湾などを日本にゆずり,多額の賠償金を支払うことになった。 」
教科書ふうに事実の羅列だけでは、読んでもあまり興味が持てないかもしれないが、事実はそういうことだ。

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Kif_7887_2めった見ないが、めずらしくNHK教育テレビ「日本史」授業を見た。先生は、優秀な社会科教師であったが、緊張してテレビ放送では冗談も言えない程だった。しかし、要領のいい授業だった。

Kif_7873 今では日清戦争など、小島よしお風にいえば、「そんなの関係ない!」と言えるかもしれないが、中国となんでケンカ(戦争)するほど深刻な争いが生じたが、実際知らない人が多い。30分ほどのテレビ授業だったが、私にはわかり易かった。清(中国)と争ったのは朝鮮が原因だった。

Nisshin_pic東学党の朝鮮で蜂起した一揆がことの発端で、「邦人保護」という口実で、三日後に朝鮮に進駐して大本営を構える。実にすばやい行動である。内閣府に危機管理機構が設置されているのか、災害救助でもやるようなスピードには驚く。なんでそんなに早く軍隊を送り込めるのか。

その当時、政府は、野党(改進党)に西洋諸国に弱腰で(今アメリカに弱腰と似ている)散々パラ攻撃されて、条約改正で多忙を極めていたが、国民の関心を外に向けて、一発逆転を狙って大きいことをやってやろう、と考えていたようだ。そのチャンスが朝鮮にあったというところ。往々にして、内政の問題を外交に向けさせるものだ。

朝鮮では、日本軍が進駐して、「邦人保護」の下で朝鮮に足場を築こうとしたのに、肝心の朝鮮の東学党の一揆は収まってしまった。外国軍に国内に進駐されては、政府を攻撃するより重大事件である。それでと、さっさと東学党のトップは矛を納めた。

Kif_7885 朝鮮は、まだ中国の朝貢国で独立を果たすには至っていなかったので、日本は朝鮮に盛んに独立をけしかけていたが、日本の誘いに乗ってこない。今度は、清(中国)に朝鮮改革を共同でやろうと持ちかけたが、中国は拒否してきた。それではと朝鮮王宮を占拠して、日本のいうことを聞く大院君を立てた。軍部主導のクーデターである。やるもんだね。

こういう行動は、その時代までヨーロッパ列国がアジアで植民地を作ったやりかたを、大体、踏襲しているだけなのだが、近代化が遅れた日本としては、ヨーロッパのやっていることを真似れば、(国際的に)許されると思っていた。そこが100年遅れているから、欧米のババ(ジョーカー)を掴まされて、悪人にされたんだね。日本はいつも欧米の後塵を拝して、しかも、すぐ近くの朝鮮でやり始めたから、憎まれてしまう。明治政府は西洋から不平等条約を押付けられて、何とかヨーロッパと同等な地位を得ようと必死だったので、逆に挑戦では、やることが強引だ。

Kif_7897 中国(清)と戦争をし始めると、中国はまるで弱い。客観的にみれば、弱いはずないと言われていた。彼らは武器は良いものを持っていたし、予備の兵力は決して少ないわけではないが、清国の末期で軍統制が取れていないし、訓練ができていなかった。それが敗戦の原因らしい。日本は、明治維新の内戦を経て、訓練ができていたのだろう。勇敢でもあった。

Kif_7895 日本はいくつかの戦いbattle は勝利したが、戦争Warの決着がついたわけではない。戦争回避の心理が中国にあった。このまま戦争を続けると清朝の存亡に係わると心配で和平交渉になった。明治維新の内戦をくぐりぬけてきた伊藤博文、陸奥宗光など、ハッタリが利く連中が政府のトップにいたから、「戦争をまだ続けるつもりだ」と脅し、中国全権大使李鴻章に無理難題を飲ませた。

Kif_7910_3朝鮮を独立国と認める。つまりは、中国の朝貢国ではないから、今度は日本が朝鮮にムリをいえる立場になれる。
遼東半島、台湾割譲など、領土を得た。
約3億円の賠償金日本の国家予算の3年分を銀で貰う。今でいうと、80兆円(日本の国家予算1年分)×3=240兆円を中国から分捕った。
④中国の港を日本のため開いた

01 中国に無理難題を飲ませて、ウハウハ喜んでいたら、列強のフランス、ドイツ、ロシアの国々が「遼東半島は返還しろ」と言ってきた。三国干渉である。

このころ流行った言葉「臥薪嘗胆」である。(タキギの上に寝て、熊の肝をなめる)我が国の武力が弱いから、列強と戦うだけの力がないから我慢するが、試練屈辱を忘れない。いつかみておれ、という意味。それで、遼東半島を中国に返還する。このとき、遼東半島の返還代償に3000万両(4500万円)手にする。

03 この遼東半島を一番欲しがったのは、ロシアだ。ロシアはその直後、ここをロシアの軍港ににしてしまう。日露戦争の203高地がその背後にあって、日露戦争でこの軍港を攻撃したことで有名。ロシアへの警戒が、日本国内に高まってくる。「もしロシアと戦わば」という論調が沸騰してくる。

ヨーロッパでの評価は、「中国の後塵を拝していた日本は、なかなかやるもんだ」という見方になった。イギリスは、日本と通商条約を結んで、その後、同盟も結び、中国との戦争に干渉しなかった。三国干渉にも加わっていない。第一次世界大戦までは、日英同盟が生きている。

02_2 日清戦争の前までは、中国の文物で勉強してきた。日本人は漢文で筆談ができるのが当り前だった。日本にとっては、中国は先進国であり、先生であった。
 それが、中国に勝った!勝った!で、一転して、「チャンコロ」というような蔑称を平然と使い始めた。「中華民国」という国になっても「支那」と、日本国内では使われた。日本人は、「勝った、勝った」でいい気になると、みっともない。

Kif_7868 先生、このNHK日本史講座、放送では余計なことは言えないから、日清戦争の歴史的な観点から語っていた。日清戦争で勝った後、中国蔑視が国内に横行したが、そうではないと主張した人もいると、「中勘助「銀の匙」を読んでみてください」と最後に述べた。唯一、先生は、自分の意見を織り込んだ。00008

強国日本、70年前の空気を嗅ぐ

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コメント

日本はいくつかの戦いbattle は勝利したが、戦争Warの決着がつたわけではないが、戦争回避の心理が中国にあった。

投稿: | 2010年10月23日 (土) 00時26分

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