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2007年12月12日 (水)

ソ連兵強姦の現実 手記 文藝春秋

 1945年8月9日、ソ連は日本から日米の終戦交渉を依頼されていたにもかかわらず、日ソ中立条約を一方的に破棄し、原爆によって虫の息ほどになった日本に対し、宣戦を布告した。 その頃手薄になっていた満州や樺太にはソ連軍が上陸し、略奪・強姦・殺戮の限りを尽くした。 

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全文引用 昭和20年8月20日頃であったろうと思う。・・・(中略)・・・ぶきみという程静かな日が続いていたので、新京の街で何が起こっていたのか解らなかった。

 そんな日病院の玄関で大声で騒ぐ声にびっくりして、私は板でくくりつけた足をひきずりながら玄関に出て見て驚いた。12、3の少女から二十歳ぐらいの娘が10名程タンカに乗せられて運ばれていた。

 それは、まともに上から見ることの出来る姿ではなかった。その全員が裸で、まだ恥毛もそろわない幼い子供の恥部は紫に腫れ上がって、その原形はなかった。大腿部は血がいっぱいついている。顔をゆがめつつ声を出しているようだが、聞き取れない。

 次の女性はモンペだけをはぎとられて下(しも)の部分は前者と同じだが、下腹部を刺されて腸が切口から血と一緒にはみ出していた。次の少女は乳房を切られて、片眼を開けたままであったから死んでいるのかも知れない。次もその次も、ほとんど同じ姿である。

「ああ女とはこんな姿でいじめられるのか・・・」。次々に病室に運ばれて行く少女を眼のあたりに見て、その非情なソ連兵の動物的行動に憤りを感じると同時に、道徳も、教養も平和な中にのみあるのであって一つ歯車が狂ってしまったら、そんなものは何の役にもたたないのだ。・・・(中略)・・・

 1週間私はこの病院にいて毎日毎日この光景を見て、その無残、残酷さに敗戦のみじめさを知った。
 銃で撃たれて死ぬのは苦痛が一瞬であるが、自分の体重の3倍以上もある毛むくじゃら男数名になぶられた少女や娘等はどんな苦しみであったろうか。・・・(中略)・・・

 また女医さんに聞いたことだが、「10名に二、三名は舌を噛んで死んでいるんです。また何名かの方は胸を圧縮されて息絶えている人がありました」と語られたことを想い出す。

 これが戦争の現実である。国土防衛とか、国を守るとかいうが、戦争とはこういうものだよ。法律も警察もなくなると、人間はこういうことをする人間は罪深い。ロシアは、満州には囚人軍を先陣に送り込んだというが、それが真実かもしらない。

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コメント

語りたくない

投稿: cameo | 2009年8月25日 (火) 18時01分

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