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2007年11月 7日 (水)

神田うの 異能の人理解できるか

6795 神田うのを始めて見たのは、タモリの「笑っていいとも」だった。彼女の規格ハズレの態度、振る舞いが印象的だった。見ている側からすると、人を食っているというか、傍若無人でマナーを知らない、そんな空気の読めないKY人物に見える。

経歴から見ると、日本人でありながら、日本で基礎になる部分を教育されていないから、外国人になっている。下の弟二人は、多分日本で教育を受けているので、常識的な感じがする。

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6796 日本人の感覚からすると、「じゃじゃ馬」「おてんば」と言われるだろう。彼女の天性を活かせば、凄い能力を発揮する。事実、バレエをやれば、そこいらの女の子はかなわないほどの才能がある。既に幼少時に東京新聞が主催バレエコンクールに入賞。その後、フランスの全寮制のバレエ学校(コンセルバドワール)に合格して行っている。それは中退してしまったが。

Kif_6800 下の弟がばらした話だが、うのが小学生だったとき、縁日の店で「じゃがバター」を買って食べたら、「バターじゃない、マーガリンだ」と露天商のオジサンに文句言ってやり込め、オジサンを泣かせてしまった、という。正義感というか、「違うものは違う」と、これは周りの空気を読む日本人では、とてもできない。まあまあ、マーガリンでも縁日だろ、その程度のこと、大目に見て、まあまあ・・・となるが、それを許さない神田うの、面目躍如である。

神田うの(かんだ うの)、1975年3月28日 - )は、神奈川県川崎市出身の女優・タレント、ファッション・デザイナー。身長168センチ、体重43キロ。血液型O型。白鵬女子高等学校卒業。スペースクラフト所属。ウィキペディア(Wikipedia)

00002 「うの」は、持統天皇の幼名「鵜野讃良皇女(うののさららのひめみこ)」が由来。東大卒かつ東大院修了で旧・通商産業省のキャリア官僚(技官)だった父親(神田淳)の仕事の関係で1歳のときにインドネシアのジャカルタに移住。4歳までインドネシアで過ごし、神奈川県川崎市中原区に居を移す。5歳からバレエ(谷桃子バレエ団)をはじめる。

1990年には、東京新聞が主催バレエコンクールに入賞。パリにある全寮制のバレエ学校(コンセルバドワール)に合格。フランスで寮生活をおくることに耐えられず、世界的プリマとなる夢は断念する。1992年、17歳で中部全日本バレエコンクールのジュニア部門1位を受賞、東京全日本バレエコンクール入賞。

00003 昨年2006年11月5日、23歳のときに出会い、パチンコチェーン店、不動産会社(日拓リアルエステート株式会社社長)西村拓郎と都内料亭にて結納を交わし、披露した。今年2007年10月8日挙式を行った。2005/11/08 (火) お似合いのカップル 2 (きっこの日記)動画

2人の弟がおり、上の弟・神田伸一郎は、東京農工大学大学院中退。ハマカーンというコンビを結成し、現在NHK爆笑オンエアバトル等で活躍中。下の弟・昇二郎は、上智大学文学部哲学科卒(同大学院卒)。俳優希望でVシネマ等に出演。

00004 やることが突拍子もない。高校は制服図鑑を見て、一番かっこういい学校ということで選んだ。そんなことを着想して、実行している。自由な校風で束縛されない学校であるはずが、両親がよく呼ばれて学校へ行き叱られたと弟が暴露していた。

スカートの丈が短いとか、学校は毎日のように遅刻していた。かばんがダサいのでブランドものを提げて学校へ行っていたという感覚は、それだけ感性が優れていたともいえるが、日本社会の窮屈さを痛感していたんだな、と客観的に、今ならわかるが、当時先生はこの「神田うの」にてこずっただろうと想像できる。

自由の発想がウノブランドのストッキングを作り出し、大儲けした。ストッキングブランド「トゥシエ・うのコレクション」(グンゼ)芸能界を飛び出して、女性の憧れを商品化して結婚式のウエディング衣装などいろいろ企画して、事業家になっている。その点、凄い能力を発揮している。

この女性を御ギョするには、相当の馬力がないと難しい。なにしろこの「じゃじゃ馬」を乗りこなすのは、ウーン、大物だろう。それとも、逆に彼女に従うタイプでないと合わないから、彼女を大将にしてしまう。

Kif_6804 両親というか、父は非常に謹厳実直の、固い人らしい。弟達はみんな勉強して大学を出て、上の弟は国立東京農工大学(中退)、今ハマカーンというコンビを組んで漫才をしている。相方ハマちゃん←二列目右端、披露宴では親族席で出席、ご祝儀10万円だしたと告白したら、「莫大なご祝儀を頂いて、大丈夫ですか」と律儀なお父さんが言いに来たとか。

下の弟は上智大文学部哲学科で大学院まで出て俳優希望でVシネマ等に出演している。姉がいる芸能界へ飛び込んでくる、その異端さには、日本人の感覚とは違う。神田うの「姉としては、弟達が同じ世界に来てくれて、心強い」という。

夜中より明け方の4時過ぎに下の弟に電話してきて、飲み屋へよびつけて帰りの足を確保する。それまで、店の都合を考えないで、次から次へと1次、2次と多くの友だちを呼ぶ。最後に弟を呼ぶ、そういう流れだ、という。弟の話である。

Kif_6803 最後に本の宣伝して、商売していくセンス、「神田うの」只者ではない。 大学に入っておきながら、こういう仕事に行くのは、両親の大反対にもかかわらず、今までの経歴を捨てて、びっくりする転身をする。これが古い日本人の頭では考えられない。しかし、「神田うの」の頭の中では、別に不思議ではないようだ。この発想について来られるか、来られないか。そこが「神田うの」を理解する分かれ目だろう。

結婚相手との結婚の決め手について「徹子の部屋」で語っていた。美川憲一とうのが婚約相手を連れて済洲島だったと思うが、公演会に来たとき、最高級の部屋をとって、「うの、ここで一緒に泊まりな。決めな」と促されたので、同室するつもりだったのに、婚約者は「別の部屋を取った」と一緒に部屋に泊まらなかった。来れば、ごめん、と断るかもしれなかったが、それしたいだろうに我慢してくれる姿が高得点だった、という。

長く付き合っていて、「結婚しなくてもいい、このままそばにいられるだけでいい」そう言ってくれたことが、決め手になった。と、黒柳徹子にウノは言っていた。まあ、凡人の男は、こうことを言う女を相手にしていられるかな。

神田うの、スカーレット・オハラを自覚

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コメント

うのさんのお父様とは、ウィーンでご一緒させていただきました。本当に腰が低く、他人を思いやられる温厚な方でした。何度か日本人会のゴルフコンペで一緒に回らせていただきましたが、私がウィーン滞在3年間で尊敬する人ベスト5に入ります。うのさんとはお会いできていませんが、そんなご両親の元にお育ちになった方なのできっとすばらしい方と思います。お幸せに・・・

投稿: 更田 | 2008年9月19日 (金) 18時12分

神田うの 異能の人理解できるか

投稿: | 2010年7月 2日 (金) 01時11分

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