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2007年11月19日 (月)

戦争の記憶が薄れるご時世 2

 この記事は世間に知らしてあげたい、と思う記事を切り抜いてスクラップにしていたのは昭和の終わり61年から数年間だった。それは、もう20年前である。そのころ60歳代の人たちが戦争に行っていた最後の年代だった。
 それから20数年、年月が過ぎ去り、浦島太郎になって、60代は80代である。あと10年で太平洋戦争、大東亜戦争、第二次世界大戦を体験した人はいなくなり、戦争はバーチャル感覚で想定している人ばかりになる。

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610101 その前に、戦争とはこんな感覚だと、わかるシリーズを作って、読んでもらいたいと思って、スクラップから引く写してみたい。

 学徒動員されてきた兵士は、一応学士さまだから、たたき上げで兵隊になってしうrモノより覚えもいいから、終戦時に昇進させてもらって、退役したのだろう。泥の中をはいつくばって戦ってきた古参兵士にしてみれば、チクショーと思うのは、案外当たり前かもしれない。

 学徒出身のしっかりした目をもった兵士の方が、中隊長あたりからみれば、可愛いだろう。本当に戦争を実行して前線に立つのは、古参の物怖じしない兵士が戦っていたのだろう。それを無視して、新米学生上がりの兵士が可愛がられて、古参兵の処遇が悪いから、暴発してしまった。そういう話である。

 中国戦線で二等兵で転戦した人から聞いた話では、行軍中の小便は1町遅れ、クソは5町遅れる。雨の日の行軍は、めがねをかけていると、非常に不利でつらい。匍匐前進でめがねに泥がつくと、まるで見えない、と語っていた。毎日、古参上官に殴られるのは当たり前、要領本分すべし、もたもたしているのが一番ソン。

 二年兵役を務めると、その間の努力は、家2軒くらい建てる労力に相当するんだ、と辛さを表現していた。比較しているものが、当っているかわからないが、かなりのきつさであろうと想像できる。

 70年安保騒動ころ、デモ隊が警察官と対峙しているのを見て、
「オレがデモ隊の指揮官だったら、あんな戦い方はしない。指揮が下手で見ていられない」と
 戦争経験者は、デモ行進をみながら、Battleとして捉えて見ているんだから、話がおかしくなる。

 現地調達でモノを仕入れる際、確かにカネは払うことは、払うんだが、「押し売り」の逆で、「押し買い」だという。こちらの言い値の“はしたガネ”を投げつけて、牛一頭を持ってきてしまう。そんな乱暴なことを中国大陸でやっていた。これは、話してくれた当人はもう死んでしまったから、真偽を確かめることはできない。

 戦争の話を聞いているから、こうして伝えられるが、実際に戦争を体験をした方の文章は昭和と共に、ほぼ出尽くしてしまったかもしれない。

610103  これは、銃後の生活の中で隣組を向う三軒両隣を一つの単位にして、政府はまとめていた。そうして、お互いを監視して非国民、戦争に非協力者が出ないようにさせていたんよ。厳しい監視でね、空襲を恐れて灯火管制をして、光が漏れていると、厳しい叱声が飛んだ。

 まだ、この投書の人は、弁が立つので、いじめに対抗できたようだ。コネもあって、いじめに耐えることができたようだ。00008

戦争の記憶が薄れるご時世 1 戦争の記憶が薄れるご時世 2

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