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2007年11月 9日 (金)

鐘の鳴る丘 佐田啓二 中井貴一の父

6810_2 NHK生活ほっとモーニングで中井貴一が出て、映画に掛ける情熱を語っていた。

父佐田啓二の大きさが彼の中で影響を与えている様子がよくわかった。幼いうちに父(親)を失うと、得るべき愛情の欠けた部分に、一生、こういうことを得たはずだ、といつまでも思う。それを中井貴一の話の中に見たような気がした。1961年9月18日生まれ。

父佐田啓二は、1964年8月17日、信州の別荘から東京へ戻る途中、韮崎市の国道20号線で交通事故に遭い死去、37歳。二歳か三歳であった貴一は「お父さん」と呼んだ記憶がないという。だから、映画で賞を貰うとか、海外遠征したりする場合は、父の遺品を身につけて行くという。

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佐田啓二は、京都市下京区の商家の息子に生まれる。京都市立第二商業学校卒業後、早稲田大学政治経済学部に入学する。学生時代、松竹の人気俳優佐野周二の家に下宿していた縁で、1946年、松竹大船撮影所に入社する。

私にとっての佐田啓二は、「鐘の鳴る丘」で見た修平兄アンちゃんである。小学校の一番多感な、影響受けやすい年齢で見たので、映画を見るたびに、どかんと心の底まで衝撃を感じた。あの時代、日本の国土は、戦争の荒廃をモロに受けたまま、まだまだ多くの人は呆然としていた。

Oha 京成上野駅とJRとの地下通路は、雨露をしのぐには良い場所だから、一杯浮浪児がいた。浮浪児狩り、売春婦狩りがよく行われた場所だ。映画にもここが舞台に使われている。名古屋でも、浮浪児が生きるために、駅構内で新聞販売や靴磨きで稼いでいた。靴磨きをシュウシャンボーイという言葉、美空ひばりの歌にでも出ているような気がする。

鐘の鳴る丘 第一篇隆太の巻 昭和23(1948)年11月23日)
鐘の鳴る丘 第二篇修吉の巻 昭和24(1949)年 1月25日)
鐘の鳴る丘 第三篇クロの巻  昭和24(1949)年11月17日)

6806もっとたくさん見たと思ったが3本か。3本とも見たと思う。田舎の映画館へ映画が回ってくるのは、都会のロードショウの半年遅れだった。当時は、娯楽も少ないし、教育の一環として、小学校から列を作って歩いて映画館へ行った。あの当時、先生に引率されて町中を歩いていくと、町の人は子供たちがどこへ行くか知っていた。この「鐘の鳴る丘」必ず泣かされる悲しいストーリーだから、あまり泣かされたくなかった。そういう気分もあった。

キャスト:佐田啓二(加賀美修平):高杉妙子:井上正夫:並木路子 
隆太: 修吉: ガンちゃん: クロ: みどり: 監督:佐々木啓祐

修平兄ちゃん、佐田啓二は復員兵といいう設定だったと思う。修平兄ちゃんが頼りがいあって、浮浪児の味方で、助けてくれるが、意地悪いやつがいて、いじめられて悲しい目にあうストーリーがよくあった。

605 空襲により家も親も失った戦災孤児たちが街にあふれていた時代、復員してきた主人公加賀美修平(佐田啓二)が孤児たちと知り合い、やがて信州の山里で共同生活を始め、明るく強く生きていくさまを描く。日本全体が苦しかった時代、大人子供を問わず多くの人の共感を呼び、大ヒットとなった。昭和23年(1948年)から昭和24年(1949年)には松竹で映画化もされている。

大切なお鐘の鳴る丘」とは、その共同生活の施設が丘の上にあり、とがった屋根の時計台に鐘を備えているというドラマの設定による。主題歌とんがり帽子(作詞:菊田一夫、作曲:古関裕而、歌:川田正子)参照も広く歌われ、昭和23年(1948年)の選抜高校野球の入場行進曲にもなった。歌の題名は「とんがり帽子」だが、ドラマの名前から「鐘の鳴る丘」と呼ばれることも多い。

 今でも覚えているシーンでは、少年が金を持っていることを知ったワルのグループが釣り針で札束を吊り上げて、お金を奪う。この吊り上げる少年、ワルを後年の毒蝮三太夫(12歳)がやっていた。このワルの顔印象が強かったので、毒蝮のこと、長く覚えていて確かめたら、彼のホームページのプロフィールにも書いてある。

Jpg474 佐田啓二は、「君の名は」でメジャーになった。それ以外に多くの映画に出ている。「喜びも悲しみも幾歳月」順調に久我美子、岸恵子など、今では御婆さん女優になったが、当時のスターと共演している。「おはよう」←動画あり

参考資料  明治記念館 (岩手県奥州市江刺区)
岩手県奥州市江刺区にある旧岩谷堂町役場。明治初期に病院として建てられたこの建物には鐘を備えた塔屋があり、現在は岩手県の有形文化財である明治記念館として、近世から明治にいたる医療・文化関係の資料展示を行っている。菊田一夫は戦時中家族を岩谷堂町に疎開させていて、そのとき見た岩谷堂役場からドラマの舞台設定を着想したと言われている。現在、明治記念館では朝と夕方に「とんがり帽子」のメロディーを流している。

鐘の鳴る丘少年の家 (群馬県前橋市堀越町)
昭和23年(1948年)9月創立の青少年養護施設。自らも復員兵であった品川博がドラマに感銘を受け、私財をなげうって創立した。当初から菊田一夫の支援を受けており、「鐘の鳴る丘」を称している。昭和28年(1953年)に現在の場所の時計台つきの建物に移り、名実共に「鐘の鳴る丘」となった。

有明高原寮 (長野県安曇野市穂高)
松竹映画「鐘の鳴る丘」の舞台となった青少年更生施設。有明高原寮は今も存在するが、撮影に使われた時計台つきの建物は近くに移設され、「鐘の鳴る丘集会場」という青少年の合宿訓練施設となっている。

037ksada1 参考資料 「不死鳥」(1947年)
「お嬢さん乾杯!」(1949年。監督:木下恵介)
「カルメン故郷に帰る」(1951年。戦後初のカラー映画出演)
「命美わし」(1951年)
「自由学校」(1951年。松竹版)
「本日休診」(1952年)
「ひばりのサーカス 悲しき小鳩」(1952年。※DVD発売)

Chi 「日本の悲劇」(1953年。監督:木下恵介)
「君の名は 第1部~第3部」(1953年~1954年。※DVD発売)
「勲章」(1954年)
「あなた買います」(1956年。監督:小林正樹)
「台風騒動記」(1956年。監督:山本薩夫)
「喜びも悲しみも幾歳月」(1957年。監督:木下恵介。※DVD発売)

Yorokobimo 「彼岸花」 EQUINOX FLOWER (監督:小津安二郎。1958年。※DVD発売)
「日日の背信」(1958年)
「人間の條件 第1部~第4部」(ヴェネチア国際映画祭サン・ジョルジョ賞、イタリア批評家賞受賞作品。監督:小林正樹。1959年。※DVD発売)
「惜春鳥」(1959年。監督:木下恵介。※DVD発売)
「お早よう」 GOOD MORNING (監督:小津安二郎。1959年。※DVD発売)
「秋日和」 LATE AUTUMN (監督:小津安二郎。1960年。※DVD発売)

I1 「永遠の人」 IMMORTAL LOVE (第34回アカデミー外国語映画賞本選ノミネート作品。監督:木下恵介。1961年)
「猟銃」(1961年。※ビデオ化)
「秋刀魚の味」 AN AUTUMN AFTERNOON (監督:小津安二郎。1962年。※DVD発売)
「歌え若人達」(1963年。監督:木下恵介。※DVD発売)

Photo_01 「無宿人別帳」(1963年。※DVD発売)
「風の視線」(1963年。※DVD発売)
「花の咲く家」(1963年。インドネシアロケが行なわれた)
「続・拝啓天皇陛下様 」(1964年。※DVD発売)
「暗殺」(1964年。※DVD発売)
「甘い汗」(1964年)

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コメント

鐘の鳴る丘(とんがり帽子)
作詞菊田一夫 作曲古関裕而
1 緑の丘の 赤い屋根
  とんがり帽子の 時計台
  鐘が鳴ります キンコンカン
  メイメイ小山羊も 鳴いてます
  風が そよそよ 丘の家
  黄色い お窓は おいらの家よ

2 緑の丘の 麦畑
  おいらが 一人で いる時に
  鐘が鳴ります キンコンカン
  鳴る鳴る 鐘は 父母の
  元気で いろよと いう声よ
  口笛吹いて おいらは 元気

3 とんがり帽子の 時計台
  夜になったら 星が出る
  鐘が鳴ります キンコンカン
  おいらは かえる 屋根の下
  父さん母さん いないけど
  丘のあの窓 おいらの家よ

4 おやすみなさい 空の星
  おやすみなさい 仲間たち
  鐘が鳴ります キンコンカン
  昨日に まさる 今日よりも
  あしたは もっと しあわせに
  みんな仲よく おやすみなさい
http://8.health-life.net/~susa26/syoka/douyou/tongaribousi.html 

投稿: とんがり帽子 | 2012年6月30日 (土) 19時01分

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