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2007年9月30日 (日)

ミャンマー軍事政権 長井健司さん銃殺

01 ミャンマー(旧ビルマ)の軍事政権のデモ隊規制で日本人の記者長井健司さん(50)が撃ち殺された。彼の人柄をテリー伊藤が語っていたが、まじめで曲がったことの大嫌いな人だったという。イラクで撃ち殺された記者も、日本にいれば安全なのに、あえて戦闘地域にいく。

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04 テリー伊藤が「彼は構成作家を一緒にやっていたが、生真面目だった」という。テレビの現場は戦場のようにゴチャゴチャした中だが、ギターがうまくて弾いてくれた。飲みに行っても、バカのみするわけでもなく、次の仕事に差し支えるようなことはなかった。あまりまじめで、ストリップへ連れていったら、一人の子にほれて、次の日、楽屋へ花束を持って行ったとか。

Images それが、突然イラクへ行っていて、テリー伊藤が通信テストをしていたら、長井サンの声だったのでびっくりしたとか。命を掛けて仕事をしたい。簡単ではないが、真剣に人類のために働きたいと思っていたようだ。テレビ現場の中で、単に騒がしくおもしろくだけで人生で終わりたくない、それで転身したのだろう。そんな意識、わかるような気がする。

「私なら、安全な場所から、現場にいたように報告しているだろうが、彼は最前線に行ってそこから報道する、そういう人だ」と、テリー伊藤がそう締めくくった。日曜日6Chの10時サンデジャポンで語っていた。

お母さんのコメントにあったが、「一生懸命にやったから、ほめてやりたい」とおっしゃっていたが、親子ともども、まじめに生きているひとだ。彼は、親の願いをかなえて死んだんだともいえる。

2007092800000107reuintview000 そんな彼だから、民衆の最前線に出て、軍隊のやることを撮影したんだろう。そういう映像が世界の人々に伝わり、世界の意識を変える。その長井さんが倒れる瞬間が映像で何度も流された。身をもって彼は訴えている。

その長井さんの体から路上に流れた血は、軍の散水車が来て、綺麗に流してしまった。軍の上層部は記者を殺したという事実は知っているような行動だ。多分証拠隠しだろう。

国家単位で考える上層部は、何だろう、人を人と思わなくなる冷徹さがある。偉くなりたくないね。しかし、誰かが指導者にならなきゃならない。そういうときには、そういう優しい考えができる人がトップであってほしいものだ。

02 至近距離から狙い撃ち…長井健司さん死亡  ミャンマー軍事政権治安部隊による反政府デモ制圧を取材中に死亡した映像ジャーナリスト・長井健司さん(50)は、至近距離でほぼ正面から治安部隊員に銃で撃たれていたことが28日、明らかになった。また死亡の報から一夜明けたこの日、長井さんの遺族が取材に応じ「今は涙も出ない」と苦しい胸の内を明かした。ミャンマー軍政への批判は、世界各国で強まっており、日本政府も今後、大使を召還など強硬措置を検討する方針だ。

 長井さんは極めて至近距離から「狙い撃ち」されていた。ミャンマー政府は当初、長井さんについて「流れ弾に当たって死亡した」と説明。しかし銃弾は右胸下部から心臓を貫通し、背中の左上部に抜けていた。遺体を確認したミャンマーの日本大使館も「銃創が至近距離から撃たれたものに見えた」としている。

20020521_1  数十メートル離れた場所から事件を目撃していたという親族から話を聞いたミャンマー人男性によると、長井さんは現地時間27日午後(日本時間同)、ミャンマー最大の都市ヤンゴンのスーレ・パゴダ(仏塔)付近でのデモを取材。デモ隊に「解散しろ」と警告する治安部隊の前面からカメラで撮影していた。外国人記者とみられる数人と一緒だったという。

 長井さんらが、警告後の威嚇射撃を撮影しようと治安部隊の正面に出たところ、突然乱射が始まった。長井さんは至近距離から撃たれカメラを右手に持ったまま倒れた。ほかの外国人記者数人も同時に撃たれ、腕などを負傷したようだという。デモ制圧後は、治安部隊の放水車が現場の血を洗い流していたという。

 ミャンマー国営テレビは、長井さんを含む9人が死亡したと伝えるとともに、デモ隊が治安部隊に抵抗したため「やむを得ない銃撃だった」と発砲を正当化している。

 愛媛県今治市に住む長井さんの母・道子さん(75)は、死亡の報から一夜明けた28日朝、「まさかミャンマーに行っていたとは…。いろいろなことを考えていたら一睡もできなかった。今は涙も出ない」と苦しい胸の内を明かした。父・秀夫さん(82)は「あんなむごいやり方をして、ミャンマー政府にひと言言いたい」と悔しそうに話した。

 道子さんによると長井さんは大学卒業後、米国に語学留学。その後フリーの記者に転じ、イラクやアフガニスタンを飛び回っていた。3年前に帰省したとき会ったのが最後という。

 長井さんが契約していたニュースプロダクション「APF通信社」の山路徹代表(46)もこの日、今治市の自宅に弔問に訪れた。山路氏は28日朝、在日ミャンマー大使館でビザ発給申請しようとしたが、受け付け自体を拒否された。このため外務省を通じミャンマー政府に発給を要請。この日夜に許可が下り、29日にバンコク経由でヤンゴン入りし、遺体を引き取ることになった。遺族は、現地の情勢を考慮して自宅で待機するという。

以上、記事引用。この記事が最も詳しい。軍事政権がここまでがんばってきたのは、諸外国の支援、商人があるからで、その仲に日本も含まれている。特に、中国は軍事政権から、ミャンマーの石油、鉱山などの採掘の権利を認められているから、軍事政権に敵対する発言は控えている。それは、中国のコメントを聞いていると、明らかである。産業が発展している中国派、とにかく産業発展の方針が全てみたいだ。

05 軍事政権を認めたのは、世界の諸外国中で、日本が最初だと言われている。民主化勢力の中心になるアウンサン・スーチーさんが監禁されて、十数年経っているのに、まったく解放して自由に発言する見込みはない。

最近、軍事政権のトップに立っている人の末娘が結婚し、その結婚式が披露された。その豪華さはミャンマーの中では異常ともいえるものだったらしい。月額数十円の生活を強いられて人々からすると、式に十数億の費用の結婚式はちょっと、国民感情を無視している。

トップに立つと、ミャンマー国民が見えなくなるのだろうか。軍事クーデターで政権を握っていると、力で押さえておく必要があるのかもしれないが、いまや、民主化の意識が高まっている。独裁国家といえるか、選挙は行われているのだろうか。選挙でも政治意識が高まらないと、政府はごまかしにかかる。

坊さんまでデモに出るようになったかといえば、物価の上昇である。電車代が倍、ガソリン代にしても二倍、と生活に直撃した。アウンサン・スーチーさんを中心にする民主化運動グループは全員動けない、捕らえ抑圧されてしまい、活動できるのは坊さん僧侶しかいなかった。そんな情勢だ。ミャンマーは坊さんは尊敬の対象だから、その僧侶に危害を加えてとなると、今後軍事政権は先が長くないのでは、と思う。

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